TOKIO

始まり1

-->

かつて、地方分権を叫ばれていたこの国、遥か昔に陽の昇る国と呼ばれた日本が再び中央集権都市国家と古の姿に戻ったのは、かれこれ200年程前まで遡る事ができるだろうか。

それは、この地球上で人という種族が一秒息をする度にその命を100年縮めていく星という生命体が自然治癒能力を失った頃の事。

人々は足下から頽れていく大地の上、森を失い、水を奪われ、土から引き離された。

遥か眼下の腐敗した大地から己たちを守るかのように空中に都市を作り、まるで、別世界を見下ろす宙人のように、自分達の手から離れゆくかつての母なる地を恨むのだ。

 

全くもっておろかな種族。

それでも。

残酷なまでに邪気のない親殺しと呼ばれようとも、やはり頑是無い子供は母を求めるのだ。

日本と言う国の象徴とも言われ、かつては尤も美しき霊峰と謳われた美しき秀山は今はない。

ないといっても、昔の姿がないだけであはあるが。大沢崩れと呼ばれていた崩落現場は、人が瞬きをする間も留まる事を知らず崩れ落ち、永久凍土も今は哀れな瓦礫の岩場。

その時に至り、人々は漸く無為に草を引きちぎり続けた己の手を見つめ直したのだ。

国家を挙げての大プロジェクト。

再びこの国に四季を取り戻そう一丸となった国の中枢を担うのがセントラル=中央都市と呼ばれる日本の首都。

 

 

★★★★★

 

柔らかに立ち昇る湯気、香ばしさが漂う香りが鼻腔をくすぐる。

その香りに僅かに片目を見開くと組んだ足をゆるりと持ち上げながら、手の中のカップを燻らせるように唇を薄く開いた。

「うまい」

思わず溢れたのは無意識だったのだが、そりゃ、本物だからね と背後に押さえきれぬ笑いをたたえたような声に、坂本は眦を釣り上げるように男を睨み付けた。

「これはね、作られた合成豆じゃなく、ちゃんと土から育てられた珈琲の木から採られたものだからね」

松岡と名乗った男が煎れたもう一つのカップを取り上げながら、国分はゆったりとした仕草で坂本の斜向いのソファに腰をおろした。

「待たせて申し訳ありません」

自らも緩く立ち昇る香りに満足げな面持ちで眦を細めながら、国分もまたゆっくりとカップを傾ける。

「別にアンタを待ってた訳じゃねぇよ」

「そうなんですか?」

人より大きな眼をぐるりと回しながら国分が口角をゆるりと吊りあげる。

「てっきり、契約するために待っててくれたんだと思ってたんだけど」

先刻までの慇懃無礼までな敬語は成りを潜め、どこか親しげな口調に坂本は眉を顰めてみせた。

「俺はまだ受けるとは一言も言ってないんだけどね」

「でも、すぐに帰らない程には興味を持った訳でしょ」

「美味そうな匂いがしたんでね」

それだけだよ と皿の上のマフィンを一口齧ると、うん、美味いと犬のようにふんと鼻をひくつかせ満足気に眦を細める。

「なら、松岡の存在が少しは役にたったと言うわけだね」

研究以外 と続いた言葉に、坂本は残りのマフィンを一口で食べ終わるとぺろりと甘みの残る指先を嘗めると、上目遣いで国分をじろりと見上げる。

「へぇ、あいつも研究者なんだ?」

「心理学のね」

なるほど と小さく頷くと何やら笑いながら一所懸命話している子供の世話をしながら、その表情を具に観察しているらしい男の横顔をちらりと振り返った。

「飯も作れて子供の世話もできんだったら、心理学者としてじゃなくても随分便利なんじゃねぇの?」

「まあね」

上目遣いで、軽く肯定するとそのまま視線を再び揺れる深い闇色の液体へと戻し、いろんな意味で役には立つね とさざ波をたてるように呟いた。

「あんたの中じゃ、人間全て自分の研究に役に立つか立たないかで区別されるみたいだね」

「研究者なんて誰しもそんなもんですよ」

城島博士も と続きかけた言葉が、突然開いた扉の音にあっさりと掻き消されてしまい、国分はちっと軽く舌打ちをした。

「ただいまあ、まぼ、俺ぇ、すっげぇお腹空いたんすけど」

背後からの陽光を燦々と浴びながら入ってきたやけにひょろ長い人影が長いストロークですたすたと室内に入ってくると、坂本の座っているソファの隣でぴたりと立ち止まった。

「あれ〜、太一君帰ってたんすか?」

お帰りなさい〜 へろりと眼を細めて見下ろしてくる男はかなりの身長があり、その顔立ちは彫りが深くなかなかの男前に見える。

「あ、それもらっていいっすか?」

そう言うが早いか、マフィンの上に伸びてくる大きな掌。一瞬のためらいもないその行動に、坂本は暫し唖然としたように目を見開き、国分は幾分呆れたような視線と共にその甲をぴしりと叩いた。

「ひどいっすよ。太一君」

「ひどいじゃないだろ、長瀬、お前、客の前で何やってるんだよ」

へ、っと口元を歪めた長瀬と呼ばれた男がその時になって、その存在に初めて気が付いたかのように坂本を振り返った。

「あ、ども、俺、長瀬って言います」

よろしく と屈託もなくにんまりと笑うその無精髭の生えた表情は以外に若く、子供のような無邪気さを醸し出し、目の前で自分達をにらみ付けている男とのそのギャップの違いに幾分戸惑いながらも、ああ、よろしくと差し出した坂本の手をぶんと一振り大きく振る長瀬に国分が軽く額を押さえた。

「お前、腹減ってんなら、向こうで松岡と城島博士が菓子食ってるからあっちいけ」

「あ、は〜い、まぼ〜」

入ってきたときと同じ唐突さで握っていた手を離すと、長瀬は軽い足取りで奥にあるキッチンらしい場所へと踵を返した。

「あいつも研究者?」

は〜、紙一重ってやつかねえとうそぶく坂本の様子に

「あれでもね。スパコンのハード面に関しては超一流でね」

と国分が笑った。

「ただ、自分の興味のあること以外は、そこらへんのガキよりも無知なんだよ」

まあ、だからこそ扱い安いのだと音にならぬ声が聞こえたような気がしたのは気のせいだろうか。思わず耳鳴りのような幻聴を払うかのように軽く頭を振ると坂本はもう一度背後の声に耳を峙てた。

「だから、お前、それは博士のだって言ってんじゃん。お前の分もちゃんとあるから手を先に洗ってこいって」

明るい笑い声に混じった本の少し裏返ったような声に、坂本はわずかにまなじりを細めた。

「あの、松岡だっけ?あいつA型だね。間違いないわ」

だろ、と同意を求めるように振り返った楽しげな表情に国分はあからさまに眉を顰めた。

「何億もの人間が蠢くこの世界で4種類、ああ、プラスマイナスなどを入れたら300種類を数えるけど、そういうもので人間性をカテゴライズしてしまうのは研究者としてどうかと思うんだけど」

そこまで言い切り、残りの珈琲をこくりと音をたてるように飲み干した。

「まあ、最も松岡に関しては坂本さんのいう通り、まぎれもないA型ですけどね」

ちなみに、あのでっかいガキは貴方と同じO型ですよ と少女めいた柔らかさを持つ笑みを頬に浮かべてみせた。

「あいつ、O型なの?」

へぇ〜、でも納得かなあと頷くような表情に向けられた

「城島博士もO型でしたよね、まあ、彼の場合はむしろAB型に近かったんじゃないですか?」

さりげないまでの問掛けに、わずかに首肯しかけた男が軽く眉をあげて見せた。

「そうなんだ?けどアンタよく知ってるよね。80年以上も前に死んだ男の事をさ」

もしかして、マニアかストーカー? そう、言った端からからりと笑い、まあ、この世に既に存在しない相手だもんな、ストーカーはないかと自らの言葉を否定すると坂本も、手の中にあった珈琲の欠片を飲み干した。

「ストーカーはどうあれ、マニアではあるかな。何せ、彼をこの世に取り戻すために彼に関わる書類や論文は全て読破したからね」

その言葉にひゅうと軽い口笛で空気を揺らすと坂本は遠慮する風もなく2個目のマフィンに手を伸ばした。

「それで?」

「ん?」

生地の心地よい甘さに舌鼓を打ち、一瞬見せた蕩けるような表情は、目の前の男の冷ややかな眼差しを受け止めて、きゅっと細まった眼そのままに次の瞬間、きゅっとあがった口角が歪みを見せる。

「ここでお茶をするのが目的ではないんだろ」

まあね、と肩を竦めるとそのままどすりと背もたれに体を投げ出すとぞんざいなまでの態度で目の前の男をじろりと見下ろした。

「人をここまで連れてきたんだ。それなりの報酬は貰わないとね」

何でも屋の中でも俺は高いよ と探るよう視線を正面から受け止めながら国分はマフィンをぱかりと二つに割った。

 

 

 

 

「お金が目的なわけ?」

うるさいぞお前らあ と外見からは想像できないほどの大声で背後で弾ける子供たちに声をかけた国分が、新たに注がれた珈琲を片手に眇めた眼差しを目の前の男に向けたのは、会話が途切れてからかっきり10分後のこと。

その間も、目の前の男は呑気な表情のまま山と積まれた菓子の数を着実に減らし続けていた。

「これが目的って訳じゃないけどね」

古典的に指で円を作りながらにまりと眦を器用に歪める少しも悪びれる様子もない男に逆に苦笑を誘われながらも国分はわざとらしいほどのため息を一つついてみせた。

「彼のことだけでも十分な情報だと思うけどね」

「確かに、あの子供が『城島茂博士』本人だっていうなら、これほどまでにセンセーショナルな情報はないけどね」

先刻まであれほど煩かった笑声は既に消え、彼等の中心から聞こえるものは穏やかなまでに規則正しい呼吸音にかわっている。

「人間のクローニングは法律的に禁止されているからね。俺がいくらあの子供が『城島茂博士』だと誰かに情報を売ったとして、さて、しがない何でも屋のなんの根拠もない情報なんていくらで買ってくれるかってね」

「海千山千の男が何言ってるんだか」

その言葉に国分は多少呆れたように、はっと肩を竦めながらもゆったりと足を組み替えた。

「まあ、興味の対象が彼だというならば多少は意味があるかもしれないね。了解。わかった、質問をどうぞ」

ただし、とまるで猫のように眼を鋭く細め坂本に、

「この家はね、入る者も出て行く者も厳しく選ぶところがあってね」

アナロジカルな風貌だからといって、甘く見ない方が良いよ と軽く流された視線の先には、先刻、外見の割に邪気のない反応をしていた男の端正な横顔があった。

マッド・サイエンティスト

そんな言葉が一瞬脳裏を掠めた坂本は、

「了解、心して質問しましょう」

宣誓をするかのように右手を挙げると、にやりといった表現がぴたりと来るような笑みを浮かべてみせた。

シリーズ

Story

サークル・書き手