ゆらりゆらりとゆれながら、ひょこりひょこりと歩く影。
いつも見慣れたあなたのテンポ。なのに、惑うように揺れる木に、貴方の笑みが儚くて。
握りしめた指先が行き場をなくして空を舞う。
ふと見上げた空は、今にも泣き出しそうな表情で、ぽつりと灰色の地面に立つ自分を見つめていた。
つい先刻、そう、山口がコーヒーを買いに出るまでは、そんなそぶり一つ見せなかった。顔色が悪いよな と軽く眉を潜める程度で、それぐらいは年末年始進行や、番組改編時期等いつものことで。まあ、精々、今晩は栄養のあるものを食いに連れてって、そのまま部屋まで送るかな ぐらいだったはずだった。
「シゲ、帰ろうぜ」
だから、他のメンバーが忙しくも次の仕事や他の用事へと足早に楽屋を後にする背を見送りがてら、荷も持たずに販売機まで行ってきたのだ。悔しいことに2回連続でゲストに負けてしまった腹は、とうの昔に空腹が我慢の限界を超え、ぐぅぐぅと情けないまでの悲鳴を上げ続けているから。河岸をかえるまでの腹つなぎに と缶コーヒーを手に入れて、のんびりとした足取りで人気の減ったドアを押し開けたのだ。
「後はついていますから」
精神衛生上の理由からか白い壁というものが極端に減り、自分をぐるりと包み込むのは柔らかなオレンジがかったベビーピンク。
だが、本当は色なんて関係ないのかもしれない と山口は、ぎゅっと下唇を噛み締めたまま、黙って頭を振ると再び目の前でぴたりと閉められたままの扉をみすえた。
「わかりました。でも、せめて、何か食べて下さいね」
どれだけ言い含めようとしても、頑として立ち上がろうとしない山口を右斜め上から見下ろしていたマネージャーは、諦めたような苦笑を滲ませるとぶら下げていたコンビニの袋から数個のサンドイッチとペットボトルを山口の手の中に押し込んだ。
「山口さんにまで倒れられたら、一番困るのはリーダーですからね」
悪い と視線を外すことなくそれでも小さく聞こえた言葉に、マネージャーは、安堵したかのように眦を僅かにほころばせると、電話を掛けてきますと踵を返した。
かつん、かつんと響くマネージャーの足音が、やがて廊下の向こう側に吸い込まれるように消える。途端に、周囲は静寂に包まれるように音をなくしてしまうのだ。ああ、と山口はぎゅっと拳を握りしめた。まるで、雪の中だと。
小さく切られた囲炉裡端、煌煌と紅い炎を煌めかす炭にかじかんだ手をあてながら、津々と降り積む雪の音を聞いていたのはいつだったか。
「静かだよね」
「せやね」
ゆっくり休めるようにという気遣いからか、役所の方で休むというスタッフたちに、そこに残されたのは城島と山口の二人だけだった。
不思議な空間だ と瞼を伏せる。
ほんの数m離れた処には、確かに人がいるはずなのに、古びた木で切られた囲炉裡の中でからりと落ちる炭の音だけがあたりに響き、傍らで手に息を吹きかける人に向けた声さえ、しぜん潜めるような声になる。
ほっと吐き出す息さえも吸い込まれるそんな静寂の中、それでも傍らにはあの人がいて、ほんの少し困ったような表情を浮かべながらも、ねぇ、と話しかける山口に、どないしたん と言葉を返してくれた。
なのに。
今、この手を握る人はない。
「帰ろうぜ」
お待たせぇ〜 と勢い良く押し開いた扉の向こう側、ソファに蹲っていた影がどこか緩慢な仕草のままうそりと動く。
「シゲ?」
あぁ とどこか掠れたような、それでも安堵の音が滲む声が微かに響く。
「どうしたの」
二、三歩だ。ほんのそれだけの距離のはずが、やけに遠く感じるような空間で、ふらりと立ち上がった城島が、あんなあ と白い頬に苦悶を浮かべながら山口の方へと手を伸ばす。
「シゲ」
駆け寄った、のだと思う。気が付けば、頽れるように腕の中に倒れ込んだ城島の重みを受け止めていた。
「あたま、いたい」
幼子よりも辿々しい押し殺した悲鳴のような声が水の中の音のようにどこかくぐもったように鈍く響き渡り、ただ、腕に掛かったこの人の重さだけが現実のように、伸しかかってきた。
城島が倒れたと言うニュースは、そこがテレビ局の一室であったことも災いし、その日の夜のうちにネットのニュース情報に掲載され、瞬く間に日本中のファンが知るところとなった。
絶対嘘だ。
かん と怒りのあまりか、廊下奥深くまで響き渡った踵の音に、一瞬びくりと背筋を震わせたものの、何事も起こらない周囲に、背筋を伸ばすと、ふんと鼻息を吐き出す。
反応がないのは当然だ。一般の見舞客が訪れることができる時間を、とうに過ぎ、薄暗くなった廊下を行き交う患者の影すら見ることのできない夜中の廊下だ。とはいえ、ご苦労なことに夜勤でつめている看護士は、ナースステーションか、病室を覗きに回っているだろうし、夜半を回ったわけでもない中途半端な時間帯、昼間寝過ぎた病人や、体力を持て余している怪我人である患者たちは、こっそりと喫煙室で煙草をふかしたり、自動販売機の近くで、ゆうるりと流れる時間を持て余している頃だ。
いつものあの人ならば、まだまだ、宵の口、仕事を終えた今からがあの人の時間なのだろうけど、と国分は肩に掛けた鞄をひょいと持ち直すようにして、面会謝絶と掲げられた背後の扉を振り返る。
彼が入院をしてから、2週間という時間が流れた。
本来ならば城島が受け持つはずだったロケを終えて、棒のように重たくなった足を引き摺っての見舞いだったのだけど、今日もまたあの扉を開くことすら許されず、すごすごと帰るしかないのかと。
けど、と国分は、ほんの少し申し訳無さげに眉を潜め、ご家族以外は面会をお控え下さい と頭を垂れた看護士の顔を思い出すが。
「あっれ〜、太一君」
耳に聞こえた大きな声に、その思考はするりと怒りの方向を差し替えてしまう。
来てたんすか〜 という背後から届くはずであった脳天気な言葉は、がしりと飛んできた手刀に行き場をなくし、いっって〜 という悲鳴は、もう一方の手のひらによって喉の奥に押し込められてしまった長瀬が、思わずっといった感じでその場に座り込み、少し恨めしげな面持ちで国分を見上げた。
「太一君も、来てたんだ」
ふん と腕を組んで反っくり返った国分と、彼より、頭二つ分近くでかいはずなのに、しょぼんと尾も耳も垂れた犬のような姿になっている長瀬の姿に、くくっと喉の奥で笑いながらも、周囲を憚る押さえた声の持ち主は、メンバー一の気配りな松岡だ。
「お前らな、ただでさえ一人でも目立つのに、二人一緒に来るなんてどういう了見だよ」
バカか と一言吐き出すようにつぶやくと、ほら、こっち来いと、長瀬の襟首を掴んだ国分の後を素直についていきながら
「今日、ロケ一緒だったのよ」
だから、と言い訳めいた事をいいながらも、松岡がついさっきまで向かっていたはずの場所を振り返った。
「行っても無駄だぞ」
「やっぱり会えなかったんだ」
はぁ と磨き込まれた廊下に落ちるため息は、一体何度目だろうか と国分はちらりとその横顔に視線をくれる。
「家族以外は会えねぇってさ」
「ひどいっすよね。俺ら、TOKIOっすよ」
「それ、関係ないから」
「だって、リーダー、家族のように愛してるっていっつも言ってるじゃないすか」
なのに、と前のめりになりながらも病室を振り返る姿は、どこか、親から引き離されて売られていく子馬のようだと松岡は苦笑を浮かべた。
「そんなにリーダーの病気、重いのかな」
俺、リーダーが倒れたって聞いてから一度も、あの人の顔見てない、と力なく呟く長瀬に
「心配すんな ばか」
と国分はその後頭部をぽんと宥めるように叩いた。
「で?茂君の様子どうなのよ」
そう、いつも細い眼をいっそう細めて手の中の台本を覗き込むような近さで聞いてきたのは、二人でやっている番組の撮りの合間の短い休憩時間だった。
「知らねぇ」
「知らないわけないでしょ、太一君が」
箝口令でも敷かれてんの? と軽く厚ぼったい唇を尖らせると、頼むからさあ、と軽く片手を挙げる。
「うちの奴らも皆心配してんだよ」
特に、ほら、坂本君がさあ と空を彷徨う視線に、まあ、そうかもしれねぇけどさ と国分も漸くぎろりと強い視線を井ノ原に向けた。
「でしょ、だったら」
「だって、俺本当に知らねぇもん」
大体、あの人が倒れてから顔だって見てねぇよ と軽く眉を顰めた国分に井ノ原がきょとんと目を見開いた。
「へ、どう言うことよ」
「俺らがあの人の入院を聞いて、病院に駆け付けたときは既に扉には面会謝絶の札があって」
そこでシャットアウト とぱんと音を立てた手の平に井ノ原が小首を傾げた。
「でも、俺ら、茂君に会ったぜ?」
それ、変じゃねぇ と。
「いつ。どこで?」
どこでって、あれ、と井ノ原がその勢いに脅えたように思わず椅子ごと後じさった。
だからさ、と収録の後、そのまま、飲みに行った居酒屋で、井ノ原が猪口を傾ける。
「茂君が、倒れた日さ、俺らも打ち合わせがあったのよ」
そしたら、あの騒ぎでしょ?坂本君が心配してさ、打ち合わせもそこそこにその足で病院に向かったのよ。と隣でちびりと麦酒を舐めるように飲んでいる国分を振り返った。
「んでさあ、びっくりしたよ」
病室開けたらさ、こう、でんって感じで山口君が、ベッドの上に突っ伏しててさあ、とからからと笑う井ノ原に罪はないのだが、国分は勝手に眉間の皺が深まっていのを感じる。
「ごぉごぉ鼾かいて寝てんのよ、山口君が。で、その向こう側に茂君が、こう座ってたんだけどね」
「大丈夫 なの?」
入ってきた自分達の姿に、一瞬、瞠目した光彩が二三度眩しげに瞬きを繰り返した。
「えっと」
何かを躊躇うかのように視線を彷徨わせたのは、その数秒の間のことだった。
「すまんなあ、気にして来てくれたんや」
自分らも忙しいやろうに、と片手で指し示されたのは、山口がでんと腰を下ろしている丸椅子の向こう側におかれた簡易の小さなソファだ。
「や、俺らも丁度同じ局に居たのよ、で、ちょっと小耳に挟んだから」
そう耳の後ろをどこか照れくさそうにこりこりと掻きながら、坂本が素直にそれに腰を下ろした。
「そうなのよ、うちの長老がすごい心配そうな顔してるからね」
俺もついてきちゃった と、軽く顔を顰めた傍らの坂本ににやりと口元を歪めてみせた後、細い目をいっそう細めて笑った井ノ原に城島も漸く口元に淡い笑みを浮かべた。
「おおきにな、けど、僕やったら大丈夫やから、心配せんと早よ帰り」
二人とも明日も仕事あるんやろう とやんわりとした微笑のまま、相手を慮るような口調は、彼の優しさが彼の愛すべきメンバーだけでなく、後輩にまで注がれていることを物語るようで、坂本は、まあね と眼を三日月の方に淡く細めた。
「それ、起こして連れてかえる?」
それ、と指差さされたことに気付くこともなく、すぴすぴと穏やかな、だが、眉間に皺を寄せるという器用な寝顔を晒している男の髪にするりと城島の指が絡んだ。
「せやね、けど、ええわ、このまま寝かしたって」
体痛なるかもしれんけど、ともう一方の手を軽くあげてみせるその先には、しかりと子供のようにその指を握りしめる、城島のものよりも少ししかりとした指があった。
「了解」
坂本がそう笑ったのを合図に、二人は揃って立ち上がった。
「じゃあ、お大事に」
こっくりと幼子のように頷いて
「すまんけど、僕のこと人に言いふらさんといてな」
そう片手を挙げて拝むような仕草をしてみせた。
「お休み、茂君」
了承の意を表すように軽くウィンクを残し、二人は扉を閉めたのだ。
元気そうに見えたんだけどな、そう不思議そうに小首を傾げた井ノ原のいぶかしむような横顔を思い出して、眉を顰めた。
「太一君?」
「なんでもねぇよ、飯、食ってかえるだろ?」
薄暗いエレベーターホールに、ほのりと灯った赤い光を見ながら、国分が未だしょぼくれている長瀬の顔を見遣ると、それでもこくりと高い位置の顔が頷いた。
音もなく開く扉の向こう側には、誰もいなくて。
「ったく、おかしいことだらけなんだよな」
「おかしいこと?」
足取りが軽くなった、長瀬の後を追うように、松岡と長瀬も小さく仕切られたエレベーターの空間に体を滑り込ませる。
「松岡、調べて欲しいんだけどさ」
一度も開かれたことのない病室の扉。
「何を?」
一度も坂本と井ノ原の名前を呼ばなかった城島。
「最近、山口君が海に来てるかどうか」
「ん、了解」
そうそして、今、ここに誰よりもいるべきはずの男がいないことが何よりもおかしいのだと、国分はにやりと口端をあげるようにして笑みを浮かべた。