Jyoshima & Yamaguchi

澄んだ声に、(恋をした)

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肌に突き刺さるような日射しは、柔らかく揺れる夕闇にまぎれるような暖かさに姿を変え、ゆっくりと歩く足下に長く緩やかな影を映し出す。それでも、昼間の日射しを煌々と受け、哀れなぐらいに汗をすったTシャツに、前のボタンをだらしなく開けたYシャツを薄く湿らせていく。夏休みとは名ばかりで、日々、部活活動の為に通う学校生活にももう直き終わりを告げるんだよな とじんわりと浮かぶのは淡い感慨だ。就職か専門学校かとぺらりと薄い進路指導と言う名前を持つ紙切れに悩んでいたのはほんの少し前の事。勉強と言うものからほど遠い生活をしていた自分にとって鼻から大学進学等と言う選択肢はなかったけれど、まさか、今更アイドル路線にいけるとはね、と自然口角が上がる。

履歴書を出したのは、中学生の頃だ。辞書に頭を突っ込むようにして、勉強する友人を横目に、不意に振って沸いた、目の前の路。

それでもその路に不安がないわけではないのだけれど、それでも自然沸き立つように気分は高揚する。ええ、そうなの、うちの次男がね、そんな照れくさ気な、でも、話さずにはいられないと言う風情で、掛かって来る電話に飽きたらず、親戚中に電話を掛けまくっている母の背にもいたたまれないような恥ずかしさと同時に、鼻を鳴らしたい気分になり、ここ数日、勉強しなさい、と受験間近にも関わらず、勉強しなさいと追い掛けて来る声がないのを良い事に、今日も、学校から直で、事務所に向かっているのだ。

 

「れ?」

事務所への通り道、小さな川縁をふらふらと缶珈琲片手に歩いていた耳朶の奥を震わせる小さな音に、山口は、軽く小首を傾げ、きょろりと辺りを見回した。

歩き慣れたとまでは行かなくても、何度か行き来したこの道では、聞いた事のない音だ。音というのはある意味正しくて遠かった。そう、風に乗るその旋律は、行き交う人に気付かれたくないような遠慮深さで柔らかく空気にさざ波をたてているのだ。腕時計を見たのはほんの一瞬だった。まだ、デビューした訳でも、デビューが見えている訳でもない自分にとって、『学校生活』が一番と位置づけて良い立場だ。少々、練習に遅れたからと言って、哀しいかな、目くじらを立てるようなマネージャーはいない。

素直に伸びるアスファルトをとんと蹴り、なだらかな坂になっている土手を駆け上がる。天井川って言うんだったっけ?そんな埒もないことが脳裏を過る間もなく、視界に広がるのは、某学園ドラマのオープニングを彷彿とさせる程大きくもないちょろちょろと流れる川の姿だ。そして。

そこに流れるのは、その頼りな気な水の流れよりも淡くかけそい、だが、強い意志の垣間見えるギターの生音。

ゆっくりと傾いた日射しを頬に受け、薄暮の中に浮かび上がるほっそりとした綺麗な稜線を描くシルエットに、眼を細める。

「嘘だろ」

だって、と山口は小さく呻いた。

 

 

「この子ベースが弾けるらしいんだ」

バンド組んじゃいなよ。そう、ぐいと背を押されるままに一歩すすんだ自分の目の前に、立つのは、『城島』と呼ばれる男だった。呼ばれると言っても、別に渾名でもなんでもなく、そのまま彼の本名だったのだが、人と群れる事を良しとせず、独りで居る事を好むように見える男は、自分たちの中から異物を見つけ出すのが得意な年齢の子供たちの中では、本当の意味で一人浮いた存在だったのだ。

そう、今も『アイドル』を目指すであろう少年たちが憧れそうにもない髪型を自ら好んでしている城島に、山口は、僅かに眉を顰めた。

「ども、山口達也です」

そう、ぺこりと頭を下げた山口に、どうも、と軽く頭を下げただけで、よろしくと差し出した手は一瞥しただけで、ズボンのポケットに突っ込んだ手を出そうともしないその所作に、持ったのはただ、悪印象だけだったのだ。

 

 

なのに。

今、自分は、目の前の男の横顔から視線が外せない、と山口はぎゅっと拳を握りしめた。

(後々この時の話しをすれば、城島は、『逢魔が時言うからなあ』それとも黄昏時(誰ぞ彼ぞ時)やからかなあと呵々と笑うのだが)

態と草を踏み締める音をたてて近づいた山口に、ギターの音色が途切れたのは、僅か城島が山口を認める瞬きの間だけだった。ほんのりと湿った草の上、城島の隣に、すとんと腰を下ろして両膝を抱える。一音だけの旋律がりろりろと聞こえ、やがてそれは、ゆるやかな和音へと姿を変えて行く。

 

技巧的だとか上手いとか、そんな事は、今の山口に分かるはずもない。ベースを弾いた事があると言っても、子供の手遊びに過ぎないレベルなのだ。でも。

 

澄んだ柔らかな音色は、この男自身の声であり心なのだと思った。

 

そして、ただ、音を醸し出して行く男の横顔を綺麗だと思った。

 

だから。

 

「今度さ」

わずかに途切れた音の狭間に、小さく呟く。

ん?返ってきたのは、返事ともつかぬ小さな声。

「ベース、持ってくるわ」

待っとるわ そう溢れたほとりとした笑みに、山口は、うん と小さく頷いた。

LOVE STORY 5題

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