TOKIO

音容-4-

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ほろりと溢れた一つの音が、次の音へと連なって。
一つ、二つと音が増え、生まれた音が一つの旋律に姿を変えて新たな楽が満ちていく。

 

 

ぐるりと低くはない天井を見上げながら、まだ、誰も居らぬ店内の中央で一回転すると城島は力なく傍らの椅子に凭れた。

あまりに居心地が良すぎて、目の前にぶら下がる事実さえも見失い、ただ、与えられる温もりをのうのうと貪り続けた一ヶ月間。

 

「早かったよなあ」

一ヶ月

されど一ヶ月

気がつけば言われるままに、働くことになっていた小さなライブハウス。

己の意志がないと言えばなかったのかもしれないが。

懐かしかったんや と言い訳のように言葉が落ちる。ただ、店の前を通りすぎるはずだけだった自分の耳を掠めた生音が、歪に抜け落ちた己の中のピースにすとんと嵌り込んでいた。

「アホや」

腹の底に滑り込むように響くベースの音は、まるで母の胸の鼓動のように、暖かく無償の優しさで己を包み込む。

あの音に気づかない訳がないのに。

 

どれぐらいの間そうしていたのか、突然に灯った明かりの眩しさに、暗がりに慣れていた虹彩がついていかず、城島は何度か幼子のように瞬きを繰り返した。

「随分早いね」

今日は、定休日だって言うのに と国分が抱えていた書類を店の中央に位置する机の上にぽいと放り投げた。

丁度そこは城島が初めてここを訪れた時に、座らされた席だった。

「約束の日ぃやから」

城島は、椅子に座ることなくその横にあるテーブルに凭れたまま、国分を見下ろしている。

「じゃあ、本題ね。今日で、城島さんの試用期間は済んだ訳だけど」

組んだ指の上、上目遣いの大きな瞳は、感情の揺らぎを見せることはない。

「早かったなあて、今も思うてたとこですわ」

とっ と小さな音とともに飛び出した煙草を銜える。

「お世話になりました」

「っていうことは、ここが気に入らなかった?」

「いえ、逆ですわ」

 

 

熱過ぎる音の残滓があちこちに残る空気は、今まで、呼吸をすることすら苦しかった自分と言うものを嫌になるほどに知らしめる。

「居心地良うて」

良すぎて、自分はここには居られない。否。居てはいけないのだ。

「それに、途中で問題起こしてもうたし」

「でもあの後、あの男は来なかった」

その言葉に、僅かに城島の表情が翳る。それは、本当に彼をよく知る者しかわからないぐらいの微かな変化。

「諦めたんやと思います」

居場所さえ判ったのなら、住まいを調べる等彼になら容易いこと。

それすらもせずに、あれから2週間が過ぎた今も、山口が城島の前に顔を出すことはなかった。

最後に、会えて良かったのかもしれないと浮かぶ苦笑。

「長瀬や松岡にもよろしゅう伝えてください。二人と知り合えてほんま嬉しかったし、楽しかったて」

まるで、あの頃の、何も知らずにいた自分が戻ってきたようなふうわりとした優しい時間だったと。

「そこまでここを気に入っといて、何故辞めるのか理由ぐらい聞かせてよ」

ぐっと息を飲んだ男に、口角を歪めて小さく笑う。

「でないとさ、俺だってあいつらにあんたが辞めた理由言わなきゃなんないんだよ」

あれだけ城島さんに懐いてるのに、納得するはずないじゃん  と一度机を離れた国分は、厨房から飲み物を取って戻ってきた。

一つは深い色に白が滲む珈琲と、もう一つは透き通る琥珀色のレモンティー。

舌に絡むほどよい甘さはほろりと溶けた蜂蜜の味。

 

「人を殺した言うたら信じはりますか?」

昨日は雨だった そんないつもと変わらぬ口調で、妙に物騒な事を温和な表情で呟く男を眇めた眼がじろりと睨む。

「何年?」

「5年、ていうか、時効成立してる程の年齢に見えます?」

「15年だったけ?」

「今は、25年やけど、5年前は、せやね15年やろか」

尻のポケットに突っ込んでいるらしい携帯に伸びる指先に、城島がからから楽し気に笑う。

「警察にお世話になるような殺しやないですけどね」

ぽつりと炎が灯り、銜えただけの煙草が本来の姿のように紫煙を漂わせていく。

「せやけどなあ、ああ言うのも自殺幇助言うんやろかなあ」

 

「ええ加減にせえや。もう、自分とは一緒にやってかれんわ」

発端は些細な意見のすれ違い。

「どこへでも行ってまい」

知らず知らずのうちにベクトルの違った己の音楽性と彼の音楽性。

一人はプロとしてのより高みを目指し、一人は己の趣味としての技術を磨く。

感情を叩き付けるようにバタンと閉じられた扉の向こうに垣間見えたのは見開いた瞳と、次の瞬間に何かを堪えるように歪んだ表情。

 

傷つけるつもり等微塵もなくて。

ただ、自分は、羽搏きたかっただけ。

己の音を追求したくて。

気が付けば己の理想を自分ではない誰かに押し付けて。

振り返る事もせずに、相手の気持ちを慮る余裕もなくて。

「シゲ、言い過ぎ」

そう、肩を叩く腕さえも顔も見ずに振払って。

 

その夜遅く、一人の男が死んだのだと聞いたのは、翌日のバイト先の事務所でだった。

 

自分の吐いた無意識の一言が、一人の人生を狂わせて、挙げ句その命を奪い去る。

この世には、あまりに容易く、あまりにも重すぎる罪があるのだとその時知った。

 

「何も考えんと、自分の言う事だけが正しい顔して、僕はあいつから音楽ばかりか命までも奪ってもうたんや」

そんな僕がのうのうと暮らして行ける訳ないやろ 伏せられた睫毛がふるりと揺れて、立ち昇る煙草の煙を琥珀の虹彩が追い掛ける。

「せやからな 山口」

僕はここにおったらあかんねん 開かれた厨房へ続く扉に剥けられるのはほとりと溢れた透き通るような微笑。

「知ってたんだ?」

「よう考えたら変な事多すぎるやん」

初対面の、素性もわからない胡散臭い男をあっさりと、いくら試用期間とはいえ、雇う店。

「まあ、流石に、自分が店長やとは思わんかったけどなあ」

気付かなかった自分が愚かだったのだ。

この店の入り口で、洩れ聞いた音に惹かれた理由等、あまりに単純であまりに切ない。

「自分の音、優しすぎるわ、ぐっさん」

支える音は力強いくせに、と俯いた横顔は、置いてきぼりにされた子供のように頼りなく。

「シゲ」

手を伸ばしても良いのかと躊躇うようなの背後で、泣き出しそうに歪んだ表情の長瀬と、きゅっと唇を尖らせた松岡が言葉もなく立ち竦んでいる。

 

ばん

「ばっかじゃねえ」

容赦なく叩き付けられた書類入れが、ふぁさりと沈んだ空気に紙を舞い散らす。

「アンタ何様のつもりだよ」

「太一」

唖然とした表情の山口を振り返る事なく、ぎりりと吊り上がった三白眼が目の前の城島を睨み付ける。

「自分の一言が、人の命を奪っただ?たいしたもんだよな。あんた。自分にそれだけの価値があると思ってんだ?さっきから黙って聞いてたらぐだぐだと、自惚れんのもいい加減にしろよな」

フィルターを噛み切る程に強く銜えた唇が、国分の勢いに何一つ言い返す事もできずに微かに震える。

「アンタが殺したって思ってる奴に聞いてみろよ」

「そんなん…」

「ああ、今さら出来る分けないだろうさ。でもな、アンタに言われたぐらいで自分の人生捨てる程、弱っちい奴だったのか?そいつはそんなにアンタに依存してたってのかよ」

そりゃ、まあ、山口君ならいざ知らず、激昂した己に照れたのか、ぽりと鼻を掻くと散らばった紙片を拾うかのように席を立つと、有無を言わさぬ強さで未だ言葉を失くしたままの城島を傍らの椅子に押し付けた。

「ちょっと待て、太一。俺ならいざ知らずってどういう意味だよ」

「え〜、だって山口君なら、この人にいらねえって言われたらショックで何しでかすかわかんねえじゃん」

現にさ、と綺麗な弧を描く眦がちゃかすように山口を振り返る。

「あんた、ここのライブハウスが無くなるって聞いた時、何したよ」

前のライブハウスの持ち主に無理やり頼み込んで、結局自分でここやってんじゃんよ。

「仕方ねえだろ、ここが無くなったらシゲが帰る場所分からなくなっちまうだろうが」

「山口?」

「格安で良いって言われたからな」

でなかったら、いくら俺でも借りたりしねえよ とまっすぐに己を映す瞳に照れたように頬を綻ばす。

 

「けどな、俺がここやるって言った時、一緒にここでシゲの帰り待つって言ったのはどこの誰だよ」

長瀬か松岡でしょ と嘯くと太一は、カウンター越しに恐る恐るこちらを伺う二対の目をじろりとねめつけた。

 

「俺はね、ただ、その、責任感じてさ」

「責任て、何やの?」

「見てたんだと こいつ」

「何を?」

いつもなら遺憾ともし難く発揮される察しの良さは影形もない城島に、山口がゆっくりと近付くようにカウンターの脇を擦り抜けた。

 

「アンタんとこのヴォーカルがさ、事故った日、俺、そのちょっと前にあいつ見てたんだよ」

見ている方が不安になる程の酩酊状態だったと国分は小さく苦笑する。

「負けねえからな、見てろよ。見返してやる そう叫びながらふらふらした足取りでさ、俺の前通り過ぎてった」

弾かれたように、国分を見上げる城島から逃れるかのように、横を向いて背後のテーブルに腰を下ろす。

「あいつがアンタんとこのヴォーカルって気付かなかったんだよ。新聞だって読まねえし、大体、本名で書かれたってわかるわけねえじゃんよ」

だから、3週間程後に訪れたライブハウスで、演ってねえアンタたちのこと回りに聞き込んで、初めて気が付いたんだ。

「悪かったよ。もっと早く判ってたら、あんた5年もの長い時間、無駄にしなくて済んだのにさ」

「 それって」

「そ、あいつが死んだのは正真正銘事故だったってこと」

あんたはあいつの死には何の関わりもない。

「やけど、僕」

 

ふうわりと肩を包む温もりに、戸惑うように辺りを彷徨う視線がその手をじっと見下ろして、ゆっくりと辿るように手首、肘、二の腕と不思議そうに上にあがっていく。

「山口?」

辿り着いた先にある細められた三日月のような虹彩に映る、情けない程にくしゃりと歪んだ己の顔。

 

太くしかりと固まった親指の腹が、柔らかな肉に埋まるように頬を拭い、初めて城島は涙を流している自分自身を自覚する。

「あいつが死んだ現実が大きすぎて、貴方は目の前の自分が見れなかっただけだよ」

「やって…」

支えるように後頭に滑る掌が、そのまま城島を己の胸元へと引き寄せて行く。

「もう、良いんだよ。泣いても」

ねえ、本当に貴方が哀しいと思う気持ちは何に対して向いてるのか、ちゃんと感じて、その為に泣けば良いんだよ

「僕…」

 

唐突に奪われた友人。

昨日まで確かにそこで笑っていたはずなのに、振り返ってもそこには誰も居なくて。

紡いだはずの名前が空に霧散する。

 

ぽかりと胸に開いた空洞に、ぴうと吹き込む風の音が、ただ、恐くて。

 

「ぼく」

うん、ぽんと髪に触れる温もりに、背に回した手が綿のシャツの表面に幾重もの皺を刻み、母を求める子供のように縋付く城島を髪を揺らす微風からさえも守るように、しかりと抱き締める腕の強さに、城島は絡む重みを解き放って行く。

ただ、静かに店内には城島の嗚咽だけが響いていた。

 

どれほど時間が過ぎたのか、5分か、それとも30分か。

頬を赤く腫らした顔を山口から離すと、照れくさそうに おおきに と礼を言うと国分をゆっくりと振り返った。

「やけど、なんで?国分さん、僕らの事知っとったん?」

まだ、シャツの裾を握りしめたままの拳をぽんと叩くと山口が、にやりと口端を歪めてみせた。

「覚えてね?」

俺らが遠征したライブハウスで、時々演奏してたバンドのメンバー。

「え、嘘?」

「ほんと」

一体何に疲れたのか、疲弊感たっぷりの面持ちで片肘をついていた国分が片手を軽く挙げて肯定する。

「ま、あんた、演奏してる時はどっかいっちゃってて周囲の誰も見てないから覚えてないとは思ってたけどさ」

「すまん」

やけに神妙な言葉が面映く、耐えきれずに顔を反らした先で待っていた、ぎしぎしと揺れる4つの握り拳に、国分はもう一度溜め息をついた。

 

「そんな事より、ねえ」

「そんな事ってお前らな」

ずきずきと眉間が痛むが、目の前のお預けを待つ大型犬二匹には、国分の心情を伺う余裕はない。

「そうっすよ、そんな事より、茂君、本当に、ここ辞めちゃうんすか?」

「あ〜っとそれなあ」

「辞めないですよね。俺、また、茂君にギター教えて貰えるんすよね」

また? と長瀬の漏らした言葉に訝し気に傍らの山口を見上げると、にやにやと頬を緩めたままの表情で二人の弟たちを見下ろしている。

「ここで俺らがライブしてた頃、よく近所のガキが遊びに来てただろ?」

「それは覚えとうよ」

いくらなんでもな、せやけど、と困惑を解けぬままに、必死の形相の長瀬と松岡を振り返る。

「そん中でも、特に毎日やって来ては、貴方にギター教えて貰ってたチビがいたじゃん」

「ああ、おったおった。滅茶可愛らしい子ぉやったで…って嘘やろ」

城島の驚きに構うことなく、 そ、そいつがこれ、と顎をしゃくって長瀬を差し示す。

「滅茶可愛かったのに、ちょっと見ん間にえらい男前になってもうて、おっちゃんなんか浦島太郎の気分やわ」

がっくりと落ちた両肩に、山口は追い打ちをかけるように松岡を見る。

「でね、よく俺たちの音をこっそりと覗いてた奴がいたの知らない?」

「おったねえ、こっちに来たらええのにて、よう思とってんけど」

「そいつが、松岡。こいつ、一旦は調理師専門学校に通ってたんだけど、どうしても俺たちのバンドに入りたいってんで、ドラム叩けるって宣言してここに来たんだわ」

俺たちのバンドにドラマーが居なかった事覚えててさ、健気だろ 鮮やかに片目を瞑る山口の言葉に城島は、繁々と二人を見詰める。

「ほんま、大きなって」

「何よ、自分、親爺くせぇなあ」

そう言いながらも、松岡はちらちらと国分と山口に視線をやっては、二人のにやにやとした笑いから何かを探ろうと躍起になるが。

 

「えっとさ、あんたさあ、悪いんだけど近くに引っ越して来てくれない?」

「はい?」

かりかりとペン先で顳かみを掻きながらも、国分が手許に広げている書類は今の城島の住所。

「今の話聞いてたでしょ。つまりはそろいも揃って商売下手なメンバーがここの運営してるわけだから」

「金ねえんだわ」

はっきりいって と、言葉を補う山口に悪びれた様子はない。

「つまりは?」

「交通費まで支払う余裕ないの」

あんた、こっから1時間半も掛かる場所に住んでんでしょ とひらりと紙を振り回すと城島が通り過ぎてくる駅名を羅列する。

「せやねえ、元々、今日で街離れるつもりやったから荷物は纏っとうし、アパート引き払ってもうたし」

もとより荷物なんてほとんどあらへんけどな と零れる苦笑。

「それって」

とんと城島の肩を叩くと山口が、大きな目を見開いてこちらをひしと伺っている年下二人に満面の笑顔を向ける。

「ここを辞めないってことだよね」

多少の戸惑いを見せつつも、こくりと頷いた城島に、雲から零れる陽光のように長瀬の顔が輝いていく。

「ってことは、俺、また、ギター教えて貰えるんですね」

やったー と横に居た松岡をも巻き込んで、ぐるぐると勢い良く回り出した長瀬の姿に、苦笑は思わず微笑に姿を変えるが、

「やけど、僕、今、ギター持ってへん」

突然思い出した現実にうなだれると、へしょりと眉を寄せてすまんと小さく呟くように言葉を落とした。

 

だが、

「あるよ。ギター」

へ?と小首を傾げた城島の髪をくしゃりと撫でてる山口の、貴方のギター と悪戯に成功したような表情が城島を見下ろしている。

「あの時、着の身着のままで貴方出て行っちゃったから、大家さんから俺にヘルプが来たんだよ」

で、持って来た部屋のもの と、指先は頭上の天井を指し示す。

「全部?」

「そ、ぜ〜んぶ、チューニングも弦の張り直しもちゃんと長瀬に頼んであるから、多少の癖はついてるかもしれないけど貴方が望むならすぐにでも弾けるよ」

「そっか」

「そ」

おおきに、ことりと膝に肩を預けて、ふうわりと笑み綻んでいく横顔に、山口も照れくさそうに鼻を擦る。

「そうだよ、どうせこの上には山口君が住んでるんだし、荷物入れてる部屋にそのまま住めばいいじゃん」

かちゃかちゃと何を計算しているのか、尚も一人で電卓を叩き続けていた国分が、そうだよとしたり顔で頷くと、名案じゃんと両手を挙げた。

「そしたら住宅補助の心配ないし、アパート探す必要もないし一石二鳥」

そうと決まったら、長瀬すぐに上からシゲのギター取って来い そう言った山口の掌から綺麗な弧を描く鈍色のどこかアナロジカルな綺麗な鍵。

「ちょ、ちょお」

「貴方、5年間、一回も弾いてないんでしょ?」

文句言える立場じゃないでしょ とんっとそのしかりとした姿形がいとも軽やかにテーブルから飛び下りると、山口の足は既にステージに向かっている。

「今から特訓だからね」

「そうそう、それにあんた、俺のドラムの腕前知らないでしょ」

今からたっっぷり聞かせてあげるからね と瘤を作った二の腕を叩いた松岡を人の悪い笑みがにやにやと見上げる。

「だよな。この人に聞かせたいからって、この一ヶ月お前今までにないぐらいすっげえ頑張ってたもんな」

煩いよ 太一君 途端に尖った唇のまま、ふいと横を向くと赤くなった頬をそのままに踵を返す。

「そうだな、時に走り過ぎるドラムの音に釣られないように貴方にもなれてもらわないといけないしね」

ひどいよ兄いまで と然程高くもないステージに飛び上がると、松岡は拗ねたようにしゃんとシンバルをスティックで叩いた。

その隣では既に国分がキーボードに掛けられていたカバーを外しはじめ、山口の指は、次々とアンプのスイッチをオンにして行く。

「なあ、そないに焦らんでも、長瀬おるやん」

「何言ってるの、昔から本当に人の話聞いてない人だよね。貴方って」

展開の早さについて行けず目を白黒している城島を余所に、ぽっと天井に灯るライトが、綺麗な円形にステージを照らして行く。

「長瀬はメインヴォーカルで、リードギターじゃない」

「そうそう、大体あいつ歌詞覚えるのでも精いっぱい、謳い出したら指先はお留守だし、コードは間違えても気が付かないし」

「ほったら、今までどないしとったん?」

ギターのおらんバンドやて、珍しいなんてもんやないやろ? ほとほととステージの手前で立ち止まった、どこか眩し気な眼差しのまま自分達を見詰める柔らかな虹彩を受け止めて。

「ま、長瀬が頑張ってくれてたけどさ」

それでも、と 肩からベースのベルトを掛けた山口が、面映気な面持ちで振り返った。

 

「持ってきました」

壊れる程に勢い良く開かれた扉の向こう側。

差し出された懐かしいギターのボディーに、細められた琥珀色の瞳にほとりと光が灯る。ほんの今さっきまで、躊躇いを含んでいた頬の肉がきゅっと引き締まり、まっすぐに伸びた指先が、腕に馴染む重みをしかりと抱き寄せる。

 

待ちわびたように、たん たん と微かなリズムを刻み始めるスティックの音。

甲高いメロディーラインを奏で始める鍵盤の音。

 

「これ」

「覚えてるでしょ」

あの頃の俺たちの定番曲。

「シゲ」

まっすぐに差し出される掌に、城島の手が重なって、引き寄せられるままに一段高いステージの上へと引き上げられて。

 

一つの音に、また一つ、ゆっくりと深みを増して行く音と音。

震える左の指がコードを押さえ、強張った右の指が弦を弾く。

 

肩が触れる程の距離で聞こえるベースの挟間、おかえり そう聞こえた声さえも、和音を奏でるやさしい音になる。

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