TOKIO

音容-1-

リクエスト:由佳様
リセッタ:現実設定 トラウマを持つ茂くん。テーマが“赦し”

-->

今から遡る事、丁度5年前の今日、一人の男が死んだ。

日付けが変わる境目の時刻に起こった足下の不安定な道端での転落死。

自殺なのか、はたまた事故なのか、判断のつかない死。

場所柄の為か、それとも事故の起こった時刻の所為か、警察は躍起になって目撃者を探し、被害者の足取りを洗ったが。

結局、捜査の介なく、何の手がかり一つ見つかる事もかったその事件は、結果、男の酔った挙げ句の転落事故ということで片付けられた。

 

だが、その二日後、命を落とした男が所属していたバンド仲間の一人が姿を消した。

 

 

 

 

少し蒸し始めたどこか湿ったような夏の匂いが混じりはじめた空気の中、少し時期外れの薄茶色の古びたジャケットを羽織った一人の男が細い裏路地を歩いていた。

 

一年で最も夕暮れが遅いこの時節、仕事を終えたらしい人々の流れは増えたと言え、未だ、明かりの灯る店は数少ない。

「えらい変わってもうたんやな」

久しぶりに足を向けた街の風景は彼の記憶の底に残る姿からはほど遠く。

細められた琥珀を思わせる薄茶色い瞳が、ゆっくりと辺りを見回した。

 

十年を一昔と言ったのはいつのことか、この街はほんの一年、横を向いていただけで浦島太郎になってしまうスパンの短い場所。

「なんで来てもうたんやろう」

ここを離れて五年。

過去を

記憶を

思い出を

己と言う一欠片の存在さえも消すかのように、ただ、頑に耳を塞いで過ごし続けて来たというのに。

 

こん、小さく弾けるような音は、男が蹴飛ばした小石の悲鳴。

理不尽に追いやられた冷たい石の上に、ことりと落ちて、己の力では柔らかい土の上に帰る事ができずに溢れた微かな声。

 

両手をポケットに突っ込んで煙草を口端に銜えると、確かめるように目の前の小さなビルを見上げた。

色を替えた薄汚れた壁、名も知らぬ小さな看板。

営業時間さえもあの頃とは違うらしく、オシャレなライトには光は灯っていない。

あの頃の面影を残すのは、その土台のみ と自嘲的に上がった口端で銜えた煙草が小さく揺れる。

 

諦めたはずの場にしつこく訪れた己の中に澱む行き場のない水の音。

 

短期間の仕事やバイトをただひたすら繰り返す日々。

何かに祈るかのように伏せられた瞼の裏に今も痣やかに蘇る面影に、

「阿呆やなあ」

思いを断ち切るように返した踵がふと耳朶に触れた音に惹かれたように立ち止まった。

 

「だ〜から 今度こそガセじゃねえだろうな」

山口は傍らにベースを立てかけると、素早く椅子の上に放り出していた上着を取り上げる。その間も、しかりと握られた携帯電話での会話が途切れる事はない。

「わかった。わかったって。すぐに行くから」

傍らでキーボードに頬杖をついて、にやにやと見上げてくる国分に目配せを一つして

「おう、わかってる。間違いなかったら腹が裂けるまで飲ましてやるよ。だがな、わかってんだろうな。今度違ってみろ。お前が、俺の気の済むまで奢ることになるからな」

げっ、悲惨。

山口の言葉に珈琲を4つ乗せた盆を片手に戻って来た松岡があからさまに眉を顰める。

叩き切るような勢いで二つに折り込まれた携帯電話をポケットに仕舞うと既に用意の出来上がった山口は、座る事なく一息でアイス珈琲を飲み干した。

「じゃ、わり。また、少しの間留守するわ」

「ほい、いってらっしゃい」

「今度こそ、彼だと良いね」

「絶対見つけて連れて帰って来て下さいね」

返された三様の言葉に片手を挙げると、山口は瞬く間もなく厨房を抜けた裏口へと姿を消した。

 

深い地中に連なるような螺旋階段。

とんとん と響き渡る自分の足音に、繰り返し背後を振り返るどこか躊躇うような仕草。

だが、男は立ち止まる事なく通り過ぎた先にあった硝子の扉をゆっくりと、どこか遠慮がちに押し開けた。

「すいません。まだ、開いてないですよ」

途端に中から飛んで来た低めの鋭い声に、覗き込んだ男の肩がびくりと震えた。

「すんません」

だが、男はそのままするりと店内へと滑り込むとまだ薄暗い辺りを眼を細めて見回した。

「ええ店ですね」

「何か用事ですか?」

「いえ、その」

口角に刻み込まれた笑みは戸惑いを浮かべつつも近寄って来た男のぎろりとした三白眼に、消える事はない。

「通りかかったら、音楽が聞こえたから」

なんや、懐かしゅうて。

どこか走りがちなドラムの上に重なり合う幾つもの楽器の音。

そうぽつりと言葉を綴る男の視線は、今はすっかりと照明の落ちているステージの上にある楽器を見つめている。

「何?あんた、バンド希望者?」

頭の天辺から足の先まで、繁々といった体で己を見上げてくる鋭い眼差しに、思わず背筋が伸びたものの、男はやんわりと頭を振った。

「いえ、そうやなくて」

「なら何?」

ただの冷やかしなら、と言い掛けた言葉が途切れ、小柄な男は大きな瞳を細めると、目の前に立つどこか掴みきれぬ笑みを浮かべた男をもう一度、不躾な程の視線でゆっくりと見直した。

「もしかして」

「え?」

「ウェイターか何か希望な訳?」

最近多いんだよね と肩を竦めるとぐるりと男の背後に回る。

「この間、雑誌に紹介されたからさ」

あんたみたいな手合い。

値踏みをするような視線に小さな溜め息をつく。

「いや、せやなくて、僕は」

「ま、ちょっと年は行き過ぎてるけど」

悪くはないかもね とぐいと肩を押され、男は気がつけば、先ほどまで小柄な男が座っていたらしく書類の置かれた小さな二人がけの丸テーブルにあるもう一方の席に座っていた。

「松岡〜」

書類を捲りながらの大きな声に、ステージ横の小さな扉が開いて、ソムリエのような黒いエプロンを身にまとったこちらはひょろりと背の高い男が顔を覗かせた。

「何、太一君」

「昼間のカフェ・タイムの新しいウェイター候補」

「ちょ、ちょお」

「は?」

飛び出した否定は、太一と呼ばれた男のあげた手で軽く往なされて、松岡のひょいと驚きに上がった眉に気付かない。

「試験期間は一ヶ月。一ヶ月後、アンタがこの店で正式に働くかどうか決定するから」

え〜っとね、と取り出した一枚の紙を目の前に置く。

「試験…期間?」

「そ、もちろん、試用期間だから、バイト代は安いけどね」

了解?

にやりと上がった口角に、目の前の男は無意識のうちに小さく頷いていた。

「じゃ、とりあえず、ここに連絡先と名前記入してくれる?」

「ちょっと、太一君。兄ぃ居ない時にそんな事勝手に決めて」

「お前、昼間、忙しいから手伝い欲しいって言ってたろ」

「けどさあ」

軽く尖った唇に太一こと国分太一の軽い一瞥。

「心配すんな。店長が居ない時の店の事は俺に一任されてるんだから」

まだ、何か言いた気な松岡に、人さし指でもう黙れと合図を送る。

「履歴書とか、いらんのですか?」

書き終えたらしい紙を受け取る。

「ああ、別に学歴とか職歴とかここでは関係ないから。こんな商売は、その人となりが問題だからね、え〜っと、じょうじま、しげるさん?」

「じょうしま、いいます」

にこり 音に表現すればまさにその言葉どおりの笑みを浮かべた男、城島の笑みに松岡が喉の奥で息を飲んだ。

「え?」

思わず振り返った先は、今から20分程前に、山口が脱兎の如く勢いで店を飛び出して行った扉の向こう側。

「え?」

釣り気味の眦に薄らと皺を寄せて口角を緩めた国分の悪戯っ子のような趣味の良くない笑みに、思わず見上げた先は薄い光が灯る天井。

 

可哀想に と思わず溢れた同情の相手は、顔も見知らぬ山口の知人へのもの。

兄ぃが気の済むまでって一体どんだけ飲むんだっつうの。

 

松岡の本の少しずれた心配をよそに、目の前では、城島茂の明日からの出勤が決定していた。

シリーズ

Story

サークル・書き手