TOKIO

花灯りのその下で -4-

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きゅっと扉を押し開く。
ポケットに突っ込まれたままの薄いカードは未来へ続く扉の鍵。
けどなあ、目の前に止まったオートカーと足下の鞄を交互に見比べる。
そこにあるのは自分の望む未来かと。

 

 

 

 

 

決まったってさ。

朝、しゅんと開いた扉の向う側、通り過ぎざまに聞こえた声。

「そうかあ、この間までどっちにするかて喧々囂々えらいもめとったみたいやからな」

自分、忙しなるんちゃうの? ハード面担当の男の横顔を見る事なく、城島はキーボードを追う指を動かし続けた。

「お互い様でしょ」

 

お互い様かあ。

ゆっくりと明滅するモニタから顔を上げるとぎちりと音が鳴りそうな程に強張った肩をぐるりと動かす。

山口とそんな会話を交わしたのは、素でに一週間も前の事だった。

己を取り巻く全ての事がが目紛しいスピードで駆け抜けて行く。

ああ、まるで人が死ぬ前にみるという思い出の走馬灯みたいやね と城島はくすりと笑う。

移民先が、行き先が決まったならば、移民第一陣が出発するのもそう先の事ではない。

どうやっても現実に追い付きそうにない己の願望に襲い来るのは遣るせないまでの無力感。

「どないしたらええんやろうなあ」

なあ、ぐっさん と思わず机上に突っ伏しそうになる。

 

「まずさ、飯食ってくんない?」

だが、ぱたりと卓上に倒れ込んだ頭上から落ちて来た声に城島は、ぶんと顔を振仰いだ。

「何でおるの?」

「何でって、夜食持って来たからでしょ」

ほら、そこ退いて、と呆然としたままの城島をその場に残し、散らばっていた紙片を手早く纏め終えた松岡が、持って来たらしいケータリング用のケースから次々と皿を取り出しはじめる。

「夏だからさあ、脂っこいものは避けたんだけど」

あ、特別好き嫌いはなかったよね、と並べられたものは、ざるうどんとトッピング用らしい、色とりどりの具材一式。

「いや、あの」

「え?うどん嫌いだっけ?」

これ、コシあってすっげぇ美味いんだけど とその間にも卵に胡瓜、ウナギと飾られて行く目の前の皿。

「や、うどんは好きやけどな」

取りつく島もなく準備されて行く目の前の様子に、はあ、と肩を落とす。

「自分、どうやって入ったん?」

夜半を過ぎた人気のないラボラトリー。いつもならば城島が気付かぬうちに、松岡を招き入れる山口や国分の姿もとうにない。

「え?鍵で」

これっしょ、と大した事じゃないと言った風で、とんと取り出されたのは何の変哲もない一枚のカードキー。

もし、そのカードキーに問題があるとすれば、それが、ここ、城島を所長とするラボのものであるということぐらいか。

「松岡」

どっから手に入れたん?と等と、わざわざ聞く必要などあるわけもない。目の前の男がこれを手に入れる方法などただ一つしかない。なぜなら、カードコピーを防ぐ為にこのカードには特殊なホログラムが施されている代物なのだ。生半可な技術ではコピーなど夢の夢。逆に原本までも壊しかねないはずなのだ。

「あんなあ」

「心配してたよ」

兄ぃ と松岡はとぽぽと味噌汁を椀に注いだ。

 

これ、やるわ

それは珍しく城島のラボではなく、彼の研究室に出前を届けた帰りの事だった。

ケータリングケースを片付けた松岡の目の前に差し出されたのは銀色に輝く一枚のカードキー。

「これって」

「ここ、つうか、シゲんとこのラボの鍵」

「アンタ、一体何考えてんのよ」

国立研究所という冠を持つこのラボが何の研究をしているのかは松岡は知らない。

だが、何やら重要な研究をしているんだろうなあ ぐらいの確識はある。まあ、元々山口達と知り合ったのだって、店によく飯を食いにくるありがたい客と店員という間柄に過ぎなかったのだから。

なのに、今目の前で笑みを浮かべている男は、国家レベルなみの機密がぎゅうぎゅうに詰まったラボへのキーをあっさりと自分に渡そうと言うのだ。

そんな松岡の戸惑いに、豪快にざくりと肉にナイフを突き立てた山口が薄い笑みを浮かべる。

「あの人がさ、笑うんだわ」

お前や長瀬といると屈託もない、だが、どこか優しい笑顔になるのだと眼を細める。

「何、言ってんの?兄ぃや太一君と居る時だってあの人ちゃんと笑ってるじゃん」

気のおけない彼等の関係に、自分が何れ程憧れているか等、口には出す事はないけれど と松岡は拗ねたように唇を尖らせた。

「おう、それは付き合いだけは長いからな」

あの人がここに入ったのを追い駆けるように俺が入ったわけだし、と毟ったパンを咀嚼する。

「だったら、アンタたちが居る訳だし、何もこんなことしなくっても平気じゃん」

僅かに眉を上げて、いらねえの?と聞いてくる男に、そりゃね、貰えるのは嬉しいけどさ と横を向く。

「駄目なんだよ、俺じゃあさ」

俺たち、俺や太一がどんなに望もうともシゲにあんな楽しそうな笑顔は与えられないんだわ、自分はあの人と同じ側に立って居るからな と山口は小さく笑った。

「けどさ、お前や長瀬は違うだろ?」

あの人にとって、お前たちは何ものにも捕われる事のない大事な存在なんだよ。悔しいけどさ、と最後に聞こえたように思うのは気の所為だろうか。

「だから、頼むわ。たまにで良いからあの人に会いに来てやって欲しいんだ」

そんな事 と松岡は唇を噛み締めた。

「莫迦、そんな顔するなよ」

そう笑った山口のどこか寂し気な表情が何故か胸に痛かった。

 

「アンタがさ。最近忙しいって言っては、夜、家にも帰らないし、碌に飯食ってないんじゃないかって」

だから、こうやって俺が出前頼まれたの と松岡は傍らの箱をぽんと叩いて見せる。

「あいつは、もう」

変なとこで心配性やねんからなあ と綻ぶ笑みに、ああ、なんだ と松岡は緩く眼を細めた。

全然大丈夫じゃん。俺なんか居なくともこの人は大丈夫、と軽く唇を尖らせる。

「とにかくさ、当分の間、アンタの飯は俺が責任持つからね」

それでも、もし、こんな自分でもこの人の心の端の支えになることができるのならば、喜んで此処を訪ねよう。

「なんやねんなそれ」

くすくすと笑いながらも城島は、おおきになあ と柔らかい微笑を浮かべた。

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