かっ かっ かっ
静かな岩場に、半日以上もの間一秒たりとも途切れる事なく響き渡っていた甲高い音がひたりと鳴りを潜めると大地に蹲っていた影が一つ陽光を仰ぐように空を見上げた。
惜しげもなく降り注ぐ眩いまでの光を帯びて、灰色の大地に落ちる長い影。
天に翳すように真っすぐ伸びた指の先、透き通る光は薄い影を幾重にも描き出し、男を包むように舞落ちるは綺羅と輝く金の渦。
ああ、やっぱり と男は綺麗な形の口角をきゅっと窄めると、手の中の小さな塊を腰につけていた麻の袋から取り出した玻璃の小瓶にそっと滑り込ませた。
衝撃を受けてからりと揺れる玻璃の中、小さな欠片を失くすことのないようにと、男はコルクの蓋でしかりとその小さな口を閉めた。
ざんとひいては打ち寄せる波の音に包まれた街の外れに建つ小さな一軒屋。
男が動くたび、本来ならばさくさくと聞えるはずの土の山を崩す足音は、踏み締めるたびに哀れなまでに揺れる青い芝草に吸い取られ、風の響きと波の音だけが変わる事なく辺りを揺らす。
だが、そんな優しい日常の風景を一瞥する事もなく、山口はただ黙々と天井に不似合いな程に四角く大きな太陽電池を取り付けたワンボックスカーの白いボディを乾いた布で丁寧に拭き取っていく。
ぽつりと額に浮く汗に、時折零れる喉の奥の息。
赤茶色の屋根と白い漆喰のどこか愛らしい佇まいを見せる家の中では、先ほどから僅かな興奮を隠せない声が漏れ聞こえてくる。ふと、その内容にほんの少しみ耳をそばだてたものの、山口はすぐに興味を失ったのか、軽く開かれていた瞳は、ふるりと揺れると何事もなかったかのように目の前の車へと戻っていった。
「随分、熱心じゃん」
からりと開いた扉の音に重なった声に、そうか? と軽く言葉を返したものの、山口はその手を止める事はしようとしない。
「ここ数日、ずっとそいつ磨き続けてるって聞いたけど?」
松岡が心配してるよ とそんな山口の態度を気にする風もなく、顔を覗かせた軽いウェイブの掛かった黒髪を持つ小柄な青年は、裸足のまま庭に降りた。
途端に降り注ぐ強すぎる陽射しに、顔を顰めながらも傍らの小さな箱の上に腰を降ろす。
「先刻さあ」
軽く空に浮いたまま揺れる両足の先を自らゆっくり追い掛ける視線。
「長瀬がまた探してきたみたいだよ」
いまだ聞こえてくる嬉しげな声に軽く肩を竦めてみせる。
「そうみたいだな。ここまで聞こえたよ」
隣町の公園だってな と口角を綻ばすと、漸くゆっくりと伸びをするように背を伸ばした。
「全くあいつも暇だよね」
口では呆れたような言い方ではあるが、細められた眼差しにほろりと浮かぶ優しい色に、山口も先ほど聞こえたやり取りを反芻するようにゆっくりと眦を綻ばした。
「見てくださいよぉ」
勢い良く扉を開けた開口一番の長瀬の声がそれだった。
「お前なあ、まずは、ただいまだろ」
どこへ行っていたのか、朝餉のすぐ後から姿の見えなかった長瀬の嬉しげな表情に、手の中の本をぱたりと閉じると国分は軽く上目遣いの三白眼で長瀬を睨みつけた。
いつもならそれだけで叱られた犬のようにへしょりと泣きそうな表情になるのだが、今日は赤らんだ頬が象徴するかのように大きすぎる興奮は収まる事がないらしく、そんな事よりと珍しく国分の言葉にかぶるようにいらえを返す。
「ほら、これ」
リーダーの欠片ですよ と大事そうにポケットから取り出された白い綿のハンカチ、広げられたその中にころりと転がるように透き通ったエメラルドグリーンの欠片が現れる。
室内の蛍光灯の下でも薄く反射するその幾重にも細かくカットされたようなラインは、その優しい色合いからは一見驚く程に鋭利であり、だが、同時にどこか柔らかい光を纏っていた。
「すげえじゃん。お前、これ、どこで見つけたんだよ」
最近見せられた中では、特に大きな部類に入るその欠片に、ただでさえ普段から大きな国分の瞳が零れ落ちそうな程大きく見開かれる。
「えっとですね」
そんな国分に、へへん と鼻先を擦りながら、隣街との境にある小さな公園の花壇の所です と嬉し気に笑みを零す。
「すっごい綺麗でしょ」
そう言いながらも、窓枠に並べてあった空の硝子瓶を手にとると、綿を摘むような繊細な手つきで欠片を瓶の中にそっと落とした。
「見つけた時ね、すごい優しい音がしたんです」
ギターの音色? と訪ねるような語尾に、国分がげんと長瀬の臑を蹴飛ばした。
「んなこと、俺がわかるわけないだろ」
ひどいっすよ、太一君 とくしゃりと歪んだ顔をぎっと睨みつけると国分はすっかりと興味を失ったかのようにふいと横を向き、傍らに放り出していた本を手に元居た場所に座り直した。
その傍らでは、大きな掌の上、そっと乗せられた瓶を眺めては満足そうに目を細める横顔を見上げると軽く肩を竦めて、再び視線を文字の上に落とした。
「一昨日、松岡が見つけて来た欠片は空色だったっけ?」
一つ、二つと指を折りながら数えていく名前の中に目の前で、依然、表情を変えずに車を磨き続ける男のものはない。
「ここ2週間程山口君見つけられてないみたいだね」
その前はなんか、山の方にばっかり行ってたって聞いたけど、と庭の隅に置いてある冷蔵庫から勝手に珈琲の缶を取り出した。
それでもこっちを振返ろうとしない男の背に、無言のままきんと冷えた缶を放り投げる。
「もう辞めたんだ?」
欠片探し と振り向き様に受け取った珈琲を片手に、ゆったりとした仕草で汗を拭う男の横顔をちらりと見上げる。
「山口君、元々飽き性だもんね。流石に3年も捜し続けてたら嫌にもなるか」
冷たい心地よさの中、微かに舌に残る甘みに軽く眉を顰めながらも、こくりと珈琲を喉の奥に流し込みながら、言葉と言葉の間合いを図るように、暫しの沈黙の後、国分は再び言葉を落とす。
「3年は長いよね」
うん、よく保ったもんだ と眉月よりも細められた瞳と綺麗な弧を描く口角。
「あの人が出て行って、俺、山口君もすぐに後追うかと思ってたよ」
そう言うと、山口が立つ場所から真逆の方向に、国分は視線を移した。
そこにあるのは長瀬が見つけて来たエメラルドグリーンの欠片の入った瓶が置かれたばかりの木製の棚。
月に生えていた桂の木を切り倒し、丁寧な設えで作り上げられたその棚は、目の前で小さな缶を傾けている男の手によって細工されたものだった。
「けど、結局、山口君はここを出て行かなかったんだよね」
その代わり、あの人の欠片を捜しはじめた と棚から小瓶を無作為に一つ取り上げると空へと放り上げる。
「なんかさあ、らしくねえなって思ってたんだけどさ」
山口君、考えるよりも行動するタイプだと思ってたからさ と、放物線を描きながら空を舞い降りて来た玻璃の瓶を受け止めたのは構えられていた手ではなく、国分の視界を遮るように伸びて来た山口の掌だった。
「けど山口君、欠片の見つけ方なんて良く知ってたね」
その指先の中、陽光に透かすように掲げられる瓶の軌跡を国分の視線がついと追う。
この3年間もの間、ずっと聞きたくて聞けなかった疑問の一つ。
「シげだよ。欠片の事を俺に教えたのはあの人だよ」
「え?」
「あの人が出て行く時、俺が聞いたんだ」
3年前のあの日、まだ、朝靄の立ちこめるけぶるような視界の中、目の前の玄関の扉が辺りを憚るようにそっと開かれて行くのを、山口は門扉に凭れ、腕を組んだまま睨みつけていた。
人がやっと滑り抜けるだけの空間ほどで動きを止めた目の前の扉。
肩に掛けられた大きくもないボストンをしかりと腕で押さえながら、只管廊下の奥を気にするように現れたのは、後じさるような仕草の僅かな曲線を描いた薄い背中。
普段のこの人からは、想像だにできぬほど繊細な動作は、山口の目の前で音一つたてる事なく扉を閉めていく。
ぱたんという音に、ほっとしたように力の抜けた肩、それでも扉を見つめる瞳は薄い漣をたてるように揺らぎ、ゆうるりとした波を描く髪が彩るのは心許なさそうな影を映す横顔。
ふうと小さな溜め息の後、こつりと額を扉に押しつけて。
「ごめんな」
伏せられた瞳のまま地面に落ちて行く小さな謝罪。
「謝るぐらいなら初めから出てかなきゃいいだろ」
目の前の人が自分に気付くまで、言葉を発するつもりなどなかったのに、気が付けば心の言葉が空気を震わせていた。
「や」
背後からの突然の声に城島が振返るよりも先に、その薄い両肩を山口の両掌が掴むように扉に縫い止める。そのまま、僅かな背の差を表すように絡む視線の位置は山口の視点を斜めに纏い上げた。
「気付かないとでも思ってた?」
この半月ばかりの貴方の行動 と頬に浮かぶ笑みとそれに反するように怒りの孕んだ眼差しに城島はきゅと唇をすぼめて視線を逸らす。
「なんで出てく訳?俺たちの事が嫌いにでもなった?」
「そんなわけないやん」
「なら、好きな女でも出来た?」
「ちゃうよ。それやったら自分に言うとるわ」
ぎりぎりと己を見据える視線に苦笑を浮かべると、なあ、とぽんと両肩に掛かる甲を軽く叩いた。
逃げへんから 手離してえな と情けなさそうに笑う城島に山口は一歩だけ後じさったが、食い込むような力は抜けたものの、未だ触れたままのぬくもりが城島の肩を捕らえている。
「どないに頑張ったかて、僕、自分に叶う訳ないやん」
心配せんでも腹殴って一目散に逃げる なんて芸当できるわけないやろ と言うと腕に掛けていたボストンをとさりと地面に落とした。
「シゲ」
しゃあないなあ と城島は溜め息にも似た吐息を吐き出すとそのまま山口の背後の空を見上げた。
「ここは、ほんま気持ええ、居心地ええで」
そう言うと城島は、軽く身を捩って然程大きくはない家を振返る。
「なら、何で」
柔らかく温かな空間は現実と呼ぶにはあまりに心地よく、目を開ける事さえ叶わずただ微睡むように漂う己を包み込む大気は母の子宮のようだと城島は薄く笑う。
「気持良くて、ここから一歩も出られへんようになりそうな自分が恐なったんよ」
温かな部屋、おいしい食事。
ふと振返れば、真っ直ぐに向けられる優しい笑み。
ほんの少しつまづいただけでも、四方から差し出される温かな掌。
当たり前のように目の前にあるから、忘れそうになると。
「ほんまはものすごい事やのにな」
淋しいと泣く子を抱き締めるその腕も、お腹が減ったと叫ぶ人の前に出される温かな食べ物も、温もりを捜して振返る己に向けられるその笑みも。
そこにあるのが当然のように受け入れて、傲慢なまでに己のものとして自分はここで息をし続けている。
「やからな、恐なったんや」
山口達に出会う前の自分は何をしていたのだろうかと。
覚束無い足元をただ倒れないようにとふらふらと歩き、日々の糧を手に入れて、呼吸さえも喘ぐような生を送っていたひとりぼっちの自分はどこにいるのだろうと。
「自分に出会うて一緒に住みはじめて、気が付いたら太一らも一緒におって」
いつだって誰かしら隣に居る綻ぶような陽光に包まれた眩い日の当たる場所。
「けどなあ、いつまで一緒におれるんやろうてそう思うたら、急に恐なったんよ」
この幸いを突然に奪われる恐怖 とどこか切ない色を帯びる虹彩。
「なんで、そんな事考えるんだよ」
だがそれさえも奪うようにぎりりと睨み付ける眼差しの色の強さに城島は目を細める。
「僕な、弱虫やねん」
人の温もりを知った今、それを失ってしまったら、自分は一人で生きていけるのだろうか。
否、ごう慢で幸せな時を知った自分は、一人の呼吸の仕方さえ、今はもう憶えていない。
与えられるべき空気を奪われて、震える手足を温めてくれる光が消えて、いつしか、自分の中にある炎も消えるだろう。
「やから、一人でもちゃんと立ってられるようにならなあかんて思うて」
やから、すまん と頭を垂れる。
「そんなの勝っ手だろ、勝っ手過ぎるよ。貴方」
貴方を失って、呼吸を奪われるのは貴方だけじゃない。
「勝手に自己完結して、貴方はいいよ」
でも、と俺はどうなる? と叫びそうな言葉を山口はかろうじて喉の奥に飲み込んだ。
「彼奴らに、そう、彼奴らに何て言うんだよ。松岡たちがどんなに貴方を必要にしてるか、シゲは分かってる?貴方が来るなって行っても、彼奴ら居なくなったシゲの後追い駆けるって大騒ぎするに決まってるだろ」
その言葉に、ふと困惑したような笑みを浮かべた城島はふと目の前の空間をそっと両手で捕まえた。
「シゲ?」
「これ、やるわ」
触れる程の目の前でふうわりと咲き染める花のようにゆっくりと開かれた掌の中、
「人はな、どんな場所で、どんな風に生きとってもそこにおったっていう欠片を残すねん」
ころりと転がるは艶やかな光を放つ瑠璃の石。
「僕が呼吸をした分だけ、この世界には僕の欠片が散らばっとる」
これは、と照れくさそうに瑠璃色の破片を山口の手の中にほとりと落とした。
「これは、今の僕やね、偉そうな事言うても」
細められた眦に一つ浮かぶ綺麗な雫をぐいと親指の付け根で拭い取ると、城島はほろりと笑みを浮かべた。
目の前で綻ぶ東雲のように淡い笑み、掌の中で恐いと脈打つのは小さな欠片。
「貴方、莫迦だよ」
「わかっとうねんけど、今の僕は自分らに守られ過ぎやから」
いいじゃん と目の前の肩口に額を押し付ける。
守られてなよ そう言い募る山口には分かっていた。
何れ程両手を伸ばそうと、この薄い体を抱きしめようと、目の前の男の意志を変える事等できはしないのだ。
「ずるいよな」
「山口」
そっと頭部に触れる指先は、戸惑いながらもゆうるりと慰撫するように優しく山口の髪を梳いていく。
「俺、彼奴らを押さえる気ないからね」
欠片の事は言うけどさ とその背に両腕を回して、強くその温もりを抱き締めたのはほんの一瞬の事。
城島が何か言い募る前にその手をそっと解く。
「待たないからね」
「うん」
「子宮から飛び出して、外の世界を見て、満足したら」
「帰ってくるわ」
待たないと言いながらも、それでも、帰ってこいと言う山口に城島は、ふうわりと笑みを一つ浮かべると、バッグを拾い上げた。
「一応は止めたんだ」
へえ と驚いたような声に、
「まあ、一応はな」
憮然とした表情のままぽりぽりと鼻先を掻く山口に国分は深いため息を一つ、二つ、三つ立て続けについた。
城島が姿を消した朝の騒ぎは未だに昨日の事よりも克明に憶えている。
今にも家を飛び出そうとする長瀬と、平然と城島が出ていった事を告げる山口を信じられぬような面持ちで見つめていた松岡。
なんで どうしてだよ と国分でさえも叫び出したい気分だったのだ。
今朝の天気を話すように城島の事を伝える目の前の男が、何れ程の思いで城島の背を見送ったのか、今となっては図る術等ありはしない。
「あの日からだっけ?あの人の欠片探しが始まったのは」
「まあな」
掌サイズの小さなハンマーと数百にも及ぶ硝子の瓶を部屋中に広げて、山口は、最初、家の中を走り回ってあの人の欠片を瓶に詰めはじめた。
次の日、山口は庭の中を隈無く歩き回った。
そのまた翌日は、あの人のよく行くコンビニまで足を伸ばした。
両手を伸ばす度、小さなハンマーを振り上げる度に、一つ、また一つ窓枠に増えていく小さな瓶の数。
朝の青い光が差し込むたびに、リビングのフローリングは幾重もの光の渦に包まれていく。
「夢中だった」
ギターを手にしたあの人の影。
猫背を気にしながらひょこひょこ歩く後ろ姿。
庭のハーブを嬉しそうに見つめる横顔。
優しい笑顔、歌う声、微睡む夢、怒った声、拗ねた子供のような表情、そこにあるのは無数に広がる城島 茂という欠片。
「その中にさ」
哀しんで震えてる心や怯えてる表情、淋しい笑みがあるの知ってたか と軽く首を傾げて振返る山口に国分は淳に頭を振った。彼の知る城島の欠片は怒っていてもどこかいつも温かくて優しい強さを漂わせているものばかりだったから。
「すごく透き通ってて今にも消えそうなんだけど」
とポケットから取り出した小さな欠片を国分の方に放り投げて来た。
その中にあるのはからんと音さえもしない程に小さいティアドロップ。
「これ」
「小さいだろ?空気から掘り出した後、そのままにしてると瞬く間に消えちまう」
俺と出会う前の茂君 と山口が薄い笑みを浮かべる。
「それこそ、家中、街中の空気の中を隈無く掘り起こしていったよ」
知り合って10数年 とポケットに両手を突っ込んで見上げる雲の向う側、山口のその黒目がちな瞳には城島が見えているのだろうか と国分はその横顔をぼんやりと見る。
「あの人の事全て知ってる気になってた」
人を笑わせようとするくせに真面目な程に不器用で、傍で見ていたら放っておけなくなって、出会ってすぐにあの人の家に転がり込んだと細める視線の中に目の前の自分はいない。
「出会うまでのあの人の時間って言うものがこんなに重いなんて知らなかった」
向けられる優しい笑顔。おっとりとした特有の話し方。その裏に隠されていたあの人の壊れそうに儚い素顔。
「それでも、あの人に会いたくて、知りたくて」
気がつけば3年 と頬に浮かぶのは不思議な笑み。
「この間、山に探しに行ってたのはこれ」
指先で玩ぶもう一つの欠片に国分は不思議そうな表情を浮かべた。
「うん、そう、これは茂君じゃない」
覗き込む仕草にそっと差し出された掌の中、転がる黄みがかったうす茶色い鉱石。
「琥珀」
「コハク?」
「そ、数万年前の樹木の樹脂が固まってできた化石」
へえ、と指先で摘まみ上げると国分が物珍しげにくるりと回す。
「ずうっと前にさ、あの人が読んでた本にあったんだよ。その時に思ったんだわ」
あ、シゲの瞳の色だって
「ああ、そう言われればそうかもね」
「幸せを齎す石とか言われてて、大地の温度に一番近い化石って呼ばれてるらしい」
太古の記憶をそのうち深くに刻み付けた透き通る薄い石。
一見冷たくさえ思えるその内に、ふうわりとした温かさと山口が微笑を浮かべる。
「ずっと、シゲに近付きたくて、欠片を捜してたけどさ。どれだけ沢山見つけても、それは何れだけ見つけても、どんだけ集めても欠片なんだよなあ」
どれ程綺麗な色をしていても、優しい形をしていても、そこにあるのはあの人が通り過ぎた跡に過ぎない。
僅かに燃え残る声が聞こえても、触れた刹那の温もりも、それは城島ではない。
「琥珀と同じ」
譬えどれ程美しく珍重されようとも、透過する光の中、そこに垣間見えるものは、触れる事すらかなわぬ遥かなる夢幻。
「会いたいと思った」
声に含まれる豊かな感情を、笑みに浮かぶ温かな色を、その肌の熱を確かめたいと。
「山口君が出ていったら、今度はあの二人が山口君の欠片をそこら中から掘り返すよ」
「かもな」
家の中、庭の先、果ては山口が通う海辺の波しぶきさえも、彼等は幼子のように泣きながら捜すだろう。
「で、全てを掘り尽くしたら、今度は松岡が二人を追い駆ける」
俺と長瀬じゃ、松岡の重しになんないよね と背後についた両腕に体重を預ける。
「松岡が出ていったら、きっと長瀬も出てく」
松岡の欠片を捜して。マボ飯かな と冗長げな瞳がくるりと動く。
「で?お前はどうするの?長瀬が出てったら、今度は太一があいつの欠片捜すのか?」
「冗談でしょ」
俺は欠片なんて捜さないから と国分は口角をきゅっと天に向けて綺麗な笑みを作ってみせた。
「長瀬が出てったら、俺も出てくよ」
ひょいと上げられた眉に浮かぶ眉月の笑み。
「仕方ないよ。あの人に頼まれてるからさ」
長瀬の事 と。
「シゲに?」
「そ、出てく1週間程前だったかなあ」
なあ、太一 とプランターに植わったハーブの葉を摘みながら、振返ろうともせずに城島が声を掛けて来たのは。
「何だよ」
庭先に吊るされたハンモックに身を預け、ふらりふらりと心地よく揺れながら、ぱらりと視線が追うのは、今にも犯人が明かされようとする山場だった。
「長瀬の事頼むわ」
「は?アンタ何言ってるの?」
だが、そんな事は知らない城島は、
「僕がおらんでも、自分おってくれたらあの子も大丈夫やろ」
と国分の心情にもおかまいなしで勝っ手な事を言う。
「冗談でもお断り」
だが、はらりと手を振る国分に、ふうわりと笑みを浮かべると
「これ、松岡に渡してくるわ」
ほな、頼んだでと、返事を待つ事もせず硝子の向うに消えていく背。
「おかげでさ、犯人当てどころじゃなかったっつうの」
ま、それがさっきも読み返していた本だとは言わないけれど。
「流石、シゲだよな」
そりゃ、適材適所だわ と国分の渋面に構わず、山口がからりと笑う。
「何言ってるんだよ、大体そう言う事なら山口君のが適任じゃん」
「俺に言っても無駄だからだよ」
譬え、長瀬を頼むと言われても、松岡を見ていろと言われても と向けられた瞳に浮かぶ
「俺はシゲを捜しに行くよ」
それは揺るぎない意志。
「三対一でも叶わないか」
「仕方ないでしょ」
がらりと団吉と名付けられている車の扉を開くとそこに置かれていた麻の袋を肩にひょいと担ぎ上げた。
「あれ?それで行くんじゃないの?」
「行かねえよ」
「それで、整備してたんだと思ってた」
「俺が居なくなったら、当分整備してもらえないだろ」
シゲもこいつ気に行ってたしさ、帰って来た時動かなかったらなんかあの人拗ねそうだし とその白い扉をそっと撫でると、勢い良くスライドドアを閉める。
「んじゃ、後頼むわ」
「もうじき、昼だけど、飯食ってかないの?」
マボ飯 と振返るその鼻先をくすぐる醤油の香りに鼻が僅かに揺れる。
「う、確かにマボ飯は抗い難い誘惑だけどな」
「本当にそれで辞めたら、俺等マボ飯以下じゃん」
その言葉に、どちらともなく零れる苦笑。
「アテはあるの?」
「当然」
俺がこの3年間何してたのかは、良く知ってるだろ と返される満面の笑み。
「あの人の欠片を追ってくさ」
と、 虚空高く放り投げるは琥珀の欠片。
思わず国分がその軌跡を追うように受け止めた視線の先には、山口の姿はどこにもなかった。
「流石シゲね」
琥珀と共に掌に落ちて来た小さな鍵は、山口の部屋にあるクローゼットのものだった。
ゆっくりと 押し開いた棚の奥、ずらりと並んだ光の渦を見上げるように国分は山口の寝台の上に寝転がる。
「まあね、そこんとこは認めるよ」
多分、と零れる自嘲的な笑みを浮かべる自分を見下ろす城島の欠片達。
山口が掘り当てた城島の哀の色。
もし、あの時、長瀬と言う名の邪気のない錘りを与えられていなかったなら、山口よりも先に家を出たのは間違いなく自分の方だった。
「ずりいよ」
あんたも、山口君も と熱くなる喉の奥に、鼻をすする。
何れだけ欠片を見つけても、ここに彼等は居ないのだ。
そして、城島は知っていたのだ。恐らく。何をおいても彼が自分を追い掛けてくるであろう事も。裏を返せば、追い掛けて来て欲しいと望んだからこそ、彼には仲間と言う名の枷を与えなかったのかもしれないが。
「よし」
ぎしりと寝台が悲鳴をあげるのを気にする事もなく、ぱんと両頬を勢い良く叩くと国分は目の前の扉を力一杯押し開いた。
悔しいと、淋しい等と此処で何れ程嘆いていても、あの二人が帰ってくる事はない。
ならば、とポケットに放り込むのは琥珀の欠片。
恐らくは、未だ、階下で落ち込んでいるであろう松岡と、泣きながらも早々にハンマーを取り出していた長瀬が外へ飛び出さないうちに。
「松岡、長瀬、ぐずぐずするなよ。あの二人追い掛けるぞ」
形のないそこにあるのは貴方を映す印象化石。
そんなものは欲しくない。
欠片よりも、残滓よりも、思い出よりも、大切なのは貴方と過ごす今と言う名の瞬間なのだから。
※印象化石
もとの植物の組織が変質の影響で消失し、外形 、葉脈などの印象のみが残された化石