TOKIO

言えない呟き

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女心と秋の空
そんな喩えを聞いた事があるけれど、と、雲一欠片見えない、少し浅い青に包まれた天を見上げた。
ほんの僅か肌を刺すようなひんやりとした空気に、秋の色合いを感じながら、じゃりりと踏みしめた土が、かさりと小さな音を立てながら頽れて行く。ゆうるりと小さな空間を取り巻く山々が、我先に纏うた錦に鮮やかに笑う。そんな時節。村はいっそうの美しさと実りに包まれるのだ。
会う人会う人に、村はどこにあるのだと良く聞かれたものだけど、流石に片手をとうにこえる月日が経つと、場所を聞く人は少なくなり、ただ、一度行ってみたいなあ と羨むような色合いを大きく滲ませた視線を意味ありげにくれるのみ。画面の中で映る景色程、優しいものではないけどね、とその度に口の中でごちるものの、同時に、モニターに見えるだけの景色ではない憧憬に、自然、頬が緩むのもいつものことだ。
ましてや、この実りの季節ともなれば、と山口は、ポケットに突っ込んでいた手を出すと、畑の向こう側で、撮影の準備をしているクルーたちに大きく手を振ってみせた。
とんとんと軽やかな足取りで大地を歩き、この間村を訪れた時よりも、一枚多めに着込んだ山口が、どこか着膨れた熊を思わせるカメラクルーの手元を覗き込む。
「まだ?」
「この後、少し打ち合わせしてからになりますんで、30分ぐらいは」
その言葉に、ふぅんと軽く頷いて、それからおもむろに辺りを見回すと、苦笑を浮かべた傍らにいたクルーの一人が、作業の手を止め山口を振り返った。
「リーダーなら、5分ぐらい前に、散歩に行かれましたよ」
「あ、そ」
そうスタッカートがきいたような声で完結に応えると、山口は、もう一度、ふんと鼻を鳴らして、じゃ、俺も と、城島のものと良く似た色合いのコーデユロイのシャツを肩から羽織り、その場を後にした。
緩やかな木立の間に続く幾重にも綴れ折れた1本の小道。一歩間違えれば、獣道にさえみえそうな、細い道を登りきった場所に、その小さな空間はある。
里山の麓からは、重なり合った木々の影になり、人が訪れるのは、せいぜい守山先生と山の生物を調べにくるときぐらいの隠れ家のような場所。
そして、その隠れ家をことの外、お気に入りにしているのは、この村の副村長である城島だった。
「シゲ」
「なんや、もう時間か?」
足音を隠そうともせず、近づいた山口に、山口よりももう一枚余分に上着を羽織った姿の城島が、驚く素振りも見せずに、んぅっと伸びをしながら軽く振り返る。
「いや、もうちょい先」
半分迎えに近い物言いに、城島は、そうかあ、と間延びしたような返事とともに小さく頷くと、足音に気づいて消したらしい煙草を見下ろして、あ~ぁと小さく呟いた。だが、流石に潰れたそれを口にするのは憚られたのか、すぐさま、新しい1本を口に銜え直し、ライターをかちりと言わせた。
まあね、と山口は、その間を開けぬ仕草に、苦笑を浮かべながらも、その隣に躊躇う事なく腰を下ろした。
ここで、煙草を吸うのは、城島なりの気遣いだ。麓の村に戸籍を移し、一ヶ月のほとんどを、この村で過ごしているスタッフが多い中、自然の中では、煙草は危ないし、という理由と綺麗な空気に触発されたのか、禁煙を始めるスタッフは少なくない。だが、どうやっても『モノを作り上げる仕事』をしている彼らのほとんどが、元ヘビースモーカーなのだと言っても過言ではない。
煙草の薫りのない中ならば、いざ知らず、撮影の合間に煙草等吸われたら、どれほど頑強な意志の持ち主でも、つい一本 と手が伸びてしまうらしい。とかつては、喫煙者だった山口は人ごとのように小さく笑った後、半分瞼を閉じた、どこか茫洋とした面持ちの男の横顔をじろりと睨みつけた。
「あなたさあ、撮られたんだって?」
「早いなあ」
「松岡がさ」
その言葉に、あの子ぉもどっから と、苦笑を浮かべ、指で挟んだ煙草をぱしりと携帯灰皿の縁にぶつける。
「大丈夫なの?」
ほんの少し慮ったような声音に、城島は、んあ?と妙な声で返事する。
「今日はさ、泊まりだから良いけどさ」
明日、呼び出されるんじゃねぇの?と伺うように傾ぐ小首に、どこか幼さを感じて、城島は、くくっと喉の奥で小さく笑うと、銜えていた煙草をすぅっと指で挟み、口角だけを小さく緩めた表情で、ふわりと吐き出した紫煙が何に邪魔される事なく、真っすぐに空に立ちのぼる姿を見上げながら
「いつものことやからな」
と抑揚のない声で、小さく応えた。
J事務所とマスコミ、そしてそれを取り巻く世間には、いつできたのかわからない不可思議な不文律がある。
所属の誰かがトラブルを起こしたとき、デートの場面、事故、暴言 等、様々あるが、それに群がるハイエナのような記者がおり、それを待ち望むかのように雑誌が売れる。それは、J事務所に限らず、名前の知られている芸能人なら当然の事かもしれないが、複数の所属アイドルが撮られ、世間を騒がした後、つと思い出したように城島の記事が掲載されるのだ。時に解像度の悪い写真があったり、随分と縁遠い知人の証言話があったりといわゆるゴシップ記事なのだが、それが終わると、ああ、なんだかんだあっても、この事務所は平穏なのだと世間はある程度落ち着きを取り戻すのだ。
何故、と山口は傍らの男を見やり、愁眉をとこうともせず煙草を吸い続けるその横顔に、んと空を見上げた。
「じゃあ、とりあえずは、反省文は回避?」
「当然やろ」
何故、この人なのか、等と今更問うことに意味はない。ただこの人が作り上げた『TOKIOのリーダー』というどこかやんわりとした雰囲気を持つ個によるものだとは分かっているのだが。結局は、マスコミと世間を納得させるための、いわゆる当て馬なのだ。S●AP、V、を始め、自分たちを取り巻く先輩後輩たちとは、色んな意味で微妙に違う立ち位置にいるTOKIOという存在。
「なんかね」
つい声になった呟きに城島がいぶかしげに振り返った。
「しゃあないやろ」
売れてない訳ではない、ほぼ毎日誰かが必ずテレビに出演し、どのクールも絶えずドラマ撮影中のメンバーがおり、切れる事なくCMに出演し続けているというのに。
「けどさ」
「ええ事もあるんやで」
結構美人と事務所経費でデートできる、とくくっと笑い、な、と眼を細めて同意を求め、もう一度、な と呟いた。
「今度はどこの?」
「マネージャーの親友がやっとう小さなモデル事務所の新人やて」
顔も売れてへんしぜんぜん垢抜けてへんし、けど、スレてへん可愛らしい子ぉやったで、と続ける口調はその時の事を思い出したのか、優しさのじんわりとにじむようなものだった。
「でな、芸能人誰が好きなん?言うたら、明雄さんやいうねんで」
「明雄っち?」
「せや、たいした子ぉやろ」
そぉ、けらけら笑い、まじめにつきおうてもええわ て思たわ、と冗談とも思えぬ口調で言うと、ゆっくりと眼を細めた。
「なんやな、田舎のおじいちゃんを思い出すんやて」
「そっかあ、そうだよなあ、確かに明雄さんは、田舎のおじいちゃんの代表格かもしれないね」
ちちと頭上を飛んで行く鳥の姿に、寒いのになあ と城島は空を見上げた。
「けどま、それだったら反省文どころか、仕事じゃん」
山口のどこか安堵したような口調に、丁度燃えつきた煙草をぎゅぅとアルミの灰皿の底に押し付けて、城島は、あ~あと大きな伸びを一つした。
「ま、僕相手やったら、一回だけで、記者に追っかけられる心配もあらへんやろ」
「じいちゃんと孫だし?」
「アホ」
で? と立ち上がった城島に並ぶように、立ち上がりながら、ぱんと掌についた土を払い、こきりと首を回す。
「マスコミは良いとして、そんな記事載っけられて、拗ねるような相手は居ないわけ?」
「残念ながら、今のとこはな」
20代の頃にはあった結婚願望も薄うなってきたしなあ、と同じ男として少しばかりの不安を持ってしまいそうなその言葉に山口は、大丈夫かよ と小さくごちた。
「じゃあ、折角の誕生日に祝ってくれる人もなし?」
そりゃあ、残念だね、事務所に呼び出される心配もないのに、と続く軽口に、城島は、軽く唇を尖らせて
「や、彼女やのうてもな、そこそこ」
と、言いかけて、一つ大きく頷いた。
「行きつけのバーにでも行ったら、松岡に会えるんちゃうか?」
誕生日や、言うて奢ってもらお と細めた眼に山口は、はあと態とらしいため息を一つついた。
「何言ってんだよ、あいつ、今、京都で撮影だろ」
「えぇ、松岡おらへんの?」
折角、ええ酒見つけたから奢ってもらおう思たのに、と年上らしからぬ発言に山口は、ははっと乾いた笑いを浮かべる。
「てかさ、あいつ、結構この時期って京都で撮影多いでしょ」
「そうやっけ?」
この間も撮影で会うたしなあ とのんびりした口調に、脳裏によぎった城島の情報ならどんな小さな欠片でもみつけようとする弟分の拗ねたような表情に、いい加減覚えてやれよ、と思わず涙を誘う。
「まあ、しゃあないわな」
そういう仕事やし? と凝った首をほぐすようにぐるりと回す。
「お互いにね」
「因果な商売やけどな」
大切な人の特別をいつもリアルに祝えるわけもないのは、今更だけど と思いながらも、山口は、ふと口元を緩めた。
「じゃあ、明日は予定なし?」
「いつもやったら、誕生日に変わる時間とかに、友達が祝ってくれとるけど、村やからな」
流石に無理やわな と笑うと、そろそろいこか と城島は、小さな隠れ処を後にするようにゆっくりとした歩調で歩き出した。
本当は、と前をひょこひょこ歩いて行く薄い背を見ながら、山口やひそりと思う。
城島の事を誰よりも大切に想い、この人の生まれ落ちた日を祝う人が居る事を願いながら、同時に、いつも、この人の言葉に安堵するのだ。この人の事を祝ってくれる唯一人の人が居ない事に。
「ねぇ、シゲさん」
「ん~」
この人は、誰よりも『家族』を思いやる人だから、家族に等しい誰かができたならば、その人のために動く人だから。
「誰も祝ってくれる人のいない寂しいシゲさん」
「なんやねんな、煩いわ自分」
「仕方がないからさ、今晩、俺が祝ってあげましょ」
その言葉に、城島が少し訝しむような面持ちになり、それは喜んでええところか?とあまり嬉しく無さげな口調のまま振り返る。
「とっときのさ、酒、持って来たんだよね」
貴方と飲もうと思って、とくいと唇の前で、上下させた指先に、城島がそれを先言わんかいな、と眼を細めると、ええなあ、摘みは何作ろかな、と両手をすりあわせながら、僅かに軽やかになった足取りに山口は、現金だよね と笑う。
ああ、この感情は、村の事を人に尋ねられた時のものに少し似ているかもしれない。この村の事を知って欲しいと思う反面、自分たちだけが『村』の表情を知っているという優越感。それは、子供の頑是無いわがままにも似た独占欲。
「ちょっと早いけどさ」
「ん?」
「誕生日おめでとう」
「めでたいいう年でもないけどな」
おおきに、と綻んだ柔らかな表情を、誰よりも一番先に見たいと願っている等と、けして言う事のない想いを隠すようににこりと笑うと
「今更でしょ、おじいちゃん」
横を通り抜け様に、とんと叩いた肩の温もりを、きゅっと握りしめた。
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