Jyoshima & Yamaguchi

0921

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「関口君、君は、20ヵ月もの間妊娠することができると思うかい?」
そんな煽り文句のポスターが貼られたのは、かれこれ2ヶ月程前の夏の初めの事だったか。
壁に掛かったカレンダーを見ながら、香ばしく焼けた食パンをかりりと齧る。
唐突に脳裏を過ったフレーズは、夕べ太一と交わした会話からだろうか。
せやけど、20ヶ月なあ と眦に深い皺を刻んでくくっと喉の奥で笑う。
「何笑ってんの?」
朝っぱらから、と訝し気な声とともにふいに頭上から覗き込んできた男の影を振仰ぎ、さて、なんと返そうか、と小首を傾げた城島の視界をさっと伸びてきた手が過る。
「あ、こら、人のもん何勝手に食いよんねん」
「腹減っちゃってさ。って、何、これ、焦げてんじゃん」
一見、とてもおいしそうに焼き上がっていた目玉焼きを行儀も悪く、指で摘んだもののすっかりと黒ずんだ裏を覗いた山口が子供のように剥れた表情になる。
「よお、焼けとって旨いやろ ってせやから、人のもん食いなや、自分」
ぽつりと、覆いかぶさるように城島の朝食の皿から果物を失敬する山口のしなりと濡れた髪から雫が垂れる。それを項辺りで受け止めた城島は思わずからだをぶるりと震わせた。
「わかった、わかったから、自分の飯も作っといたるから、シャワーぐらい浴びてこい」
両腕深く隠した皿を未練たらしく覗き込む犬のような表情に深い溜め息を一つつくと、城島は降参と両手を上げた。
青いジーンズ地のエプロンの裾を微かに揺らしながら、焼き上がったばかりの目玉焼きが皿に奇麗に収まった頃、白いタオルを首に掛けた山口がキッチンの姿を現す。
あまりのタイミングの良さに苦笑を浮かべるべきか、褒めるべきか微妙に悩むところやな フライ返しを流しにつけながら、朝から既に三度目程の溜め息は山口の耳には届かない。
「シゲさん、これ半熟じゃなくって、半生なんだけど」
「焼き過ぎで固いで文句言うたん自分やろ。大丈夫やて、賞味期限内やから生でも腹壊したりはせんやろ」
「シゲ〜」
「文句あるんやったら食わん時」
怒ったような声と共に、とん と、目の前に置かれたのはこんがりと焼けた2枚のトーストと鮮やかな緑が眩しいサラダのボール。それを恭しく押し頂いた山口は、頂きますと神妙な面持ちでぺこりと頭を下げた。
「で?貴方さっき何笑ってたの?」
「さっき?」
食事が終わったのか、こちらは両手で紅茶の入ったカップを包み込むようにしながら、さざめく表面に息を吹きかけていた城島が小首を傾げる。
「俺が帰ってきたときさ」
ああ、 と口角をあげるように笑みを浮かべ、あんときなと微かに頷く。
「夕べな、太一が言う取ったやろ、オセロの中島さんが今度妊娠24ヶ月の女性を演じる言うて」
「あ?そんな事言ってたっけ?」
しゃりり 口の中で爽やかな音を立てるレタスの歯ごたえを楽しむようにゆっくりと咀嚼する。
「おん、言うとったで。でな、そう言えば今年の夏、やっとった映画に妊娠20ヶ月できると思うか ってコピーで広告しとった奴があったんやけど」
片っぽはコメディ、もう片っぽはミステリーいう奴らしいけどなあ と丁度良く醒めたらしい紅茶を一啜り。
「ん」
「妊娠言うたら、普通はまあ、十月十日やねんけど、僕らは60ヶ月やったなあと思たらなんか笑うてもうてん」
からり
白い室内に響いたやけに乾いた音に、城島が驚いたように目の前の男を見る。
「シゲ」
皿の上に転がった金属製のフォーク。
「なんや?」
半分まで食べた卵の黄身がとろりと白い皿を染めて行く。
「あなた」
くしゃり そんな表現が似合うような表情の変化に、一瞬目を見張り、それから一言。
「阿呆」
言いたい事を理解したのか、眦に皺を刻み込みふうわりと笑う。
「だって、俺の知らないうちに妊娠したって。相手はいったい誰なんだよ」
俺の知ってる奴? とずいと乗り出してきた山口の額を指先でぴんと弾いた。
「って、突っ込むところはそこかい」
「だってさ」
軽く尖った唇と笑いを刻み込んだ山口の表情に、城島はほんの少しだけ意地の悪い笑みを見せて。
「自分」
「は?」
「せやから、妊娠の相手は山口、自分や言うてんの」
今度こそ、思考が真っ白になったらしい山口に、城島はちょうど良く醒めた紅茶をこくりと飲んだ。
小さく切り取られた四角い画面の向こう側、軽やかに踊り歌う三人グループ。
そのうちの一人の爽やかなまでに格好の良い、だがどこか憂いを含んだような表情に心が惹かれた。
ああ、なんの根拠もなく自分のやるべき事はこれや と、ただ思い込み、何の寄る辺もなく上京した世間知らずな子供の自分。
それでもいつかギターでデビューがしたいと途方もない夢を描いていた。
そこにあるのは、まるで、薄い何もない腹を撫でながら、ただ、子供が欲しいと望む女性のような淡い夢のようなもの。
それでも、諦める事なく奈良から東京へと通う週末が続いた。
時折、自分は何をしているのだろうと振り返ってしまうような忙しない日々。
だが、何れ程夢を形にしようと躍起になったとて、己の中にあるのは朽ちた土壌でしかないのか、ほんの一欠片も思うように行かず、乾いたように空回りだけを繰り返す。
そんな日々を過ごして3年。
自分を見直すべき時節の訪れ。
普通の社会人になるべきか。それとも、このまま果てしない空を見上げ続けるべきなのか。
己の中には、宿る種子等何一つもないかもしれないと言うのに?
ゆっくりとマリンスノーのように降り積もる己の中の不安の澱。
一度は、就職をしようと面接に行き、受け取った内定通知。
だが、
「バンドやらねえ?」
どくんと鼓動が大きく響く。
戸惑いを隠せない自分に躊躇いなく向けられたのは満面の笑みと自信たっぷりの表情。
差し出された掌に、自分の手が重なる。
TOKIOという名前さえ持たぬ未来が、着床した瞬間だった。
強張った指がギターに触れる、固い弦が小刻みに揺れ、震えた空気にゆっくりと音が流れ出す。
耳朶に響く音源に我知らず口角が綻び、絡むように響く低い音を奏でる男を振り返る。
どくり どくり
ゆっくりと過ぎてゆく時の挟間、夢が一つ現実になるように、澱みなく繰り返される細胞分裂。
何十、何百、何千回と飽きる事なく繰り返されるそれは永遠の生命の営み。
生まれてくる音楽と言う名の無数の細胞。
育ち始めた僕らの未来。
「色んな事あったわな」
デビューという文字が見えずに、ただ、やけくそに楽器をかき鳴らし叱られてばかり居た一年目。
メンバーを集めるために、子供が子供のオーディションをやって。その挙げ句、腕よりも顔でメンバーを選んで。
「そうだね」
増え続ける細胞の数。
ちっぽけな指先程の心臓が生まれ、ある日唐突に打ち始める微かな鼓動。
その間も増え続ける『TOKIO』の欠片。
ギター、ベース それにドラムが加わり、キーボード、ヴォーカル、そしてタンバリン。
だが、ただ、順調に増え続けるのだと信じていた細胞は、自分さえも気づかぬうちに壊死を繰り返し、気が付けば大切だと信じていた一人が姿を消した。
母の腹の洋水に浸かり、一見心地よくも、あまりに眠いその空間が、悔しくて歯がゆくて、何度その厚すぎる肉を蹴った事だろう。
だが、自分達の手はあまりにも無力で小さくて、何れ程足掻こうとも覆い尽くす世界を破ることなどできなかった。
ただ、胎児が母の子宮で蠢くように小さなライブを繰り返し、小さな鼓動を響かすように自分たちの音を奏で続けた5年間。
「おめでとう、シゲ、11歳だね」
よちよちと這う子の前に連なる永遠よりも長い道。薄くけぶったその先に続く物が何なのかわからぬままにあげた産声。
「おおきに、自分にもおんなじ言葉返すわ、おめでとう」
生まれたのは11年前の今日。
人の歳にして僅かに11歳。
音楽だけで立ってはいない自分たちは、あるいは臍の緒は途切れる事なく母に連なっているのかもしれないけれど。
それでも、今自分達は、自分の二本の足で大地を歩き、漸く自分達の道を歩きはじめたのだ。
おめでとう。
将来に何があるのか等わかりはしないけど。
子供が夢を見るように、11歳のT O K I Oは、20歳のT O K I Oの夢を見る。
そして自分の存在と共に生まれた、全てのT O K I Oを愛する人々へ、11歳おめでとう。
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