TOKIO

てんらい

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ゆらゆらと揺らめく光の渦に、ほのりとした湿り気と柔らかさが混じりはじめる秋という名を持つ曖昧な季節。   しゃりりとくずおれるやけに乾いた枯れ葉の音が、哀れなほどに辺りに響き、ふと見上げた空の高さの眩しさに眼が揺れる。
ここは、時が止まっている とスタッフの誰かが言っていたように思う。   テレビをつけても、東京で見るよりも番組が少なく、携帯のアンテナが立つことはない。
することがなくてぼんやりとしている頬を、時折、山から下りてきた風が柔らかく叩くのだと。
そう言えば、と口角を緩め、ほろりと眦を綻ばせる。
この村にはじめて訪れた時、目を射るように鮮やかなまでの緑の多さに目を見開いて、同時に人の声が聞こえぬことに驚いたこともあったよな と。
長い時間と手間を掛けて、慣れぬ大工仕事の一つの区切りのように、漸く仮の屋根ができた頃、初めて村の役場に泊まったことがあった。
珍しく全員が揃っての泊まりであったからか、スタッフ全員が近くの村に宿を借り、5人だけが村に残された夜。メンバーが誰かしら、無駄にはしゃいでいる頃は良かったけれど、一人が休み、二人が眠り、ふと気が付けば、 足下にはいくつもの空の缶が立ち並び、グラスを傾けているのは自分一人になっていた。
「なんだよ〜、お前ら寝るのはええだろうが」
莫迦やろう そう零した己の声がやけに大きく聞こえて、どきりと鼓動が高まったのを覚えている。
初めて感じる静 という存在がそこにはあった。
人の声も、車の音もない、何もない空間。
薄く開かれた障子の隙間から、聞こえる音は何もない。
やけに大きく聞こえるのは、うちから響くような自分の心臓の鼓動と、屍のように累々と横たわる無駄に縦に長い奴らの零す正鵠な寝息だけなのだ。
ゆうるりと忍び寄る夜露のように、いつのまにか自分達を取り巻いていた無音という名の空間に、感じたものは純粋な恐怖と光の見えぬ闇へと恐れだったように覚えている。それは、幼い頃、葬式のために訪れた田舎の家での出来事を思い出させた。
大勢の人がいるはずの古びた民家の一部屋で、堅く白い小さな布団に寝かされていた小さな自分。聞こえるものは行き交う人々の、しゅっと摩るような足音と耳打ちをするかのように、はっきりと聞き取ることを避けるどこかくぐもったぼそぼそとした人の声。
田舎の夜は早いのか、縁側の向こう側に見える明かりはなくて。
おかあさん とこぼれかけた自分の声に、慌てて両手で口を押さえた幼い子供。ただ、
どくどくと聞こえる心臓の音だけがよすがだったように思う。
なぜ、今、俺はこんなところに居るのだろう。
ふと過った惑いに、くしゃりと鼻の上に皺を刻むように顔を顰めた時だった。
「えらい明るい晩やなあ」
闇の中から聞こえた、どこか脳天気な、だが、当たりを憚るように抑えられた声音に、びくりと肩を震わせて、
「って、あれ?」
さらりと開いた障子の向こう側、うそりと浮かぶ人影に、目を二、三度瞬かせる。
「なんや、ええ調子でできあがってしもとるやん」
そこには、クスクスと淡い笑みを頬に浮かべながらも、背後で大の字になって眠る松岡と長瀬の姿に、ずるいわ と軽く拗ねてみせる城島の姿があった。
「自分も酔っとうみたいやな」
そう言えば、いつからこの人居なかったんだっけ?摘みを準備してる時は、いたはずだよなあ、とどこかぼんやりとした思考が霞むような記憶を辿るが、そんな国分の様子にかまうことなく、城島はほんの少し前のめりの姿勢で、よっこらしょと縁に座ると、履きなれぬであろう長靴をずぼりと脱ぎ捨てる。
「あんたいつからいなかったんだっけ?」
「スタッフんとこ行くいうたやろ。明日の打ち合わせやて」
朝はよから撮影やからはよ休めて言われたわ、とからから笑いながらちらりと見るのは、腕時計。
「言うてもなあ、普通やったらまだ宵の口とまでも行かへん時間やねんけどな」
「で?山口君は?」
横に積まれていたわろうだを二枚引き寄せる城島の横に、当然のように胡座をかいた山口に、国分は片手で握りしめていたビール瓶をぐいと突き出した。
「この人、眼鏡だしさ、いくら明るいつっても夜道は危ないでしょ」
何時転けるかわからないからね と弓月のように細められた眼に城島がふくりと片頬を膨らませる。
「そないに子供やない言うとうのにな」
それに今日は明るいて自分かて言うたくせに、そう笑いながら差し出されたグラスに、半分ほどにビールを注ぐと、ケチと軽く唇を尖らせながらも、城島はこくりとそれを飲み干した。
「うま」
「あのさあ」
「ん?」
国分の目の前の残骸になった豆を数粒、こりりと音をたてながら山口が振り返るが、傍らの城島は気にする風もなく、のんびりとグラスを傾けているだけだ。
「明るいって言ってたけどさ、あんたたちどこ通ってきたわけ?」
真っ暗でしょ道、と小首を傾げ、ああ、と国分は大きく一つ頷いた。
「どっか、あれ?外灯あるんだ?」
「ねぇよ、んなもん」
ここ、電気すら通ってないんだぞ と山口が指差したのは、部屋の4隅に置かれた小さな乾電池式の明かりだ。カメラを回すために、自家発電装置は置かれてはいるが、基本、生活用品に電化製品はない。
「え〜、でもさあ、懐中電灯持ってたっけ?」
っていうか、どんなでっかい懐中電灯だよ と国分は眉を顰めた。
「なくても十分明るいで」
見てみ、と城島がさらりと大きく開いた障子の向こう側は、やはり深い闇に包まれたように果てしなく暗い。
「よう見てみ、桜の木の下」
「木の下?」
嘘つき、           と剥れたように下唇を突き出した国分に、くくっと笑いながら城島が指差したその先には、深く青みがかった大地に伸びる深い瑠璃を思わせる影がくっきりと描き出されている。
「あれって、影?」
「せやで、な、あんなハッキリした影ができるぐらい空は明るい言うことやね」
そう、細められた眼に映るのは、空から零れるやんわりとした金色の輪。
「明るいん…だ?これ」
そういって、何度か瞬いた視界の中にゆうるりと描き出されていくのは、昼間のそれとはかけ離れた、蒼く揺れる幻灯のような淡い世界。
「な、普段、強すぎる光の中で生活しとるから、気付かへんけど、月光って意外と明るいもんやねんで」
「なんか、静かだし暗いし、何かやだなって思ってたのに」
しかりと閉められた障子の中で、手もとを照らす光だけをたよりに座っていた自分を思い、ちぇ〜、なんかもったいねぇじゃん と唇を尖らせる。
「静かなあ、たしかにこの子ぉら寝取ったら静かかもしれんけど」
「俺らが出てく時、プロレスしてたしさ」
そりゃ、うるさかったと思うわ と使い込まれ黒檀のように深みを増している床に、毛布だけをかぶって眠る下二人の寝顔を眼を綻ばしながら、な、と二人揃って覗き込む姿は、子供の成長を楽しむ親のようだと国分は片頬をぺこりとすぼめ、やだねと小さくごちる。
「けどなあ、太一ぃ、外、全然静かやないで」
「そうそう、それに気を取られてけつまづいて転けそうになった人がいるぐらいにはね」
「うるさいわ」
ぷくりと膨れた頬を横目に、国分は小首を傾げながらも開け放たれた障子から身を滑らせると、城島が脱ぎしてていた長靴履き潰すようにして外に出た。
途端に、ふうわりと駆け抜ける緩やかな夜気を纏う風は、悪戯を思い付いた子供のようにからからと足下を駆け巡ながら、くるりと丸まった枯れ葉をかさりと揺らす。じぃという小さな音に振り返れば、桜の木を越えた向こう側の小さな叢から、ざわめくように漏れ聞こえる虫の声。
「すげぇ」
「な」
いつのまにか、傍らに立っていた城島が、潜めた声で小さく笑う。
「小さい頃な、よう、窓から外のぞいて、虫の声聞いとったん思い出すわ」
あれ松虫が、鳴いている
そう、背後で聞き慣れたメロディを思い出し思い出し歌っている山口の声に、城島が懐かしなあと眼を細め、ちんちろちんちろ、ちんちろりん と音を緩やかに重ねる。
「『虫の声』だっけ」
「よう題名覚えとんな」
「学校で歌ったよなぁ」
耳に手を当てるようにして、ゆっくりと瞼を伏せた城島に習うように国分も目を閉じて耳をすませる。
ざわざわと揺れる木々の囁きに、足下を走る風に揺らぐ草葉の声。
そして、競うように響き渡るは、今宵の恋を求める虫の歌。
「まさに天籟やね」
「てんらいって?」
「自然の音いうたらええんかな」
まさに、こういう情景やねぇ ときゅうっと口端をあげ、綻ぶ笑みに
「あんたやっぱり爺だね。変な言葉ばっかり知ってるじゃん」
そう、ぶいと鼻を鳴らした国分に、城島は、褒められた言う事にしとくわ と目を細めただけだったが。
天籟、自然の音。
そよぐ木々の隙間を縫うようにもれ聞こえる弦の音に耳を傾けながら国分は、うそりと笑みを浮かべた。           だが、唐突にべぃんと情けなく響いた音に細めていた眼を大きく見開くと、ぎろりときつくなった三白眼が目の前で開けた小さな空間の中、あ〜あと笑うように揺れている背をじろりと睨みつけた。
「あんたねぇ」
「やって、これ弾くん結構難しいんやもん」
「もんて言うな、いい年のおっさんが!!で?、それ何?」
膝丈まで隠れそうな草むらに腰を下ろし、大きく胡座をかいた城島の手の中にあるものに国分は、僅かに小首を傾ぐ。
「三線」
「三線ってそれ」
確かに弦が三本しかないそれは、どこから見ても三線なのだが
「カンカラ三線」
普通ハブの皮が張られているであろう場所が、銀色に光る缶で作られているそれを城島はふらふらと揺らすように持ち上げた。
「おもろいやろ」
この間、沖縄ロケに行ったとき買うてきてん と嬉しげに笑うギタリストは確か、以前、五弦ギターである一五一会を買ってきて、面白いやろ と練習していたことがあったかと苦笑が滲む。
「ところで、自分、なんでこないなとこにおるん?」
さっきまで、おらんかったよなあ、ときゅっと眉の間に深いしわを刻みながら小首を傾ぐようにして、もう、撮影の時間か?と今更ながらに、国分を振仰ぐ。
「休憩の言葉と同時にどっかに消えちまった親爺と、その親爺を探しにいったくせにかえってこない行方不明者探しにね」
「って、これのことか?」
そういってきょろりと周囲を見回した国分に、城島が足下を見ると、そこにはコレ呼ばわりされた山口がすやすやと心地良さげに眠る姿がそこにはあった。
「呼びにきたんかなあ て思たんやけど」
気が付けばこの状態やってん、とばつ悪げにこめかみをこりりと掻きながら、よっこらせと腰を伸ばすように立ち上がった。
「夕飯作るん撮る言うとったもんな」
もう、タイムリミットやな、と城島は三線を国分の手に押し付けると、メンバー一寝穢いと称される男を見下ろした。
山口ぃ〜 起きやあ どこかのんびりとした口調で、山口を起こしている城島の背を見ながら、腕の中の軽いそれをべぃんと指で弾いてみると、気の抜けた音が空気を震わせる。
アルミの缶に張られた何の変哲もない三本の糸の音はどこか素朴で柔らかいものだ。だが、と国分は、先刻、木々を縫うように垣間聞こえた音を思い出して、唇を噛み締める。
確かに誰が弾いても音は出るし、練習をすればそれなりの『旋律』にはなるだろう。
だが、ふるりと震えた空気が城島茂という共鳴胴に響くことにより生み出される音があるのだ。
ちぇっ、もう少し早くくれば良かった と小さく舌打ちをしても腕の中の缶が音をたてることはなかった。
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天籟  自然の音。風の音など
天来(の妙音)天から来ること。人の手に成るとは思えないほどすばらしいもの。
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