Jyoshima & Yamaguchi

あなたが生まれた日

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今年はラニーニャ現象のために、雪の多い冬になる。気象予報士たちの早い時期からの予想どおり、大地を覆う白い花びらは、暖冬と呼ばれた昨年に比べ、随分と早い時節に舞い降りた。しかし、年を明けたここ数日は、穏やかさを取り戻し、見上げた空を彩る蒼も眩いほどに鮮やかだ。
だが、来週になれば、また冬の寒さが戻ってくるのだ と天気図の前でにこやかな笑みとともに、言っていたか と細めた虹彩を射るように降り注ぐ陽光は、金糸を幾重にも折り込んだ無数の紗を織りなすように光の帯となり、無意識に伸ばした指先がなす術もなく空を切る。
そんな城島に気付くことなく、1mも離れていないところでは、小さな画面を額を寄せあって睨み付けている国分と長瀬が、けらけらと笑いながらも、真剣な眼でゲームに没頭している。いつもと少しもかわらぬその風景に、長閑やなあ と喉の奥でわずかに笑いながら、城島は腰に手をあてるとゆっくりと立ち上がった。動いた影に気付いたのか、ちらりと向けられた視線に軽く手を挙げると、了解とばかりに、同じように左手を僅かにあげただけで、再び小さなスクリーンに没頭するその横顔に、城島はくっと口端を歪めるように笑いを落とした。

扉をあけるとそこは異世界だった。
そんな小説を読んだことがあったけな、と小首を傾げながら、押し開けた薄い木の扉の向こうに続くのは、オフホワイトの無機質な廊下だけ。雪のつもった木々もなく、傘を手にしたフォーンの姿もあるわけもない。
その色気も何もない廊下を右に小さく曲がったところに、城島の目的地、喫煙所がある。全く持って喫煙家にとって、生きにくいご時世になったものだと、きゅっと噛んだフィルターから滲むのは舌先をつつく微かな苦み。ビールの苦みがわかるようになったら大人だと言われたことがあるけれど、実のところ、苦みに旨味を感じるようになるのではなく、年を経る毎に失われていく味蕾に、細やかな味の区別を感じ取れなくなり、子供の頃には食べられなかったものが、食べられるようになるらしい。それやったら、僕の舌は相当味蕾を失っとるんかもしれんなあ と吐き出した紫煙がふわりと空を立ち昇るのを視線が追い掛ける。だが、 吸い込まれていく先は、先ほど見上げた空ではなく、白い天井に切られた空気清浄器。どことない切なさに苛まれながらも、城島は、灰皿の隣に設えられたビニル製のソファに腰を下ろした。
壁に掛かった時計の針は、まだ、集合の時間よりも早い時刻を指し示し、それを見上げている自分をアホやなあ と小さくくさす。
折角、午前中がオフだというのに、結局、早めについてしまった自分の性格を笑うべきか、それとも、遠足を待ちきれぬ子供のようにじっとしていられなかった己の幼さに呆れるべきか。
そういえば、いつもは時間ぎりぎりにすら間に合うことのない長瀬の横顔と終止笑顔でゲームに専念しているふりをしながらも、扉をちらりと振り返っていた国分を思い出す。
誰もが浮かれている。この太陽にすら祝福されているような晴れの日に。そう城島はクックと笑う。そう、今日から、また、始まるのだ。TOKIOの原点たるバンドとしての自分達が。

長かったとつぶやいてみても、たかが、一年半だ。数年、コンサートもライブの休止するミュージシャンが多い中、一年半ライブがなかったぐらい と笑う奴もいるかもしれない。その間にも、コンスタントにシングルを発売し、アルバムも、もうすぐ発売になることが決まっている。
もちろんライブに合わせてのアルバムなのだけど。
ぷかり と薄く開いた唇の隙間から、白い筋が立ち昇る。
今日、そのライブのための第一回目の打ち合わせが行われるのだ。これを浮かれずして、どうするかと。
そして。
網の入った硝子さえも気にならぬほどに、強い光を放つ陽光。
今日はもう一つのハレの日でもあるのだ。
他ならぬあの男が36年前にこの世に誕生した日。
山口とのつきあいは既に15年をとうに過ぎ、今さらながらのつきあいの長さといって良い。それだけの月日が過ぎれば、目と目を見つめあいながら永久の愛を誓った男女でさえ、時には相手の生まれた日を忘れ、それを罪とも思いもしないだろう。なのに。
今、自分のポケットの中にはブラウンのオーガンジーに包まれた小さな箱が収まっている。おそらくは、会議室で残りの二人の訪れを今か今かと待っている国分と長瀬も、その鞄の中には、彼等へのプレゼントが潜まされているに違いない。
三十路を過ぎたメンバーの誕生日に何をやっているのだと思うのだが、未だに、メンバー同士、互いの誕生日を忘れるものは一人もおらず、そう、食事の時には財布を必ず忘れる長瀬でさえも、当日にはメールを送り、数日遅れることは多々あるけれど、必ず贈り物をするのだ。よくまあ、続いているものだと思う。一度、誰やねん、はじめたん、とぼやいた城島に、
「あんただろ」
そう、こともなげにさっくりと言い切って、手の中にあった包みを、どうもね と持ち去ったのは、9月生まれの乙女座の男。
そう、誰に文句を言えるわけもない、全ての始まりはほかでもない城島自身なのだから。
「やってなあ」
友人は少ない方ではなかったが、潔癖性という性質と標準語は全て格好つけた気障なやつという関西人特有の根深い考え方からか、活動の場を大阪から東京に移した当初、なかなかなじむことができなかった自分にできた、初めての仲間。そう、友達ではなく、初めてのメンバー。それが山口だったのだ。

Youたち、一緒にバンドをやってみなよ。
きっかけは、そんな社長の軽い一言だったかもしれないけれど。
あの日、共に未来を見つめることのできる存在は、霞にけぶり足下に惑いかけていた己の将来に、一筋の光となったのだ。

 

「あなた、ンなとこで何してんの?」
フィルターだけになった煙草をぐいとアルミの灰皿の底に押しつけ、2本目を吸うべきか、それとも打ち合わせの後まで我慢するか、と放り投げたはずなのに、落ちてこない煙草のケースのかわりに降ってきたのは背後からの聞き慣れた声。
「なんや、自分、思うたより早かったんやな」
とんっと小さな足音共に、軽やかな足取りで小さなベンチを乗り越える。三十路後半だというのに相変わらずの運動芯家の良さに、眦をきゅっと綻ばした。
「タバコ」
返してぇな、と伸ばした手のひらに戻ってきたのは白い小さな箱ではなく、丸く細長くほの温かさを残す紅茶の缶が1本。
「変わりにこれ飲んどきなって」
軽く剥れてみせても、本の一瞬困ったような表情をするだけで、長の相棒はこれぐらいではびくともせず、そのまますとんと隣に座り込んだ。

「いい天気だよねえ」
こんな日に建物の中なんてもったいないね。もう少しで海にいきそうになっちゃったじゃん そう、からからと笑い、キンと冷えた缶コーヒーのプルトップを開けている相棒の横顔をちらりと見遣る。
誰もが今日という日を待っていたというのに、この男は、そう思い、はぁと額を押さえる。そういえば、この男は、ただ、「会いたかった」という理由だけで山間の小さな田舎町まで、学校をさぼってやってきた過去を持つ、思い立ったら即実行の考えなしのところがある性格だった と。

まあなあ、と掌の上で、ころりと赤茶色の缶を転がしながら山口の視線を追うように空を見る。まだ幼く全ての世界が遥か遠巻きに存在していた自分にとって、茂君の誕生日だから そう何の迷いもなく言い切った山口の言葉が、どれほど嬉しく心強かったかわからない。ああ、せやね と鼻先を指でこりりと掻いて、細められたままの眦に深い皺を刻み込む。あの言葉に、自分はどれほど勇気づけられたことだろうか。そう、お前は一人ではないのだと。山口がおったら、何があっても大丈夫なのだと、そう、思ったのだ。

「ぐっさん」
「ん?」
やんわりとした声に、のんびりと返る音。
もう、 19年も続く変わらぬやり取りだ。
「これ、やるわ」
上着のポケットから取り出した小さな箱は、奇麗な放物線を一つ描くとすとんと山口の掌に収まった。
「シゲ」
「おめでとうさん」
「ありがと」
おめでとうって誕生日を祝われる年でもないけどね、そうちゃかすこともなく返される嬉しげな笑みに、城島も薄い微笑を一つ浮かべて立ち上がった。

36年前の今日、僕は何をしとったんやろうなあ。
将来の相棒が生まれたことを知る由もなく、冬の寒さに母の手の中でぐずっていたかもしれないし、道の脇の霜柱を踏み締めながらその音に笑っていたかもしれない。屈託も知らず、不安の欠片も持たぬ自分は、とても幸せだったことだろう。

けどなあ、と城島は、二歳になったばかりの幼い自分の影に小さく笑う。
現実を知り、生を思い、時に、日々の自分を悔いることが知ったとしても、今、ここで一つ年を重ねる大切な人の誕生を祝うことを許された自分の方が、あの頃の自分よりも、きっとより幸せなんやろうね と。

 

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