Jyoshima & Yamaguchi

あなたが生まれた日

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天高く馬肥ゆる秋
そんな言葉がぴったりのどこか柔らかい蒼みを帯びた空は、ぴんとつま先立ちをして両手を伸ばしても届きそうにないぐらいにとめどなく高くて、自分の存在のちっぽけさに、時折、悔しくなる。
それが、情けないぐらいに悔しくて、腹立たしくて、そして、ことりと揺れる感情が寂しいのだ といえばあなたは笑うだろうか?

あなたが生まれた日

あなたが生まれた日もこんな秋晴れの朝だったのだろうか とふと思う。
指折り数えて、37年前、まだ、今ほど地球温暖化と言う言葉が一般化されておらず、地球の自然破壊など、さほど叫ばれていなかったあの頃、そう、日本中がアメリカの手によって齎された月の石に浮き足立ち、国民の二人に一人は大阪万博に足を運んだと言われる1970年という年は、きっと今日よりは、寒かったんだろうな、ま、年若い俺は知らねぇけどさ と山口は足下の小石をことりと蹴った。
あなたが生まれた日、俺はまだこの世にかけらもなかったんだよな。
それは、当たり前といえば至極当たり前のことだ。
赤子が生まれるのにかかるの月日は十月十日。自分が生まれる十四ヶ月も前に『山口達也』の欠片など、爪の先ほどもそこに存在するはずもない。だけど、と山口はこりと髪を掻き乱すと、あ〜あ とため息を一つつく。
あの人が生まれたその瞬間、自分は、喜ぶことはおろか、笑うことも泣くことも、怒ることも何一つできやしなかったのだと。
わかってはいる。理性ではとても分かっているのだ。それでも、どうしても考えずにはいられないこの理不尽さ。
「だってさ」
そう、呟くように、ふとこぼれたのは小さすぎるため息だった。

 

とんとんとん と、浮かれる足取りで、電車に乗って、途中、何度も時刻表を確かめるように見上げては、指差し確認をして行き先を確かめる。
きちんと折っていたはずの行き先が書かれた手の中のメモは、既にくしゃりと端がゆがんでおり、その存在自体がどこか頼りなく思えて、山口はほんの僅かきゅっと眉をひそめて不安げな面持ちになった。
これではまるで、初めてのお使いに出る子供のようだ。曖昧な現実に膨れ上がる好奇心と期待感にどこかわくわくして、でも、そのくせ不安を拭えないなんて。
それでも、と口端を緊張のために僅かに震わせながらも、電車が滑り込んだ小さなホームに書かれたその名前に山口は、ふわりと頬を緩ませた。

秋は釣瓶落としといったのは誰だったか。つい先刻まで、確かに明るかったはずの空は、本の少し視線を反らしている間にとぷりと暮れて、行き交う人の表情も既に伺うことさえできない曖昧な時刻。
そんな中、疲れを知らぬ幼子のように、無駄にはしゃぎながら言葉を交わしながら前を行く人たちの後ろを足を引きずりながら、城島は惰性のようにぽてぽてと足を前に突き出すといった態で歩いていた。ドラマに出演している主役級の人たちは、とうの昔に迎えの車でホテルについている頃だろうが、いかんせんエキストラに近い出番でしかない端役の出番。もっともそんな存在相手でもこれだけの人数がいるのだから、車で30分を超える距離であったなら、マイクロバスの一台も借りてくれるだろうけれど、撮影現場からたかだか十数分の距離では、缶ジュース一本出やしない。それでも、このまま直帰させられるよりも、一晩、たとえそれが小さな民宿であっても一泊してからの帰宅は、ぺーぺーの存在にとっては、頭が下がるほどにありがたい。
尤も、ありがたいのは夕食付きということぐらいやけどな、と潔癖性の気来のある城島は、こりこりと髪をかき混ぜる。一人部屋が良いなどと、今日の財布の膨らみ具合からはとても口が裂けても言えるわけもなし、ましてや、顔すら覚えられているのかわからない存在では、せいぜい同室の相手が嫌なやつでないことを願うだけだ。
はっとこぼれた浅い吐息は、昼間の過酷なスケジュールも相まって疲弊の色合いを深くにじませる。まあ、はじめから金があるんやったらこないな仕事、受けてへんわな 等とらちもない愚痴を喉の奥で唸るようにつぶやきながらも、僅かに小さな光が灯っているであろう瑠璃色に暮れかけた空をみあげた。
高校を卒業して、一年半。日々、ちまちまと重ねる仕事は、在学中となんら変わらぬドラマのエキストラや雑誌のモデルばかり。それでも仕事があるだけましといわれれば、そうなのだけど、自分よりも幼い年齢で事務所に入り、既に舞台の上でスポットライトを浴びている後輩たちの活躍する姿を見たら、知らず鼻腔の奥がつんと痛くなる。
あ〜あ。
日々、マリン・スノウのようにゆっくりと降り積もる小さなストレスと不満は、それでも、今は夢の欠片を探す時と、雲を掴むように振り上げた手のひらに霧散して、そこに残るのはわずかな残骸。
「けど、悪いことばっかりやないもんな」
こつりと足下の石を蹴飛ばして、ゆうるりと緩む頬をぱちりと叩いた。
つい先日、といっても少し前の話だけれど、バラエティ番組でのことを思い出す。
『城島茂バンド 』
テレビでの企画ではあったが、初めて自分達の冠にグループ名がついたのだ。恥ずかしいことに自分の名前を戴くというどうも情けない状況ではあるが、と苦笑を浮かべる。
これならば、プライベートで組んだ『JURIA 』の方が、よっぽどらしいやろ、とこりこりと鼻先を掻くと、ようやく見えてきた小さな旅館の姿に、ん〜っと一つ大きな伸びをするように両手を伸して、くしゃくしゃになった前髪を手櫛で梳かし、ぱんと膝についた泥を払った。

「ただ今、戻りました」
大きなガラス扉の向こう側、小さく切り取られた玄関先に靴を揃えるように城島は、並べられているぺろりと軽いナイロンのスリッパに足を預けた。
朝、出入りが激しい時刻ならば、まだ、人の熱が残ったものもあるが、流石に、この時間だと用意されたスリッパは、秋の季節に習うような冷たさがある。それに、ほっとしながらも、下駄箱横に貼られた部屋割り表を見ようと、ひょいと首を伸ばした時だった。
「茂君」
「へ?」
かなり気の抜けた間抜けな声だったことは否めない。なぜなら、この場で自分を名前で呼ぶ存在などいるはずもなく、ましてや、今の声はここにいるはずのない男のものだ。
「お疲れさん」
だが、何の幻想やとばかりに、きょとんとした面持ちのまま、二、三度瞬きを繰り返すが、目の前の白昼夢は消えることなく、とたとたと近付いてくると、茂君?大丈夫? と顔を覗き込んでくる。
「だ、だ、大丈夫ちゃうやろ」
「どっか、気分でも悪い?」
医者、医者とぐいと掴まれた手首を勢い良く振払って、城島は、はあと両肩で大きく息を一つ吸った。
「なんで、お前がここにおるねん」
平素、あまり声を荒げることのない城島の大声に、次々にロケ現場から帰り着いていたスタッフたちが一瞬揃って振り返ったが、仮令、天下の某事務所所属とは言え、まだ、名前どころか、顔すらお茶の間に浸透していない存在の年若い芸能人同士の言い合いなんってさして興味がないらしく、すぐに談笑をしながら疲れを癒すために各々の部屋へと散っていく。
その城島の怒声を真正面に、受け止めた山口は、きょときょとと辺りへと視線を逃がしつつも、救いの手があろうはずもなくて、
「え〜っと、来ちゃった」
と、わずかに照れたようににこりと浮かんだ笑みに、来ちゃったちゃうやろと城島は肩を落とした。

閑話休題

何はともあれ、ひとまず落ち着くことが先決と、玄関先の古びた自動販売機にコインを入れて、珈琲を選べば、甲高い電子音とともにくるくると鮮やかな光が明滅する。自然、ゆるゆると視線がそれを追いかけるのは、すでに習性やな と苦笑を浮かべながら、城島は2本の缶を手に、旅館のロビーで待つ山口の前に、とすんと腰を下ろした。
「で?どないしたん?」
何かあったんか? 目の前で、いただきます〜と呑気にプルトップを開ける年下の友人は、どこまでも邪気がない。悪いニュースではなさそうだと、僅かに眦を綻ばしながら、とりあえずと城島も自分用の紅茶缶のプルトップをぷしりとこじ開けた。途端にゆるゆると立ち上る淡い湯気と仄かなミルクの甘みに、ほうと零れるのは安堵の吐息。
「今朝さ、合宿所の方に電話があってさ」
「電話?」
そ、と口の中で転がすようにしていた珈琲をこくりと飲み干して、山口が一つ大きく頷いた。
「坂本がさ、それとったらしいんだけど、なんかすっげぇ、ぺこぺこしてるからさ、社長からでも掛かってきたのかと思ったら、たまたまそこを通りかかった俺みつけて、俺におしつけやがんの」
ひでぇだろ? 言葉と裏腹の嬉しげな笑みに、城島は、それと山口が今ここにいる意味がつながらないと小首を傾げる。
「で、その電話、誰からやったん?」
社長が自分に用事ならば直接連絡があるだろうし、といっこうに埒のあかない会話に唇を尖らせる。
「お母さん」
「お母さん?って誰の?」
「誰のって貴方のに決まってるじゃん」
だから、俺、ここにいるのよ? とどこか嬉しげに胸を張り、それからこほんと一つ咳をした。

「仕事、頑張っとう?テレビ楽しみにみとうよ」
どこか歪なイントネーションの、それは、関西弁のつもりだろうか。ああ、恐らくは電話で聞き取った城島の母の言葉を忠実に繰り返しているのだ。それを証拠に、右の指は、台詞をいい忘れぬように、一つ二つと確かめるように折られていく。

「それから」
両手の指が、後もう少しでおり終わる頃、
「まだあんのんかい」
これで、最後と続いた言葉に、城島は、剥れたように突き出した唇をへの字に曲げると、そのまま先を促すように顎をしゃくった。
「シゲちゃん、誕生日おめでとうさん」
だが、先刻までの諄いぐらいに台詞に、はあと古びた床の上にぽとりと落ちたため息が、ゆるりと消えて、城島は告げられた言葉をゆっくりと確かめるように、薄く開いた唇が、音もなくその意味を辿るように形づくっていく。
「忘れてただろ?」
「やって、そんなん」
わずかに頬を赤らめて、俯いた城島に山口がからかうような、だが、嬉しげな声で笑う。
「けど、自分、そんなことのためにここまで来たんちゃうやろな」
わざわざ と城島が続ける二人がいる場所は、山間の小さな田舎町だ。日が落ちれば人通りもなく、そこここの草むらから聞えるのは、我先に存在を主張するかのように羽根をこすりあわせる虫たちの声ぐらいかB
「そんなこと、じゃねぇよ。大事なことじゃん」
「大事て」
「何よりも大事じゃん」
だって、と細められた眼の優しさに城島は戸惑いを隠せぬように、僅かに後じさった背にぽすんとぶつかる堅い椅子の背。
「誰でもない、貴方が生まれた日なんだよ」
「やまぐち?」
とくん と鼓動が一つなる。
だって、と今目の前の男が言った言葉をぽつりとこぼし、同時に、続く言葉を持たぬ自分の城島は、くしゃりと表情を歪めた。
「ずっと悩んでたんだ」
泣きそうな面持ちの城島の頭に怯えささぬようにゆっくりと伸びた手が、その柔らかな髪を梳くように滑り、ことりと揺れた小首に、口角をゆるりと綻ばす。
「ここに来るかどうか」
そう言うと、小さなショルダーの横に置いてあった紙袋から20cm四方の真白な箱を取り出した。
「一週間も前に予約してたのに」
軽く唇を尖らせながらも、その箱をそっと城島の目の前に置くと、照れたように小さく笑う。
「貴方のお母さんの電話を受けた時も、それでも、悩んでた」
でもさ、学校の帰りにケーキ屋でそれを受け取った時、どうしても行かなきゃ駄目だって思ったんだ。
「ああ。違うな、貴方に会いたいって思ったんだ」
「会いたいて自分」
「会って、目の前でおめでとうって言いたかった、一緒にケーキ食べたかったんだよ」

なんで?
返ってきたのは、不思議そうな面持ちと、抑揚のない一つの言葉。
「なんでって」
問われた言葉に山口の方が躊躇いを覚える。
「やって」
逆に問われた言葉に、向けられるのはただ困ったような面持ち。
「去年だって、一緒にケーキ食ったじゃん。今年の俺の誕生日だって」
上京したばかりで、お金がないと言いながらも、貴方はお祝いをしてくれたじゃん と。
「それは、自分の誕生日やし、一緒におったし、やから」
「だから、今日は貴方の誕生日でしょ?」
「けど、こんな場所までこんだかて、一日や二日ずらしても大したこと」
「たいしたことあるだろ」
思わず、立ち上がって机を叩いた山口を、城島が瞠目したままの表情で見上げた。
その表情に、山口は、鼻腔の奥深くが痛くなった。
この人は、本当にわかっていないのだ と。
「誕生日やから言うて、昨日と今日の僕が違うわけやないし、それに」
僕なんかの と続いた言葉に、山口はやんわりと頭を振った。
「僕なんか なんて言うなよ。さっきも言ったでしょ。俺は、ほかの誰でもなく、貴方の誕生日だから、おめでとうって言いたいんだよ」
僕やから? と返された言葉に、そう、茂君の誕生日だから と笑うと、城島は、まだどこか、顰め面の残ったまま歪むように緩めた唇はどこか笑っているような、同時に泣いているような複雑な表情だった。

 

あれから、15年以上の月日が流れた。
いつも暇だったあの頃と違い、自分達のプライベートな時間は、ずいぶんと減り、あの人と一緒に過ごす時間もずいぶんと減ったと思う。尤も、そう愚痴の一つでも言ったならば、忙しいて会われへんのは誰かさんが海やなんやて飛び回っとうからやろ と嫌みが倍にも三倍にもなって返ってくるだろう。
それでも、この日だけはできるだけ、そう出来るだけという言葉がその前にはつくけれど、あの人の顔を見て、おめでとうを言い続けている。
「そないに無理せんでええよ」
なのに、あの人はいつもちょっと困った表情を浮かべて、そういうのだ。息せき切ってインターフォンを押した時も、ロケ現場に行くほんの少しの隙間に、テレビ局でその腕を掴んだ時も、 僕なんかのために、そないに気ぃ使わん時 と。

ったくさ、と山口が蹴飛ばした足下の小石が描くのはどこまでも柔らかな曲線で、けして、忌ま忌ましいほどに晴れ渡った秋空に届くことはない。
誰をもやんわりと受け入れてしまう、そんな柔らかさを持つくせに、近付けたつもりで手を伸ばしても、 けして届かぬその空は、どこかあの人のようだと苦笑が浮かぶ。

別れてしまった実父、幼き頃から転校ばかりで、知り合っては別れを繰り返す友人たち。
きっと、あの人は、誰かに何かを求めることに臆病になってしまっているから。
人のために何かをすることを当然と思っていても、誰かが自分のために何かをしてくれることを必然と思わないあの人が、本当はとても寂しがりやなのだと、気が付いたのはいつのことだろう。
それまでは、ただ、頑な意地っ張りなのだと思っていたけれど。
「いや、ま、意地っ張りは意地っ張りなんだけどさ」
もし、37年前の今日、あの人が生まれたその瞬間、そばにいることができたならと思うのだ。
同時に、もし、自分がそこにいて、生まれたばかりの城島をこの手に抱いていたならば、今の自分達は存在しない。分かっている。
そして、それがけして叶わぬ過去であるからこそ、その連なりの上に自分達は立っているのだ。
だから、と山口は、淡い色の紙でラッピングされた小さな包みを鞄の上から軽く叩いた。
今さら、あり得ない過去を思い嘆くより、 今日の貴方に会いにいくのだ。
「そないに無理せんと、今度会うた時で良かったのに」
そう困ったように小首を傾げながらも、寿ぎの言葉に、面映ゆげに綻ぶ貴方に19回目のおめでとうを言うのだ。
あなたが生まれた大切な今日という日に、誰よりも大切な貴方に、生まれてきてくれてありがとうという思いを込めて。

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