しとどに降る驟雨を見上げ、鮮やかに揺れる緑の眩さに眼を伏せる。緩やかな陽光を受けることのない緑葉はそれでも艶やかなまでの色を纏、梢の隙間から垣間見えるこごり雲の黒さと相まり、一層の輝きを見せる夏のひとひら。
じんわりと大地から滲み寄せるような水気に二三度足を踏みならすと、しゃぷりという浅い水音が辺りに響く。それに気付いたらしい影が、時折背にあたる幹の反対側からひょいと顔を覗かせて、そのままするりと隣へとその身を寄せるように近付いてきた。
「何やってんの?」
「ん〜、止まんなあて思て」
「スタッフ、今頃怒ってんじゃね?」
無意識にのばした指先を伝うように流れる雫をふいと振払うように腕を大きく振りながら、山口がわずかに口角をあげるようにして笑みを浮かべた。
今日は久しぶりに二人での村ロケだ。いつもならば、村が映れば必ずといっても良いほどその画面に顔を出して、ほとんど村に住んでいるイメージの山口なのだが、やはり夏の連続ドラマの主役を演じているからか、その分の露出度が減り、代わりのように顔を出しているのは長瀬であり、村ロケ以外でも、下二人の露出がずいぶんと増えている。それをどうこういうつもりはないのだけれど、やはり、と山口は傍らで、空を伺うように僅かに上を向いた横顔に視線を走らせた。
仕事という名目上、カメラが回ると同時に張り巡らされる緊張感、それは、デビューから、もとい、デビュー前、ドラマに出演していた頃から変わることのないものだ。
だけど、他の誰と仕事をしている時よりも、この人と一緒の空間に居る時に感じるものは、心地良いとさえ思える空気だ。
「この間さ」
「この間?」
掛けられた声に、ゆうるりとした仕草で、戻ってきた琥珀の虹彩に少し歪みながら写る己の顔にほんの少し、ほっとしながら、山口は、うん、と頷いた。
「やってたじゃん、電話で里帰り おばあちゃんのお家に辿り着けるか? 企画」
その言葉に、ああ、と相づちをうつとそれがどないしたんと軽く小首が傾ぐ。
「羅来ちゃんな」
おしゃまさんでしっかりした可愛らしい子やったでぇ とその時を思い出しているのか、自然、綻んだ眦が柔らかいまでにほんのり染まり、ぽてりとした唇が緩やかに三日月のような弧を描く。
「みたいだね、松岡は結構苦労してたみたいだけどさ」
凛ちゃんという恥ずかしがりやな5歳の少女と青森を目指していた松岡が、その少女といかにコミュニケーションをとるかと奮闘していた姿を思い出し、山口もくすりと笑う。
「貴方と羅来ちゃんはすぐ仲良くなってたじゃん」
「そらなぁ、これでも僕、去年はお父ちゃんやっとったしな」
今は自分がお父ちゃんやけどな、と続く楽しげな言葉に、山口は 苦労してます と僅かに頭を垂れるようにして頬を掻き、ま、可愛いことは可愛いんだけどさ と苦笑を浮かべてみせた。
「で?羅来ちゃんがどないかしたんか?」
「ん?彼女がっていうのじゃなくてね、雨宿りしてたでしょ?」
今見たいに と梢を見上げ、眼を細める。
「おん、ちょぉ寄り道してしもうたけどな」
「あんな大きな葉なんてよくあったよね」
そう、あの映像で、突然の雨に降られ小走りになった虫取り網と麦わら帽子の城島と羅来ちゃんの手には大きなタロイモのような植物の大きな葉が傘代わりに握られていた。
ほとほととアスファルトの色を変えながら降り続く景色の中、その姿はどこか愛らしくそして自然の一部のように溶け込んではいたのだけれど。
「ああ、あれなあ、あん時はほんま焦ったんやで」
雨の予報など出てへんかったからなあ とくすくすと笑う。
当然のように出演者が撮影に持つための傘等の準備をしているはずもない。
だが、カメラのクルーたちは、いかなるときでも、ロケというものは何が起こるかわかりはしない、当然のように機材を濡らさぬように、合羽や傘の携帯は必須。ほんのしばし、撮影の手を止め、城島と5歳の少女の目の前で、着々と雨を避けるための準備がなされていく。それは、城島やクルーにとっては、極々自然の流れだった。
傘を持たないロケなのだから、出演者が濡れることは、必然で当然。そこになんら疑問は浮かばない。だけど。
我侭を言うな としかりと母親に言いくるめられてきたのか、ゆっくりと頬を伝う雫にむっと唇を歪め、泣きそうに表情を歪めながらも、不平一つ言おうとしないその小さな横顔が幼気であった。だからといって、目の前のスタッフの傘を寄越せと言えるはずもなく。
「歩いとった道の横にな、あれが生えとったんよ」
ほら、羅来ちゃん、見てみ、コロボックルやで と二本の太い茎を両手に持って振り回した城島に向けられたのは、曇天さえも晴れるのではないかと思えるほどに鮮やかな笑みだった。
「そっか」
「ここには生えてへんけどなあ」
残念そうに見回した先には井戸を覆う屋根がちらりと見える。あそこまで行ければ、役場にいるであろうスタッフにも気付いてもらえそうなものなのだが。
「そういえばさ、羅来ちゃん、雨に向こう行けって歌ってたっけ」
膝と尻がつかぬように、しゃがみ込んでいるその隣に同じように腰を下ろしながら、山口は、え〜っとなんていってたっけなあ と節を探そうとするが。
「ああ、わっかんね」
「僕も全然覚えてへんわ」
歌えといわんばかりに振り返った瞳に、鼻先に皺を寄せ、わからんわ と笑う。
「ちぇ、あの時みたいに天気が良くなるかもしれねぇのにさ」
軽く唇を尖らせて見せると、城島が、せやねぇ とのんびりと小首を傾げた。
「せやけど、天気が良くなるってどういうことなんやろ」
「そりゃ、雨が止んで晴れることなんじゃねぇの」
「けどなあ、雨の方な悪いなんて少しも思うてへんと思うで」
そういうと、城島はまた雫を受け止めるように両手を前へと差し出した。
音がしない と山口は僅かに目を開く。
雨音はぱたぱたと何かを叩くような音だと思っていた。
だが、その柔らかな掌に落ちる雫は、とても優しく、こんもりとした窪みに音を立てることなく吸い込まれていく。
「僕もな、前は、そう思とった」
ロケの時、たんたんと叩き付けるような雨音に、ロケバスから鬱陶しいまでに重苦しい空を見上げ、腹立つ天気だと怒り、じゅわりと靴を濡らす水たまりさえもが疎ましかった。
「けどなあ、雨が降らんと困るのになあ」
雨が降ると、天気が悪いと文句を言い、雨が降らぬと水不足だと不平を言う。
「ほんま自分勝手な話やで」
「自分勝手?」
こっくりと一つ頷いて、見上げた空は、まだ光一つ差さぬ曇り空。
「都合のええときだけ、恵みの雨て呼ぶんやもんなあ」
ゆらりと揺れる幾粒もの雫の集まりは、どこまでも透き通り、汚れ一つ知らずに緑の光を写し取る。
「村に来てな」
「うん」
「土耕して、苗植えて」
柔らかくなる土、それを突き破るように揺れる小さな緑葉、その双葉の上でふるりと揺れる白露が奇麗だった。
「雨のほんまの大切さがわかった気ぃがするんよ」
水道を捻れば、何の苦もなく水が迸る街の生活。
「水があるのが当たり前やと思っとったからなあ」
「そうだね」
そういえば自分も、と山口もまた空を見上げる。
他のロケでは、降り出す雨を疎ましくは思うけれど。
「恵みの雨かあ」
村で出会う雨は、東京に降る雨よりも愛おしいと思うのだ。
同じように、人の住う大地を潤すための雫のはずだが、今、この男の指先を濡らすこの雨は、どこか甘く柔らかくさえ感じて。
「せやから、ロケの時に雨が降っても、天気が悪いて思うのは止めたんよ」
「俺らの勝手な思い込みで、善悪つけられちゃ、天気も気の毒だよな、確かに」
「やろ、それにな、時にはこうやって、一休みする時間もくれるしな」
よっと と腰を伸ばすように立ち上がった山口を見上げてくるのは、悪戯な猫のようににんまりと細められたきれいな眼。
めぐみの雨。