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今、君に会いたい

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夜の帳の降りた迷路のような裏路地を慣れた仕草で歩いていく。
夜といっても、まだ、20時になるかならぬかの宵の口。
だが、レギュラー番組の撮りが続くこの時節、忙しい忙しいと騒いでも、割合とスケジュールは把握しやすく、週に一、二度は、こんな風に自分の時間を取ることが許される。
そう笑ったら、んなわけねぇだろ、こっちは暇を見付けて歩くぐらいしかできねぇってのに、と全局、もとい、テレ東以外全ての局にレギュラーを持つメンバーが三白眼を釣り上げて、噛み付いてきそうだと、含むようにくすくす笑う。
 さて、そんなことより、今日はどこのバーに行こうか。
 少し予定よりも早く終えた仕事を良いことに局近くの居酒屋で既に夕食をとっており、お茶代わりの麦酒で軽い下地ができている。
言うなれば、酔ってはいないけれど、割合心地よい気分状態というところか。
 目深に被った帽子の影で、くふふっと含むように笑う姿は、すれ違う誰かが居たならば思わず振り返ってしまうような怪しさではあったが、幸いにもここは人通りの格段に少ない裏道だ。
拳からつきだした人さし指で口元を押さえるようにしながら歩く男を見とがめるものはいない。
 この間、まりんちゃんを連れてったったバーでもええけど、と小首を傾げるが、マジック仲間でもある城島が訪れる度に、嬉々としていろんな手品を見せるマスターのしてやったりという嬉しげな笑みを思い出し、今日はあそこはあかんなあ、と自然唇を尖らせて、向かっていた方向を避けるようにしてふいと横道から表通りへと向きを変えるそのまますたすたと車の走る音のする方へと足を向けようとした。
 だが、つと踏み出した靴の裏、かさりと何かを踏み付けた感触に足下を見下ろす。
 それは、薄暗がりに目を凝らせば、風に浚われてきたらしいモノトーンのフライヤーだった。
ライブ・ハウスがあるんや とそれの転がってきたと思しき先を見ると、案の定小さなライトの灯った看板がある。
 VARIT と臙脂色の地に白い文字で抜き取られたそれに、僅かに眼を細めると、城島は色の浅いサングラスを外した。
その先に続くものは、白い蛍光灯のみに照らされた薄暗い階段と壁という壁全てに張られた無数のフライヤーだ。
どことなく古びた雰囲気を醸し出すのは、時折じじっと音をたてる電気コードだろうか。
そのわざと汚したような退廃的な趣に、苦笑を一つ唇に浮かべると、城島はもう一度、手もとのフライヤーを見下ろした。
 拾い上げたあまり質の良くない紙には、空を見上げる5人の男のシルエット写真があった。
   1ドリンクがついて、3,000円程度。
ふらりと立ち寄るにはなんとも気楽な値段だ。
 目の前に置かれたラミネートされたメニューには、種々様々なドリンクの名前が並んで入るが、こんな場所で飲める酒の種類に期待はしていない。
もとより酒を飲ませるための場所ではないしな、と客のおらぬカウンターに肩ひじをつくと、城島はメニューを見ることもなく麦酒を頼んだ。
 地下の階段を降り、くぐった扉の向こう側、半中階に設えられたここに客はいない。
 時折、ドリンクを買いにくる者か、行き交うのは関係者らしき人影があるばかり。
 もう一段下にあるスタンディングでも50人程が入れば一杯になるような小さなホールには、30人も人がいるかどうかだ。
ちらりとくれた視線の端では、わずかに高くなったステージから連なるように客席にまでおかれた台の上に飛び乗った薄い上肢を曝した年若いヴォーカルが、歌とも叫びともわからぬ雄叫びをあげながら、一番前に並ぶ数人の少女たちを煽り立てている。
あれは歌とは言わんやろうけどなあ と胸ポケットから半分潰れかけたような煙草のパッケージを取り出した。
 冷え過ぎたプラスチックのカップに唇を寄せる城島の横を、客らしき女性が新たに通り過ぎていく。
 1つのバンドが1ステージで歌う曲は大体3~4曲程度というところか。
手もとに広げられたままの紙には、4つほどのバンド名が並んでいる。
開演からは、既に2時間近くが過ぎているようだ。
ということは、掠れた声のヴォーカルがラストの曲だと叫んでいるところを見ると、次のバンドがラストなのかもしれない。
 全部のバンドの演奏を聴いても、お目当てだけのバンドの演奏を聴いてもチケット一枚の価格は変わらない。
 だが、明らかに一つの目的を持って、重すぎる鉄の扉を擦り抜けてくる人の影に、自然に唇が弧を描く。
途切れた声に視線を戻せば、ステージにはカーテンが下り、その向こう側では人の動く気配が伝わってくる。
ホールの中央に置かれていた台は邪魔にならぬように場所を変え、まばらだったホールには、壁に背を預けていた人々が移動したのか、満杯ではないが先ほどまでの閑散とした印象が消えているようだ。
その雰囲気のかわり方に、へぇ、とカウンターに預けていた体を起こすと、ステージが見渡せる位置に移動すると目の前にある階段の手摺に体重を掛けた。
 階下から途切れることなく立ち昇っていた幾重もの紫煙は、今はどこかけだるげな空気に溶けるように姿を消し、前方に設えられている太い人避けの柵の前には、前のバンドの曲におざなりに体を揺らしていた女の子が頬を上気させながら言葉を交わしている姿があった。
 5人組のバンドやったよな と浅い息を吐くと同時に、くっと傾けられたカップから、少し温んだ麦酒が喉の奥に流れていく。
 自分達が、デビュー前、小さなライブハウスで演奏したときは6人やったんよなあ と、きゅっと口角が天を向くようにあがる。
まだ、幼かった長瀬はヘルプのメンバーでタンバリンを叩いていたっけ。
 久しぶりの雰囲気に、その頃の自分達をふと思い出す。
 階下では、DJだろうか、小太りの男が次のバンドの紹介を初めており、するすると上がっていく幕の向こう側には、ドラムを中央にギターやベースが並べられていたが、演者の姿はない。
だが、然程も待つ間もなく、ステージ中央を照らしはじめたライトの光に、わっと数人の客が声を上げた。
 どん、腹の底に響いた音に、城島は僅かに視線をあげてステージを睨み付けた。
 申し訳無さげに添えられていたプロフィールを見る限り、けして若いとは言えない少し長めの髪に軽くウェイブをかけたヴォーカルがマイクを手に、自分達のバンド名を叫んでいる。
 ドラムの音に合わせて、背の高いWギターが揃って頭を振り、ヴォーカルを挟んだ逆の立ち位置では、小柄なベースが頭を前に突き出すように弦をかき慣らしている。
 巧いというわけではない。
 荒削りな印象と、ヴォーカルの掠れた、それでも音量のある声が小さなライブハウスに満ちていく。
 けして聴かせる印象ではない。
 だが、首を揺らしながら腕を組んで立っているもの、最前列で腕を振り回しているもの、少し後ろの位置で曲に乗るように体を動かすもの。
明かに先刻までのバンドにはなかった音のエネルギーが渦を巻き、一歩引くようにステージを見上げていた者たちを確実に自分達の世界へと引き込んでいく。
 ベースの音に下腹部がずくりとうずき、流れる旋律の激しさに、心臓が鼓動を打つ。
 最凶のロックグループとキャッチコピーを打たれた彼等の曲は万人受けするものでもない激しさだ。
 だが、その空間にある曲を聴くものと聴かせるものの近さに、城島はぎちりと拳を握りしめた。
 この、いや、もう去年の夏になるのか。
 ファンとの距離を近付けたくて、音を聞いて欲しくて、小さな、そう、あの事務所に属するグループとしては異例なほど小さなキャパでしかないライブハウスでのツアーを決行した。
 手を伸ばせば届きそうな距離で、曲に任せて踊るファンの熱気と、大気を振るわせるような自分達の音への高揚感、全身が一気に熱くなったのを覚えている。
 ああ、これが自分達の原点なのだと。
 でも。
 自分達の背後にはいつも事務所の名前が付きまとう。
デビューする前から当然のようにJrとしてドラマに出演し、舞台で踊り、それが当然だと思っていた。
 もちろん、他のぽっとデビューしたアイドルと呼ばれる人たちよりも事務所のメンバーは下積みは長いし、特に自分達は他のグループと違い、ライブハウスでの演奏経験もある。
 だが。
 ドラマやバラエティで名前や顔を覚えてくれた人たちは、果たして自分達がバンドをしていることすら知っているのだろうかと疑問が残るぐらいには、TOKIOである前に、ジ ャ ニ ー ズという看板で自分達を見る人たちがいるのだ。
 恍惚とした酩酊状態でマイクを振り回すヴォーカルが、滑らかではない口調で、MCを始める。
 今、レコーディング合宿をしています。
 また、買うてな、と話すのは西の言葉か。
 5分もしゃべることなく、始まる次の曲。
 ファンというものは一過性の流行り病のようなものだ。
 とくにジ ャ ニ ー ズのファンは、成長過程の一時の憧憬でしかない。
そう、テレビの中のヒーローに憧れる子供と同じ。
隣の誰かが憧れるものを当然のように好きになり、同じ話題で花を咲かせ、連帯感に喜びと安心を求める。
 そして、次第に己のうちを見つめ、自分の真に求めるものを見つけ、傍らにいるものの手を離すのだ。
 つまりは、そういうこと。
 見つめる視線は少なくとも、今、彼等の目の前で両手を突き上げ、目を輝かせるファンは、彼等自身と彼等の曲を好きになり、この小さなボックスまで足を運んでいる。
彼女たちは彼等自身が自分達の存在自体で掴みとったファンなのだ。
 その密度が違う。
それを否と思ったことなどなかったけれど。
 「俺ら頑張っとうから、応援したってな。
今年もライブスケジュールみっちりで、また、2週間後も新宿でライブするから」 バイトをしながら、小さなバンに機材を乗せて、日をあけることなくこなしていく忙殺的なライブスケジュール。
 だが、音を楽しむ、という『音楽』の原点が彼等の上にはある。
 彼等の中にある、音という現実と理想。
 ふつと沸き上がるのは、羨望という名の感情だ。
 ただ、音に対するその情熱と必死さが伝わるこのライブと彼等が奏でる音源への譬えようもない焦燥感。
 まだ、デビューの形が見えてなかった頃、それでも、なけなしのお金で買い揃えた楽器を抱え、電車に乗ってライブハウスを巡った日々が自分達にもあった。
 完成度の低い、今から考えれば、それでマジで金を取るのか?というような音だったけれど、指先が痛くなるぐらいにただ只管挽き続けた。
 ライブ・ハウスツアーの最終日、メンバー誰ともなく抱き合って泣いたこともあった。
 金もない、将来も見えない、それでも、どこか緩慢な倦怠感など、どこにもなくて。
 音に包まれているその一瞬一瞬が、自分の全てだった。
 あかんわ、と小さく笑う。
 ステージから流れる曲とは違う旋律を奏でるように下腹部あたりで動く右の手と、べこりとへこんだカップに刻まれたラインを押さえる左の指先。
 安定した生活と、華やかなテレビの世界。
 今の自分達を否定するつもりはないし、 嘆くことはけしてない。
それは、今を目指して我武者らに生きてきた過去の自分への冒涜だ。
映画に出演して、CMで笑って、 ドラマで視聴率をとって、バラエティで頑張って、全てが自分達の欠片なのは変わりはない。
 でも。
 ぐいと勢い良く飲み干した麦酒のカップをゴミ箱に放り込むと、城島はもう一度ステージを振り返った。
わっと沸き起こる拍手の音と捌けていくメンバーの背を見送りながらも、アンコールを待たずして、そのままそっとライブハウスの扉を押しあける。
 足下の悪い階段を小走りで駆け上がりながら、器用にも鞄から取り出した携帯の履歴をもどかしげに押していく。
 音楽をしたい。
 大きなコンサートホールでなく、数百人のファンが居並ぶライブハウスでなくてもいい。
 ただ、熱を、情を音にしたいと切に思う。
 まだ、デビューが、人前で音を奏でることが夢だったあの頃のように。
 「あ、もしもし、おん、僕」
繋がったラインの向こう側から、聞こえる声に、城島はそっと瞼を戦慄かせるときゅと口角をあげて、時計を見る。
 「今、ちょっと時間大丈夫か?」
今から行ってええ?と続いた言葉に、マジ? と驚いたような声と 気をつけてこいよ と呆れを含みながらの言葉に、自然頬が綻んでいく。
 まだ、音が夢でしかなかった頃、それでもそれが全てだった二人のように、ただ、夢中で弦をかき鳴らすのだ。
 ぱたんと閉じた携帯もそのままに、城島は、雑踏の残る駅へと駆け出した。
 今、ただ、あの頃の君に会いたい と。
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