Jyoshima & Yamaguchi

Happy Birthday

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大きい目の鉢に山と盛り付けられたそれを、大きめのスプーンで、まず一口。
目の前で頬杖をついて、こちらを伺っている細められた眼を一瞬見遣り、それから満足げな微笑を一つ浮かべた後、うめぇ、と呟き。そのまま、勢い良く鉢を持ち上げた。
去年から始まった年の初めの大仕事を漸く終え、心身共にへとへとになった彼等に与えられた二日ほどの短い正月休みは、久しぶりに顔を合わせた家族とのゆったりしたたゆるような時間のおかげか、それでも城島の疲れをやんわりと癒すには十分なものであった。
ほかのメンバー、松岡はさておき、甥っ子や姪っ子たちにお年玉をせびられ、その相手を余儀なくされているだろう彼等と違い、母の手料理を誰に奪われることなく堪能し、この上ない上機嫌で楽屋の扉を押しあけた一人っ子である城島にかけられた第一声は『ケーキ焼いて』という満面の笑顔付きのものだった。

 

料理は好きだ。
はっきりいって、今現在、自分の趣味と問われれば、シェフ松岡ではないが、料理ですね と胸を張って答えることができる。以前のようにほんの短期間で枯れさせてしまったハーブ園とは違い、まあ、はじめは仕事絡みであったとは言え、今の料理の腕はそこらへんの新婚の奥様にも負けはしない自信はある。
だが、一か月ほど前の雑誌の取材にも答えたように、料理とお菓子は違うと思う。だいたいこれぐらいの分量でええやろ、こんな感じの味やから、これも足してみよかあ。そんな雰囲気で己の味を作り上げていく料理に比べ、お菓子作りはそんな甘いものではない。否、甘いといえば語弊があるかもしれないけれど、きっちりとした分量、入れる順番、撹拌の仕方、どれか一つでも抜けたならば、スポンジケーキは膨らまず、クリームに角が立つことがなくなるのだ。
元来不器用で面倒くさがりの自分には、到底できない芸当だ と城島は思っている。だから、当然のように料理の本は開いて見るが、菓子づくりの本を開くことはない。それに、自分ならば、菓子にふんだんに使われる高級な洋酒などを手に入れたならば、ボールに入れるよりも先に己の口に入ってしまうに違いない。
やから、そんなんよう作らんわ、という、城島の頑な拒否に、厚顔にも男友達に手作りケーキを強請った山口は、軽く唇を尖らせてえ〜っとすねてみせた後、じゃあさあ と満面の笑みを浮かべながら、本の少し上半身を城島の方に乗り出すと、その指先を目の前の、なんやの?といとも不安げな鼻先につきつけた。

 

じゃあさあ、代わりに麻婆丼作って。

 

「ほんと美味いねぇ」
と、食べることに不馴れな子供のように、頬に赤いチリソースをつけながら、35歳になったばかりの山口が満足げに口元を綻ばす。
「RI KA KOさんのさ、麻婆丼食ったじゃん。あれ、本当に美味かったんだよな」
僅かに眦を緩めるように細めた眼が彷徨うに思い出すのは、昨年の11月の末、放映されたのはこの正月だが、城島の看板番組でもある某料理番組で味見をしたプロをも唸らせる腕前を見せつけた、主婦のカリスマとも呼ばれているらしい女性作の麻婆丼。
彼女独特の作り方ではあったが、素直な辛みと味わいのあるそれを食べた時、ああ、負けちゃったなあ とまじめに思ったと山口は、もう一口スプーン山盛りのご飯を頬張った。
「でもさ、貴方の麻婆丼も同点だったでしょ」
あん時さあ、服部先生の分分捕って食っちまおうかと思ったんだよね、マジ と悪びれる風もなくごくりと麦酒を飲む。
「でも、わかるわ、これ本当美味いもん」
俺ならこっちの方が上だよな とぼそりと呟くと、はい?と顔を上げた城島ににまりと笑みを深めると丼をカキコんでいく。
そんな成長期の餓鬼のような豪快な食べっぷりに、城島は苦笑を浮かべながら、机を挟んだ逆位置に頬杖をつくように絨毯の上に座り込んだ足を崩した。
「ほな、満足したんか?」
ずずっとまるで味噌汁を味わうかのように片手で鉢を持った山口は、音をたててこれもまた城島手作りの中華スープもどきを舌鼓を打つようにこくりと飲むと
「もちろん」
と嬉しげに眦を綻ばす。
その表情に、本当に幸せそうやな と城島は、自分の目の前にある麦酒缶をわずかに傾ける。
「手作りケーキも心残りだけどさ」
そんな城島の様子に気付くことなく、これで十分と親指の腹をぺろりと嘗めて見せた山口に、
「ほな、もうええな」
そういうと、城島は両手で大きく伸びをしながら、明るい色のフローリングに敷いた毛足の長いラグの中へとばたりと倒れ込んだ。
「しげ?」
唐突に視界から消えた城島にかけられたのは、一瞬前とは打って変わってどこか伺うような山口の声。だが、城島は、それに答えることもなく、ふいと山口から視線を反らすように横を向いてしまう。
硝子の机越しの距離で、そんな城島のどこか子供めいた仕草に、山口は軽く腰を浮かすように寝転んでしまった城島を覗き込んだが。

「麻婆丼あったら、満足なんやろ」

顔の前で両腕を交差してしまった城島の表情を伺い知るこことはできない。
だが、僕いらんのやろ とぽつりと毀れたかけそない声に重なるようにことりと物を置くような音が静かな室内に小さく響いた。
「もしかして、一か月以上も前のこと、まだ気にしてる?」
短く切り揃えられた髪の隙間から覗く赤く染まった耳朶を見下ろしながら、山口は城島の態度を頑にしている原因を思い当たったのか、先刻までのどこか弾んだようなものから柔らかな口調になると、音もなく城島の傍らまで移動した。
「見たんはこの間や」
し〜げ と城島を挟み込むように上から腕をつけば、知らん と山口の声から逃げるように声のする逆方向に体ごと向いてしまう。
「けどさ、あれぐらいいつものことでしょ」
「せやね、アレぐらいは、いつものことかもしれん」
けど、と軽く瞼を伏せながら城島は、なおも口元をきゅっと歪めた。
「ねぇ、そりゃあ確かに放映はこの間だったけどさ」
もう時効じゃん と続いた言葉に、一瞬だけ振り返った強い視線が射すくめるように山口を睨み付けた。
「大笑点でかて言うたくせに」
そう一言だけ言い残して、再びくるりと背を向けてしまう。
まるで子供が駄々を捏ねているような行動のせいか、その背がやけに小さく見えて、山口はそれ以上の距離を詰めることも離れることもできなくなる。

 

リーダーも持ってって。

 

ああ、そうだ、確かに、それを発した山口自身の姿は、カメラには映ってはいなかったけれど、確かに公然と流れた、それはけして取り消せない言葉の欠片。
そして、誰よりも近い場所に座っていた城島の耳にそれが届いていないわけがないのだ。
「僕なんか、いらんのやろ」
「んなわけないでしょ」
しげ、と上から降る伺うような、どこか困惑を隠しきれないような声にも、城島はただ亀の子のように首をきゅっと竦ませるだけだった。

 

確かに、あの時の山口の台詞は、長瀬の台詞に乗じたものだったのかもしれない。あのまま言葉が切れてしまうより、番組の流れ的にも、良かったのかもしれない。
でも、時々恐くなることがあるのだ。

 

今、自分が立つこの場所が。

 

自分達、TO KI Oの今の状況を成功しているか? と誰かに問われたならば、それは間違いなくYESだと思う。自分達 TO KI Oが冠の番組は、長寿番組と呼ばれるほどに長く続き、スペシャルをすれば視聴率をとり、特番と称して季節ごとにはレギュラー以外の仕事がある。バンドとして、ライブを開けばチケットは確実に売れ、この間出したシングルはセンバツの行進曲にも内定したと聞いた。
そりゃあ、上を見ればその先にはキリがないけれど、確かに自分達は成功していると自信を持って言うことができる。でも。

自分達がこの世界で、赤子のような辿々しさでよちよちと歩み始めた頃、自分の服の裾を掴むように連なっていたメンバーたちの面立ちはまだどこか幼くて、それでも、差し伸べられた城島の、けして大きく頼りがいがあるとは言いがたいその手にしかりと縋り、必死で自分達の足場を探してもがいていた。
その姿はまるで母鳥に置いてかれまいとする雛のようで、ああ、自分は必要とされているのだと、まだ、大人になりきれぬ城島も、また、己の手を精いっぱいに広げて、彼等を守ろうとしていたように思う。

ならば、今は?

ギターのコード一つ引けなかった年端のゆかなかったヴォーカルは、今では、TO KI Oにはなくてはならぬ顔となり、そして彼の出るドラマは必ずといって良いほど安定した視聴率を取る。
スティックさえも握ったことのなかったドラマーは、持ち前の努力気質でいつしかメンバーを背中から支えるリズムの根幹を刻み、映画にドラマに、そして今年は世界の寛斎が描き出す舞台の主役に抜擢され、彼もまた世界へと羽ばたこうとしている。
自腹を切ってキーボードを習っていた小生意気なキーボーディストは人を惹き付ける旋律を生み出し、人なつこい笑顔と巧みな話術で数多くの番組で司会を任されることも少なくなく、レギュラー番組もメンバー一多く、演技をすれば、主役も脇役もこなせるマルチスト。
そして山口も、と城島は薄くため息をついた。

それに比べて、自分はどうだろう。
確かにゴールデンに進出したレギュラー番組はあるし、去年は、今まだ放映中ではあるが、久しぶりにドラマにも出演した。 時間に追われるような忙しい日々は、それなりに充実している。
だけど。

ずっと、自分がメンバーを支えているつもりだった。
なのに、気が付けば、彼等はとろとろと歩いている自分の頭上遥か高みを軽々と飛び越えて、遅いよリーダーと振り返って、その手を差し出すのだ。

ああ、もうその手に自分はいらないのだ と思い知らされるその一瞬がたまらない恐怖になる。

しげ?
きゅっと伏せられたままの瞼を霞めるように、柔らかな声が城島を取り巻く空気を揺らす。
だが、ごめんな、とつぶやく城島の声は辺りの空気を震わせることもなく、ただ、淡い吐息となってほのりと暗い大気に滲んで消える。
わかっている。
この男が、自分に向けてどんなに雑言を吐いたとしても、そこには一欠片の悪意もない。
気の置けない仲間同士の他愛もない戯れに過ぎないと。
おおらかで、そのくせどこか気が小さい、そんな山口がなんの躊躇いもなく、あんな言葉を発するのは、それは彼がほんの微塵も疑っていないから。
城島が、自分の傍らから居なくなることなどありはしないのだと。
それは、いっそ笑えるほどに、揺るがない自信の現れなのかもしれないけれど。

同時に、それはこの男の無意識の甘えでもあり、城島自信の甘えでもあるのだが。
わかっていても、誰かに問いたくなる時があるのだ。

ねえ、僕は、本当にここに居ても良いの? と。

支えているつもりで、本当は、彼等が自分を頼るその手の重みに、ひしと縋っていたのは城島の方だったから。
己の袖をくいと引っ張るその指が、自分の居場所を教えてくれる唯一の温もりと知っていて、自分は、その手を離せずにいたのだ。

「自分、僕より太一の方が仲ええもんな」
やがて、ため息をつきながらも、ゆっくりと開いた両手の隙間からほんの少しだけ覗いた琥珀色の光彩に映り込むのは、戸惑いを隠せぬ山口の表情。
「僕と飲むより、松岡と飲む方が楽しそうやし」
なんと答えるべきか、と逡巡するように薄く開いた唇が、僅かに戦慄く。
「長瀬かて、自分には素直で可愛いしな」
ほら、僕なんか自分にはいらんやん、と拗ねたような口調になった城島に、ばかじゃん と漸く返されたのは小さな呟き。

 

うん、ばかやねん と僅かに口角を緩めながら、僅かに狭まった距離に、城島の瞳が猫の瞳子よりも細く、眉月のように奇麗な弧を描く。
だから、時折、こんな風に言質を求めてしまう。
気安さと安心からか、そのターゲットにされるのは大概目の前で困ったように、眉間を潜めている目の前の男なのだけれど。

「しげのこと、本気でいらないわけないでしょ」
諭すような表情と、ゆっくりとほどかれていく愁眉。
「必要やなくない?」
それを見上げながら、僅かに傾ぐ小首と
「必要に決まってるだろ」
「麻婆丼より?」
「何あたりまえのこと言ってんの」
ほんまか?と、問うてくる幼めいた表情と、子供のような必死さに、山口が小さく笑う。
「そしたら、僕おったら、もう、麻婆丼いらんよな」
「比較できるもんでもないけどさ」
その言葉に、良かったわ と破顔した城島がとんと両手をのばして山口の体を押し上げた。
「しげ?」
そのまま、起こして、と差し出された手を引っ張り挙げると、おおきになあ、と城島が、もう一度大きく両手を伸ばすように伸びをする。

「ほんま、良かったわ、折角作った分、全部自分食うてしまうかと思うた」
そういいながら、振り返った小さなキッチンのガステーブルの上には、たっぷりと作られた麻婆の入った鍋がある。
「ようけ作った、思たのに、すごい勢いでなくなるんやもんなあ」
と呵々と笑う城島に、山口が訝しげに眉間に深い皺を刻み込む。
「どういうこと?」
目の前では、手早く机を拭き始める城島の姿。
「もうちょっとしたらな、松岡がケーキ持って来るはずやねん」
「ちょっと待ってよ」
そろそろあっため直そかな、そや、サラダでも作っとこか といそいそとキッチンへ向かう背中は、どこか楽しげで。
「どういうことだよ。それ」
「松岡も誕生日やろ」
何が欲しいて聞いたら、自分と同じやねんもん、ほんま、気ぃ合うなあ自分ら。僅かな怒気さえ、そのほわりとした笑みを前にしたら、呆気無く霧散してしまう。
「ほら、自分もそこらへん片づけや」
あの子ら、そろそろつく頃やで、その言葉に、それでもどこか拗ねたように、ちぇ〜と舌打ちをしながら、飲み散らかした麦酒缶を片づけ始めた背中に、城島は、ごめんなあ と薄い微笑をほとりと落とす。

 

出会ってから、両手では数えきれぬ程、この男の誕生日を祝ってきた。
その度に思うのだ。
生まれてきてくれてありがとう。
僕に居場所をくれてありがとう と。

そして、あなたが生まれたこの日におめでとうと言える『今』に、ありがとう。

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