Jyoshima & Yamaguchi

贅沢な時

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窓の外は今日も雨。
あいにくの とつけるべきか、恵みの と言うべきか。
細く開かれた窓の隙間から、カーテンを揺らす風に紛れて湿った空気の香りが忍び込む。
いつもよりも穏やかでゆったりとさえ思える、静かな時間。
始まりを待つ撮影は、久しぶりにメンバー全員が集うレギュラー番組。
一番下から遡るように多忙を極める弟たちが顔を出すのはもう少し先の事

 

 

 

中央に置かれたソファの上、三人掛けのそれに伸びやかに体を伸ばし、完全に一人で占領したままの状態で、山口は薄らと細目を開いた。
静かに降り積む雨の音を縫うように、どこか遠慮がちに流れる弦楽器特有の震える旋律が耳朶を揺らす。
一見、深い眠りを貪る片割れを慮ってか、骨張った指先が奏でる曲調は、優しいまでに切なく心に染入るバラード系。
なんか、睡眠学習で口説かれてる気分だよな。
だが、湧き出る泉のようにほとばしる音源であるはずの、細められたままの眼差しに映る男がこちらをちらりと見る事はない。
傍らで眠る男も、己を取り巻く 外界さえも忘れ去ったように自分の世界に没頭し続ける俯き加減の横顔に、小さく吐息をついた。

普段、人当たりの良い柔らかな微笑を浮かべる口元に薄らと浮かんだアルカイックな笑み。
時折、閉じられる瞼裏に映るものは、彼が生み出す音の渦。

ふと視界に映る緊張を隠せない程に青白い頬。
何度となくギターを腕にとっては、弦を弾くでもない指先がリズムを刻むようにボディを叩く。
何回ライブやったら、慣れんのかね そう苦笑した山口に、城島は綺麗な弧を描くように唇を歪め、多分、未来永劫無理やろな、とどこか困ったような、諦めたような表情のまま口角を緩める。
やり直しの聞かない一回勝負。
弦を弾く一瞬が全ての生音源。
その一度の自分達を見るために、訪れる何万という人々の熱。
その緊張感は、何度ライブを重ねても、何度ステージを駆け回ろうとも、変わる事なく目の前の男を揺るやかに侵食し、その身の内を哀れな程に深く抉っていく。

だが

次第にざわつき始める会場の音。
様々な楽器の最後のチューニングが開始される舞台裏。
忙しなく行き交う人々の足音が最高潮に達する頃、どこか怯えたように伏せられていた眼差しがゆっくりとあげられて、真直ぐに前を見つめる。
煌煌と照らされた光を受け止めて微かに煌めく純度の高い琥珀のような瞳の先は、目の前に立つ山口さえも通り過ぎた遥か彼方。

一人、また一人、渦巻く熱気の中に誘われるように飛び出して行くメンバーの背中。TOKIOというバンドが目覚めるその瞬間、目の前の男は、平素のどこか茫洋とした城島茂から、怜悧なギタリストへと姿を変える。
まるで新たな仮面を被ったように、否、深く被ったどこか長閑な面持ちの『アイドル城島茂』を脱ぎ捨てて、彼は『バンドTOKIOのギタリスト』に戻るのだ。

時に激しく、時に穏やかに、緩急をつけて骨張った指が空を舞い、揺らぐ四肢を誘うように揺れる髪。
伏目がちな面持ちが、なだらかな頬にやわらかなコントラストを描き出す。
噛み付くような激しさと、どこか混濁したような楽の音が絡み合い、恍惚とした空間を生み出して行く。
そこにあるのは、ただ、彼の世界。

「なあ、いつまで自分、狸決め込むつもりやねん」
深すぎるため息を零しながらも止む事のないギターの音。
掛けられた声に、頬をにやりと歪めて山口はぎしりとスプリングに盛大な悲鳴を上げさせながら上肢を起こした。
「バレてた?」
「当たり前やろ。いくら、寝た振りしたかてな、ほんまに眠っとう時とは呼吸も瞼の動きもちゃうわ」
へえ、 珍しい そう呟くと細めた眼差しのまま、壁半分を埋め尽くす鏡台に半立ちの状態で腰を預けている男の隣に座り込んだ。
「ギター弾いてたのにね」
俺の事見てたんだ と続くはずの言葉は音にならず、眉月のような笑みを浮かべるだけだったが。
「なんなん?」
「何が?」
「せやから、狸決め込んで、何考え込んどったんよ」
また良からぬことでも考えとったんちゃうんか? くくっと喉の奥で笑いならがも山口を振り返る事なく弦を押さえる指を覆うように、肉厚の手が弦を押さえる。
「や、贅沢だなって思ってただけなんだけどさ」
「何が贅沢なん?」
昼寝しとっただけやん 自分 と続く言葉に、ん~ 左手で指板を支え、右手で城島が奏でる弦の半音下げた弦をびんと弾く。
「だってさ、TOKIOのギタリストのソロライブを独り占めなんてさ」
肩に置かれた顎に眉を潜めながらも、城島は振払う事をせず山口に視線を向ける。
「ほんで、邪魔しとったら意味ないんとちゃうか」
「邪魔してるつもりはないんだけどね」

コードを押さえる左手、弦を掻き慣らす右の手。
その動きを追う左手、半テンポ遅れて弦に触れる右の手。

「違う生き物みたいだよな」
ひたりと触れた背から響く声の意味を取り損ねたのか、城島が小首を傾げる。
「自分、さっきから何が言いたいねん」
「ギターを弾いてる時の貴方の手さ」
同じ手に見えないでしょ、普段の貴方のさ と動きを奪うように手の甲と腹を挟むように指先が辿る。
「釘を打てば斜めに刺さって、蕎麦粉をこねたら罅だらけ」
「去年は成功したわ」
「土壁塗ったら隙間だらけだし、極めつけは、ただの水遣りでさえ、如雨露の口が地面に落ちるでしょう」
「山口」
完全に弦から離されてしまった掌。
目の前で子供のように拗ねた珍しい表情。
「なのにさ。ギターに触れる時のこの手は、ほんと、驚く程に器用に動くんだよな」
幼子が初めて見る玩具を確かめるように、指の一つ一つに触れて行く動きがくすぐったくて、城島はたまらずに身を攀じって、山口との間に腕一本分の距離を取り戻した。

「あんなあ」
だが、弦を奏でるはずの右の手は、未だ目の前の男の手の中で行き場を求めて、意味もなく空を握りしめる。
「仕方がないか」
親指の付け根をぎゅっと押さえられ、思わず顔を顰めた城島に山口が笑う。ここ、痛いの?貴方、飲み過ぎで、胃やられてんじゃねえ?
「お前、ええ加減に」
流石に堪忍袋の尾が切れたのか、怒声を孕んだ声は、続いた言葉に喉の奥へと霧散する。
「ギターを弾くために生まれた手だもんな」
ハンドルを握るためでもなく、釘を打つためでもなく、ましてや、鍬を持つためにこの手はあるのではない。
「山口?」

ゆっくりと絡む指の熱は、ギターとベースの音を思わせる。
主旋律を奏でる音に絡み、深みを聞かせる低いリズム。

「信じらんねえけどさ」
この手があったから、俺たちここまで来れたわけでしょ
つまりは、この手がなければ自分達TOKIOというバンドは、今ここに存在しない。
「その手がさ」
ばらん と山口の手が、城島の腕の中のギターを戯れのように掻き鳴らす。
「今、俺だけのために、音鳴らしてたわけじゃん」
一曲、また一曲。
途切れる事なく奏でられていくのは、降り注ぐ慈雨のように優しく、疲弊し罅割れた心の隙間を埋めるようなどこか甘い旋律。

「それがさ、贅沢だって」
すうっと何の前触れもなく背から離れた熱は、再び、城島の視界の端に映るソファの上へと居を戻した。

ギターを弾くためだけに生まれた手。
否、生まれた時は、幾つもの道筋をしかりと握りしめていたはずの手は、一つの未来に続く希望だけを握りしめ、選びとったのは一筋の道。

ごろりとソファに全身を預け、肘掛けに腕を乗せて城島を振り返る。
「弾いてよ」
是とも、否とも答えずに、鳴り響いた音一つ。重なるように、また一つ。
降り続ける雨音と相まって、静かな楽屋をアコースティックライブ会場へと変えて行く

不器用と呼ばれ、ドジ扱いされ、鈍いと称され、いつだってどこか困った表情で山口を振り返る。その度に、笑いながら、彼へと手を差し伸べて来た。

それでいいよ。
そのままの貴方で居てよ。

染まった頬をそのままに弦を奏でる城島の面映気な表情を虹彩深くに映し込み、山口はゆっくりと瞼を閉じた。

貴方のその手がメロディーを奏でるのを支えるために自分がいるのだから。

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