耳朶をくすぐるさらさら崩れる落ちるは砂の音。
他に何も聞こえぬ無音の世界。
ああ 静かだ と大地に投げ出された四肢がずぶりと砂に埋もれる。
星に抱かれる
まさにその言葉以外に思いつきもしないと、零れ落ちる糸のような吐息に、己を見下ろす深い藍を写し取った瞳は綺羅綺羅と降りしきる光を逃さぬようにそっと睫毛を戦慄かせながら瞼を伏せる。
ああ
思わず喉の奥から洩れる声を聞く者は紋を描く風の他に誰もなく、まるで世界の果てに取り残されたような錯覚に陥るのだ。
ほんま すごいわ
誰にともなく呟く言葉は、声として音になる事もなく、透き通る空気に溶けるように霧散する。
細胞の奥に潜む核までもが無数の粒子に姿を変えて自然の一つに還って行くような、時の流れさえも日常と異なる不思議な空間。
だが、
さくり さくり
一粒一粒が震え、こすれ合い、投げ出された四肢にダイレクトに響く足音に城島は急速に浮上した意識と言うなの大地の上でぽかりと眼を開いた。
「あんた何やってんの?」
こんなとこで寝てたら、髭面のおっさんに拉致られちゃうよ 軽く唇を尖らせながら頭上から上下逆になるような立ち位置で覗き込んで来た黒目がちな瞳を見上げて、城島は眦を綻ばせる。
「こんなおっさん、誰が誘拐すんねんな、で、自分はどないしたん?」
「俺?俺は、あれよ。明日の打ち合わせも兼ねて山口くんとちょっとね」
くいっと円を描いた人さし指と親指が杯のように傾けられる妙に様になった仕草に、そっかと小さく返す。
「明日やもんなあ」
「そ、明日」
と松岡は両腕を天高く突き出すように伸びをするとざくりと城島の隣に腰を下ろした。
「で、結局何やってたわけ?」
「あ~、何言うほどの事でもないんよ」
細められた眼のまま、天に向けられる指先につられるように松岡も紺碧の空を見上げる。
「すっげ」
「やろ?」
降り注ぐ無数の糠星に溢れた歓声を受け止めて、城島も松岡に倣うように体を起こして座り、そのまんま天を振仰いだ。
伸ばした指が哀れな程に天はあまりに遠いのに、何故にこれほどまでに眩いのか そう問わずにはいられない光が渦を巻き、惜し気もなく降り注ぎ、やんわりと明滅を繰り返す星野光を頬に浴び、嬉し気に零れる笑みが二つ薄い闇の中にふうわり浮かぶ。
「今までな、色んなとこのロケ先で世界中の星空見せてもうたし、村で見上げる空もほんま綺麗やねんけどな」
「こんなすげえの初めてかも」
視界を覆う無限の空を切り取る不粋なまでの灰色の箱もなく、闇にうっそりと浮かぶ山もなく。
ただあるのは綺羅星を身に纏、延々と連なる瑠璃の色。
空と地平の境目さえも遥か虚空に混じり合い、天の星と地の星の挟間に浮遊する己の体。
「で、星空に感動しながらあんたは一人、明日の勝利を願ってた訳だ?」
「星に願いをか?」
そんな浪漫ティックなもんやないけどなあ とからからと零れる笑声が砂の上をさらりと流れて行く風に乗る。
「あんたならやりそうじゃん」
そう笑った邪気のない表情が、ふわりと輝くと、指をさして、ほら流れ星と城島を振返った。
「流星を見たならば、天国の門が開かれ、死者の魂が救われるように祈りなさい。」
だが、返されたのは、明るい笑声を打ち消す程ではなく、だが静かに紡ぐ一つの言葉。
「何、それ?」
「ん?流れ星言うたら、幸せの印思われとうけどな、星は人の魂や言う地域は多いんやて」
どこか、せつなげにさえ顰められた眉の下、三日月のような眼は虚空よりも高い空を見る。
流れ星になる魂は贖い(あがない)を終え、天に真直ぐにのぼる魂や、言われとるんよ と ほとりと零れる微かな微笑。
「こんなに綺麗やのにな」
あの一つ一つが罪を償ないつつある魂なのだと言うならば、一体どれだけの罪が世の中にはあると言うのだろうか。
「リーダー?」
「あんまり綺麗やからな、ふと思い出しただけやねんけど、ここにおったら、なんや、自分がちっぽけに思えてきてん」
他の人が体験できぬような、色んなところにロケに行った。
いつ人が入ったかもわからぬ山の奥、どこまでも透き通る海、言葉も通じぬ異国の地。
行く先々で、いつもその世界の大きさに驚かされて、自分の四肢が届く範囲で足掻くことしかできなかったけれど。
でもここは と笑みはいつしか、頬を滑る風に消え、細められた琥珀の瞳はどこともしれぬ地平の先をじっと見る。
「圧倒される」
画面の上で浮かべる笑顔等意味もない程に。
「存在さえも覆されそうや」
それでもその横顔が嬉し気に見えるのは気のせいか。
「あんたさ、まさか」
ん?口角に皺を刻むように上げられた口端。
「あんたさ、明日、どっち方面進む気?」
「せやなあ」
まだ、そんな詳しくは決めてないけどと軽くはぐらかすように小首を傾ぐ。
「まさか、砂漠なんて言わないよね」
「流石、松岡やなあ、ようわかっとうやん」
ここまできたら、アラビアのロレンス気取らんとあかんやろ そう、全身で勢い良く伸びをするように立ち上がって、ぱんっと膝と尻を掌で叩く。
「って、あんた、わかってんの?」
言葉が通じないだけではなく、ここは、今まで訪れたどの場所よりも人は少なく、未開の地に近い。
自分達の知る常識等何の意味も持たないのだ。
「やって、勿体ないやろ?」
こんな機会もう二度とないかもしれない と、いつもと逆の位置で、いつもと変わらぬ飄々とした表情が見下ろしてくる。
「けど、リーダー、あんた1人なんだよ」
俺も、兄いも太一君もいない
「松岡はほんま心配性やなあ。そんな顔せんでも、大丈夫やて、あ、でも山口には内緒やで」
あいつにばれたら叱られるからな と軽く人さし指で唇を抑えた城島に、松岡が本の少し表情を引き攣らせた。
「松岡?」
「誰に内緒って?」
ふ~ん と背後で聞こえた声に城島が驚いて振返るよりも先に、首筋に回された腕にぐいと背後へと引っ張られ、背に当てられた膝頭に体がぐいと反り返る。
「うわ、ロープロープ」
「誰に何を内緒なのかなあ?」
シゲさん、ひょいと肩ごしに覗き込んでくるのは、綺麗な弧を描く眦と少しも笑っていない瞳。
「な、なんで、こんなタイミングよう自分おるねんて」
「何言ってるんだよ。貴方好きでしょ。お・ヤ・ク・ソ・ク」
兄いと飲んでたって言ったじゃんと補足のような松岡の微かな言葉は、城島の耳に届かない。
「あ、阿呆、山口、あかん。マジ痛いって」
「痛いようにやってるんだよ」
あたりまえでしょ と、その間もぐいぐいと反り返っていく背骨がみしりと悲鳴を上げる。
「あかん~骨折れる~」
ぎぶぎぶ~ と眦にぽつりと浮かび上がった涙に、仕方ないなと僅かに力が抜けて、城島は、涙目のままほうと呼吸を繰り返すが、依然、両腕の拘束が解かれる事はない。
「貴方さあ、分かってる?」
「やまぐち」
「砂漠だよ、砂漠。鳥取砂丘じゅないんだよ。いくらそこらへんのアイドルよりも体力があるって言っても、できることなんてたかが知れてるんだぜ」
うん とこくりと頷いて、
「いくら撮影っつっても、他の旅ロケとかと違って、スタッフの手助けないんだよ」
それでも、と開きかけた言葉を押さえるように山口の言葉が先んじる。
「日本と違って、誰も俺たちの顔なんて知らない」
「わかっとう。わかっとうけど」
そう、わかっている。
いくら言葉を綴ろうと、どんなに想いを語ろうと、この人が一度決めた事を変える事等、砂漠に雪が降るようなもの。
「俺も、松岡も、太一も、貴方の横にいないんだよ」
「んなん、あたりまえやん」
軽く膨れたような口調に山口の額がそのまま城島の肩に押し付けられて。
「くそ、何でよりによって貴方が1人なんだよ」
こんな場所で ときゅっとしまった腕に思わず城島の手が掛かる。
「そら5人やからなあ」
「1人なのは俺でも、太一でもいいだろうが」
「アホな事言いなや」
けど と聞えるくぐもった声。
「しゃあないて」
ぽんと甲を叩かれて、うん と山口に城島の口角に笑みが浮かぶ。
そういう風に自分達が作って来たのだ。他でもない自分達『T O K I O』を。
「俺も誰も、貴方の横にいないんだからね」
「うん」
「くれぐれも無茶すんなよ」
「やってなんぼのT O K I Oやん」
「知らないおっさんに、ひょいひょいついてかないでよ」
「自分、僕の事いくつやおもてるねん」
普段、年より呼ばわりするくせに と頬をくすぐる髪をくしゃりと撫でる。
「貴方、結構おっさんに気にいられる性質だから心配なんだよ」
「変な心配せんとき、僕かて立派なおっさんや」
「日本人は若く見られがちだからね」
「そら嬉しいな」
「莫迦」
莫迦てなんやねん と楽し気な笑いを含んだ声に、所詮、叶う訳がないか と顔を上げて空を見る。
「仕方ねえな」
一見纏うような柔らかな雰囲気に騙されるけれど、誰よりも頑固で意地っ張り。誰もが思い付いても、思わず腰を引けるような事にでも、失敗を臆する事なく、否、失敗さえも楽しんで、それを次の糧にする、いつだって夢見がちがチャレンジャーなのだ。山口が選んだ男は。
「しゃないねん」
「けど、無理はするなよ」
「わかっとうよ。無理はせえへん、けど」
「無茶はするんだよな」
この親爺はさ と顔を見合わせて小さく笑う。
「ま、そういう事やな」
だね、と頷いた山口がするりと腕を解き、城島が首をほぐすようにぐるりと回す。
「じゃ、行きますか」
「せやね、松岡あ 行くで」
くるりと同時に振返った二人の視線に曝されて、少し離れた場所に移動していた松岡がびくりと背筋を伸ばした。
「い、行くってどこへよ」
「前祝い」
「何の?」
「明日の 僕の/俺等の 勝利を祝って」
今更、未来の事を、心配をしても始まらない。
ならば、『今』を楽しもう。
無理も無茶も失敗も。
それが、明日の自分に繋がるのだと。
負けへんで と笑う城島に
甘いね と山口がふふんと顎をしゃくって。
それでも肩を組んでふらふらとホテルへと踵を返す元祖三十路コンビの背を見送って、松岡は溜め息を一つついて空を見上げた。
どうか無事に朝が迎えられますように。