Jyoshima & Taichi

ビタースウィート

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あ~あ、拳を握って緩やかに反り返るように伸びをすると強張っていた背筋がくっと伸びて行く。
気持がいい。
大きめに切り取られた窓から差し込む陽は、中空を大きく回り、淡すぎる程のブルーグレーの室内をほんのりとした暖色に染め上げている。
日々、平素と変わらぬスケジュールプラス次から次へと入り込んでくる特番や雑誌の取材。
そして、と国分は大きな瞳をくるりと回しながら天井を見上げた。
漸く、始まった週末ごとのライブツアー。
一年の内で最も忙しく、尤も充実して、何よりも待ち焦がれた時節、のはずなのに、口からこぼれるのは、あふっと気の抜けたような欠伸が一つ。
ぽかりと空いたあまりにも長閑な午後、その穏やかさの中、引いては打ち寄せる眠気に、気を引き締めようとしても思わずとろりと微睡みそうになる。
そういえば、こんな楽屋久しぶりじゃねえ?と机についた両腕に頭を預けて、先ほどからこちらを振り向く事のない俯き加減の猫っ毛にちらりと視線をくれる。
本当に久しぶりだよな。 この人と二人っきりの楽屋なんて。
以前は二人で持っていたレギュラー番組なんかがあったけどさ、ああ、そう言えば、年末にはこの人と二人っきりのクイズ番組があったんだっけ。放映は新年だったけど、と片手でペットボトルを掴むと僅かに舌を湿らせる。
でもあんときはさ、ライバルだったもんね、負けねえからなってお互いに背中を向けてさ。
ああ、本当に、こんな穏やかな時間は、久しぶりだ と、国分は、もう一度重ねるように大きな欠伸を零した。

とんと雑誌の背が机上にあたり響いたどこか鈍い音に、国分は霞がかった眼をきゅっと片手で擦りながら、ぺとりと頬を押し付けるように突っ伏していた机から顔を上げた。
「なあ」
まだ、半眼のままの視界の中、ぼんやりと滲む輪郭を描く男の影がそんなどこか幼い仕草の国分に苦笑を零すように、ゆっくりと揺れながら小さく、意味のない音を発する。
「何?」
じとりと濡れているように感じる頬にぺろりと舌を這わせると、国分は幾分掠れたままの声で返事を返した。
「間違いやなかったんやんな」
「へ?」
あまりに唐突なその言葉に、寝ぼけているあまりその前の言葉を聞き逃したのか、はたまた、実はこれで文章がきちんと成り立っているのかと、国分は一瞬自分の耳を疑うが。
「や、せやから、自分、ここにおって間違いやないやんな」
城島らしからぬどこか曖昧なまでの口調に、僅かに釣り上がりかけた眦は、彼の腕の下、見え隠れする記事のタイトルに僅かに溜め息をついた。
「あのさ、リーダーってさ、本当に時々脈絡ないよね」
原因それ?とまだ、長いとはいえぬ髪をくしゃりと掻き混ぜながら、文字どおりへの字に唇を歪めた。
「そうは言うけどな、自分、年末に言うとったやん。今年は帯番組が欲しいて」
彼の手が、隠すように敷かれた雑誌の記事は、国分一人が雑誌のインタビューに応えたもの。
S MA P予備軍のメンバーの一員だった頃の話や、今の自分の仕事の話を国分なりに真摯に応えた記憶がある。
「もし、あのまんま行って、太一、あのグループのメンバーとしてデビューしとったらって、考えたりせんの?」
やんわりと傾げられた小首に、国分が ああそう言う事、と苦笑を零した。
「あんたさあ、よくまあ、今更な事を本当に、今更聞くよね」
だってなあ、と軽く俯き加減になった城島が、僅かに上目遣いで国分を見上げる。
「自分、ほんま、僕に懐かん子やったやしな」
何かしらにつけては食って掛かり、懐くというよりも、むしろ敵愾心を剥き出しにして突っかかってくる生意気な、初めて出会った時はまだ、中学生だった太一。
まだどこか寝とぼけたような表情を隠しきれない目の前の男は、いつまでも明日を踏み出す事のできなかった自分と違い、ある意味エリートコースに近いグループのメンバーの中に居たのだ。
「やのにな、気ぃついたら経験のあったはずのベースやなくて、自腹切ってまでキーボードの練習して」
デビューの見通しなど何処にもない、そう、言ってしまえば自分達の道行は、見事なまでに暗雲が立ちこめており、その上、岩がごろごろと落ちているトンネルの中を恐る恐る歩いているような状態だったのだ。なのに目の前で、まだどこか寝足りないように甲で瞼を擦る男は、気が付けば当然のようにTO KI Oのメンバーの顔をして、城島の後ろで鍵盤を叩いていたのだ。
「ほんまに信じられへんかってんで」
あの頃 と薄らと秋の日溜まりのようにどこか切なさを孕ませた柔らかい笑みを浮かべながら、城島は手許にある話題の基となった雑誌を伏せた。
「あのまんま、あのグループに残って、デビューしとったら、今頃はほとんど毎日のようにレギュラーがあって、それ以外にも映画やなんやって、もっと自分の道は開けとったかもしれん」
ああ、と、人よりも大きな瞳を眉月のように細めると国分は口角をきゅっと吊り上げるような笑みを造りあげる。
「まあね」
確かに、そう思わないことがない訳ではない。
曲を出せば必ず一位をとり、ドラマに出演すればいつだって視聴率はトップクラス。コンサートを行えば、ドームツアーで、ツアーが開始するや否や発売の決まるライブDVD。
正直、羨ましいとは思うのだ。彼等と同じ土壌に立つ者としては。
「ま、仕方ないんじゃないの?」
それでも、あの時、T O K I Oを選んだのは他でもない選んだのは自分自身なのだ と国分は小さく苦笑を浮かべた。
「それに、今となっては俺にはこっちの水の方が合ってたみたいだしさ」
既に気心も知れてるし ま、今更だよね と答えた国分に城島は、うん、せやね と漸く眦を綻ばせた。
「それに、山口もおるしな」
「はい?」
「やって、自分、山口とあの頃から仲良かったやん」
かりりと新しいペットボトルの封を切りながら、城島は国分の瞳の奥を覗き込むように眉を上げると、ちゃう?と小首を傾げてみせる。
「そうだっけ?」
おん。
そう、こっくりと子供のように頷きながら、ちょっと羨ましかってんで とゆっくりと茶を口に含むと喉を鳴らすように飲み込んだ。
「羨ましいって、リーダー?」
「せやろ? 自分、僕が何言うても、が~って噛み付いてくるし、何しても冷ややかな眼差しでこっち見てくんのにな、山口とはいっつも笑とうねんで」
なんや、羨ましいて妬ましかったわ と両手でペットボトルを抱えるようにしながら、態とらしいまでの溜め息を一つ零す。
「え~っと、つかぬ事を聞くけどさ」
「何や?」
「それは、 山口君と仲が良い俺が妬ましいってこと」
「やなくて、山口が妬ましかってん」
太一が屈託もなく笑いかけるやて、あの頃は山口相手ぐらいやったもん。そう、軽く唇を尖らせた城島に国分は眉をきゅっと寄せると鼻先にを寄せるように、如何にも嫌そうに顔を顰めた。
「あのさあ、それ、山口君に絶対言わないでよ」
「なんでえな」
途端に、きょとんと眼を見開いた城島に舌打ちをする。
「あのね、リーダーが俺に妬いたってんならまだしも、山口君に対して妬いたなんて聞かれたら」
俺、絶対殺されるから と続きかけた言葉は、
「けど、山口の方もそうやったんやろうなあ」
僕と始めたバンドやけど、僕迷惑掛けてばっかりやったから、と国分に聞かせるともなしに零れ落ちた声に、音になることなく空に消える。
「リーダー?」
「ん?ああ、自分が居ってくれたから、あいつもTO KI Oで居れたんちゃうかなって」
太一が居ってくれたから、あいつも、ずっと続けてこれたんやろうなて、そう、思うんよ と。
「僕相手やったら、とうに辞めとったかもしれんなて」
そう呟く声は、いつものひょうひょうとしたものとは違いどこか透き通るように淡く弱々しいものだった。
「あんたさ、莫迦?」
「何や、突然。失礼なやっちゃな」
「俺、TO KI Oを辞めても、あの人TO KI O辞めたりしないよ」
言っとくけどね、と肩を竦めながらのその言葉に城島は僅かに眉を吊り上げた。
「自分、辞めるつもりか?」
「いや、譬え話だから」
そうか と城島は安堵したように肩を落とすと、ポケットからごそりと煙草を取り出した。だが、無意識の仕草だったのか、握り締めた掌の中、くしゃりと潰れたそれに苦笑を浮かべると、ちらりと視線が壁に書かれた禁煙の文字を見やってもう一度肩を竦める。
「そら、辞めんかもしれんけど、えらい怒りよるやろ」
「それはね。でもさ、一緒に辞めるなんてことはこれっぽっちも考えないでしょ」
けどさ、アンタは違うでしょ。よっと起した上肢を机についた両腕に預けるように頬杖をつくと、どこか睨むような視線で城島を見上げた。
「阿呆やね。あんときは二人しかおらんかったからに決まっとうやん」
じとり、そんな視線の中読み取ったもの、それは、いつか城島がエッセイに書いた、まだデビュー前、自分たちがTO KI Oという冠を頂く前の山口との可愛らしいエピソード。
「今は、違うやろ」
それをゆったりと受け止めて城島はほとりと笑みを浮かべた。
「あんたさあ、本気でそう思ってるの?」

 

「おはよう」
かたりと押し開かれた扉の向こう側からひょいと覗き込んだ、今まさに話題の主であった山口の登場に、言い掛けた言葉は国分の喉の奥にひゅうという息とともに飲み込まれた。
だが、
「おはようさん」
もうそんな時間か? とそんな国分に気付くことなく、ぎしりと椅子を軋ませながらその背を引き気味に振り返った城島が、また、海いっとったんやろ とくすくすと微かな笑声を隠すことなく山口を出迎える。
「え?なんでわかった?」
くん と子犬のように鼻をひくつらせると、招かれるままに一歩城島に近づいた山口の肩口に顔を寄せる。
「潮の香り」
「そ?」
自分じゃぜんぜん気づかないんだけどなあ と倣うように自分の腕に鼻先を近付ける山口に城島の眦が糸のように柔らかく解けていく。
「磯臭いやろ」
な、と小首を傾げて。
「ちょい待ち、磯臭いと潮の香りじゃイメージ全然違うじゃん」
そうかあ、そう、からりと笑う城島の横顔をちらりと見上げて、国分は再び机上に頬杖をついた。

そりゃね、と国分は目の前に転がったままのペットボトルに手を伸ばした。
確かに、俺はこの人には懐かない餓鬼でしたよ。
デビューして丸11年が過ぎ、デビュー前を合わせたら、人生の半分以上を共にすごしていると言うのに、今更、そんな事を言われるとは思わなかった と僅かに頬をふくらませる。
山口がおるからやろ そんな理由でここに居ると思われてたとはね。

これじゃまるで片恋じゃん。
ああ、恋じゃないから、片思い? と誰かが聞いたならどう違うのかと問いかけそうな答えに、国分は声に鳴らぬ声でくすりと嘲う。
俺も、松岡も、長瀬も、そして目の前で満面の笑みを浮かべた山口君の情にさえも、この男は気づかない。

今はみんなおるからな 事も無げに小さく笑い、城島はあっさりと否定をしたけれど。

「なんかさあ、シゲも匂わねえか」
くんと犬のように鼻をひくつかせながら城島の回りを歩き回っている山口の姿に国分は僅かに口角を歪めた。

辞めるよ。何の躊躇いもなくね。この人は と国分は白目を剥く程に上目遣いに瞳をくるりと回した。
アンタがTO KI Oを辞めたらさ。アンタの居ないTO KI OはTO KI Oじゃないからね。
そう言ったならば、彼はやんわりとした曲線を描く眦をぎっと吊り上げて、それを否定するだろう。自分だけではなく、メンバーの誰が欠けてもそこにあるのはTO KI Oじゃないと。
でも、アンタは辞めないでしょ?
俺がキーボードを辞めても、ドラムの刻むリズムが変わっても、ヴォーカルが違っても、ベースの音が山口のものでなくなったとしても。
ああ、そうだね、譬えそれがTO KI Oという名を頂くものでなくなったとしても、城島 茂という人間はギターを弾き続ける。

こら、やめぇや とじゃれるように城島の肩に腕を回した山口の鼻先を抑えながら零れる微笑にせり上がるような感情は悔しさにも似た苦さ。

城島がギターを手放す事があったとして、目の前の男を引き止める事は自分達にはできはしない。力不足もいいところだ。
逆もまた然り。
目の前の柔和な微笑が、自分達の手の中から失われたならば、そこに自分達の居場所はない。
「ったく、わかってんのかよ」

「太一?」
思わず、転がるように溢れた怒声に城島が驚いたように振返った。
「何でもねえよ。それよりアンタ等ナニやってんだよ?」
大きな虹彩の中に映り込む状景に国分は顳かみが引き攣ったように感じる。
「なんかさ。シゲから甘い香りがするんだわ」
そう答えると、直も、城島の髪に鼻を擦り付けるように香りの元を辿る山口の姿。
「リーダー」
疲弊し切った中に僅かな怒りと呆れを孕んだ声に、城島はしゃあないなあと椅子の上に置いてあった紙袋から20cm大の箱を取り出した。
「これやろ?」
そう言うと背後から覗き込む山口の口に放り込んだのは
「チョコレート?」
せや、にこりと眦を綻ばせると、城島が国分の方へと向き直った。
「太一も、口開け」
いらねえよ と言い返す間もなく目の前に伸びてきた指先に摘まれた小さな焦げ茶色の塊に、国分があからさまに眉を顰めた。
「あんたさ、これって嫌がらせ?」
「まあ、騙された思て食うてみ?」
そのまま躊躇うことなく唇に触れるひんやりとしたチョコレート。開くまで離れへんで と言う表情にぎゅっと目を瞑って薄らと開いた口に、飛び込んで来たのは
「あれ、美味い」
「やろ?」
舌に触れると同時にとろりと解け、じんわりと口に広がる苦みの中には、喉に残る嫌な甘ったるさはなくて。
「太一専用な」
大きな箱の一筋を指差して、しっと人差し指で内緒話のように笑うから。
「何だよ。それ」
城島の前限定の子供のような山口の表情に、苦笑が零れる。
「ほら、自分や長瀬らのはこっち」
甘いの平気やろ そんな会話に国分は再び机に体重を預けるように突っ伏した。

一見、何も判ってないようで、全てを見透かすような琥珀の虹彩がゆらりと揺れる。
悔しいけどさ。
叶わないよな。

ま、それでも、時折、思い出したよう返される情の欠片で良しとして、磯のアワビよりはましだと諦めるとするか。

「おはようっす」
「お前等遅い!!」
楽屋に響き渡った下二人の声に、目の前でじゃれている上二人を放り出すと、勢いよく立ち上がった。

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