Jyoshima & Yamaguchi

a jack in the box

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まだ、メンバー全員が揃わぬ静かな楽屋。
なあ、背中越し、呼吸のように溢れた微かな声に、山口は音も立てずに手の中の携帯のブラウザを閉じた。
「何?」
だが、それに気付かない声の主は、また、波か? と笑っているらしく小刻みの振動が触れた面積分じんわりと伝わってくる。
「良い波が来てんだわ」
「そうか」
そんな多愛もない言葉をBGMにしながら、がさりと開いた袋からふうわりと薫る甘さに、山口の口角が自然ゆるりと滲んでいく。
「食うの?」
城島が覗き込んでいる紙袋は、朝の訪れも待ちきれなかった山口が、出合い頭に城島に押しつけた代物だった。
「う〜ん、なんや、もったいない気もするしなあ」
そういいながらも、僅かに近くなった香ばしさに、山口は器用に上肢をずらすと、凭れ掛かっていた背を倒さないように城島の手許を肩越しに覗き込む。
「本当はさ、もっと良い匂いだったんだけどね」
おん と固くなった表皮にかかった指がぶしりと厚みのある皮を付き破る。
そのままわしりと端を掴んだ手の中で、僅かに捻るように引きちぎられて行く生成りのように薄く色付いた生地の目が幾重もの編み目のように連なって、僅かな軌跡を残すように千切れていく。
「焼きたての時ってさ、触れる瞬間ごとに匂いが違うんだよな」
本当はもっともちもちだったし、と背後からの指先が伸びた生地をほんの少し残念そうにつんとつつく。
「せやろなあ」
くん、と鼻を引くつらせても、今、ここにあるのは生地の香りだけ。
自分が潰した時に手に染みついた甘酸っぱい葡萄の芳香はそこにはない。
「そっちがりんごな」
膝の上、倒れた紙袋の中から鼻先を出しているのは、丸く歪な形をしたパンとクロワッサンのようにくるりと巻かれたライ麦入のパン。
「あの太一がさ、貴方の作ったジャム、すっごい気にいったらしくてね」
すっげぇ美味いって、こう、スプーン一杯に掬ってはパンの上に乗っけて齧じりついてたよ。流石に、これに塗って来ることができなかったけどね と小さく尻すぼみになった声を気にする風もなく、
「そうかあ」
一言だけ簡潔に返すと、ふん とはにかんだようにきゅっと眦の皺を一層深くしながら、もう一度香りを楽しみ、城島はゆっくりと右の手の中のパンに歯を突き立てた。

ん、閉じられた唇の隙間から、筋を引くように生地が残ったパンの欠片。
咀嚼するたびに、じんわりと口内に広がる素朴なまでに素直な甘みと、同時に感じる僅かな苦味に自然と頬が綻んで行く。
「すごいな」
何? もう一方の手にのっていた半分を失敬していた山口が、パンを頬張ったまま、喉の奥で返事を返す。
「パンまで焼いてしもうた」
しかも、と指先が少し濃すぎるぐらいに色の乗った生地を辿り、ゆっくりと型をつけるように弾力のあるそれを押し潰した。
「その中の種は自分等が育てた果物やねんで」
「そうだよね。信じられないことに、窯も手作りだしさ」

かしり。
普通のパンよりもよっぽどしっかりしたそれらは、確かに売り物にするには大きさは不揃い、形は歪、しかも引っくり返した場所は苦いぐらいの焦げがある。
それでも。
「まるで、『不思議の世界』やね」
おっとりとした口調のまま、城島はうっとりと眼を細めた。
「何それ」
ディズニーランドの事?
吐息よりもかけそい独り言のような声だったが、違うことなく聞き取ったらしい山口が、再び城島を背後から覗き込む。
「ん?せやね、確かにディズニーランドは『不思議の世界』かも知らんなあ」
現実を目の前にして、生を紡ぐ人たちにとって と緩やかに伸びをするように首を反り返す。
人の手によって紡ぎ出された二次元の世界の住人たちと同じ次元に重なる不思議な空間。 魔法の国を船で旅して、絵本の世界に飛び込んで、星の空を飛ぶことのできる束の間の幻想の挟間に息づく世界。
「なんや、僕らがおるこの世界も似とると思わん?」
僕らを取り巻くのも人の手によってわざわざ作られた虚像の映像。
なんて言うても僕らは『アイドル=偶像』という存在やし と僅かに眉をあげて、肩口に顎を預けたままパンを食べている山口をちらりと見遣る。
「まあ、そうかな?」
どこか理解しきれていないような曖昧な返事に、城島は僅かに顎をひくように小さく嘲った。

芸能人と一言で括る自分達の存在は、何かを物理的に生み出す訳でもなく、育てる訳でもなく、作り上げる訳でもない と。
この手、この足、この体は、硝子のモニタ越しに、あるいは、舞台と言う名の張られた薄い膜の向う側に、スポットライトという少々強すぎる光によって、茫洋と描き出される影絵のようなもの。
けしてそこに素の自分達を見せることはなく、ふうわりと浮かんだ雲よりも覚束無い足取りで、頼りなく濁った空を彷徨い歩く。

「ああ、浮き草稼業てよういうたもんやな」
くっくと笑うと城島は、どしりと遠慮なくのっかかる肩の荷物から逃れるように立ち上がった。
途端に、剥れたような幼い表情を見せた男に、向けられるのは綺麗な弧を描く柔らかい眼。
飲むやろ と傾けたペットボトルから注がれるのは、二人が以前CMをしていたソフトドリンクと同じメーカーのロイヤル・ミルクティ。
返事を待つ事なく、二つ注いだ紙コップの片方を山口の手に差し出して、残りの一つの表面をぺろりと猫の子のように舐めると口元をほろりと緩める。
「甘い」
「そらそうだろ」
しかも、どこか人工的な甘み、と城島は僅かに眉を顰める。
「しげ?」
「それ、しっかりとした甘みついとうな」
山口の手の中、りんごの酵母によって作られたライ麦のクロワッサンもどきが二つに割れる。
「そりゃね、生地にも砂糖は入ってるしさ」
「けど、自然の甘さや」
受け取った片割れを躊躇いなく口の中に放り込むと、きゅきゅっとゆっくりとすりつぶすように咀嚼する。
「しっかりと大地の味がする」
不思議やろ? ふわふわと根無し草のように頼りなく生きとう僕らの手で、こんなに大地に根ついたもんが作り上げられるんやで。
「季節もわからん、時間も曖昧、家かて」
と城島は、窓から差し込む緑の光を掬うようにように指を動かしたが、ぎゅっと握り締めたそこには何も残らない。
「一人暮らしやもん。あるようで、ないようなもんや」
育ちは奈良であっても、今は、親も東京に出てきている城島にとって、ふと懐かしむように訪れる故郷はない。
ああ、振返る記憶に潜むものは、優しいまでに残酷で甘い程に苦味の滲むぼやけた、それでも大切な故郷ならば、あるのかもしれないが。
「それやのになあ」
慈しむように、指先で摘んだパンの欠片を見下ろすと、ぽいっと最後のそれを口の中に勢い良く放り込んだ。
「僕らは、その虚像やったはずの映像の片隅で、これを育てとうねんなって思った」
誰よりも四季よりも遠い位置で呼吸をし、空を見上げる隙間さえもないビルの挟間にいる自分が、この迸るように生命という力をその中に押し込めて閉じ込めて練り上げた、天然酵母のパンを焼く。ああ、練り上げて焼いたのは自分ではないが。
「不思議やろ?あそこは」
昔の人々が大地に深く根を張り、長い、本当に気の遠くなるように長い時間を掛けて、見つけだし、ゆっくりと培って来た命の鎖の一つを自分達に教えてくれるのだ。そう、彼等が呼吸をする長さに比べて、ほんの瞬きの時間しか村に居ることのできない自分達にも、なんら変わることなく公平に。

そう、人は、大地と空気と水と空、そして木々のざわめきによって生かされているのだと思い知らすのではなく、共にあるのものなのだと静かに語りかけてくるのだと。

「そんなもんかね」
「そらなあ、ぐっさんは僕とはちゃうよ。家を建てて、自分の居場所をきちんと決めて」
目の前で、どこか理解できぬような微妙な笑みを浮かべている男は、海という大きな生命の根源に抱かれ、時に抗い、その中にある力を理論ではなく、全身で感じ、知っているのだ。
「ぐっさんにとっての海が、今の僕にとってのあの村なんやと思うわ」
この『城 島 茂』という存在を『T O K IO 城 島 茂』という架空ではなく確固たる重みのある命に還してくれる と城島は両手で包み込んだ紙コップに映し混むように面映気な笑みを頬に浮かべた。
「今まで、微塵も思いもせんかった事がどんどん現実になっていく」
稲を育て、蕎麦を打ち、パンを焼き、月見の菓子も作った。
目の前では緑が揺らぎ、半鐘が村を見守り、食を彩る器は自分達の手によるものなのだ。ああ、畑を耕やすための鍬も作ったなあ と。
「けど、せやね、それで言うたら『不思議の世界』言うよりはびっくり箱の方が正しいな」
番組の映像として、公的に映し出されるのはほんの一瞬のこと。その背後には一年、二年といった気の遠くなるような積み重ねがあって。
しかも、
「どれ一つとっても、台本どおりになんて進まへん」
ドラマでもバラエティでも、確かにアドリブがあり、アクシデントが存在し、思いもしなかった方向へとその矛先が流れることは少なくない。だが、この企画は、そう、敢えて企画と呼ぶならば、あの大地に足を踏み入れた瞬間から、そこには立てられていたはずのすべての筋書きや台本は、自然という現実を前にして風の中に消え去った。
「ほんまに、これっぽっちも予想はつかへんし、思い通りになんて進まんし」
そういうと僅かに伸びをするように城島は丸まっていた背をきゅうと反らした。
思わん?
そう振返りもせず、同意を求める城島に山口は瞠った目をすぐさま笑顔に変えて、確かにね と飲み干した紙コップを握り潰すと、舌に残る甘さを歯で削るように頬を動かす。
ほな、僕そろそろ打ち合わせ行ってくるわ 傍らの椅子の背にかけておいた上着を手にひょこひょこと扉の向うに消えた背に、山口はもう一度、確かにねと呟きを落とした。

でもさ、俺にとってのびっくり箱は、あの村でも海でもないんだよな。

そう、芸能界に憧れて飛び込んだ事務所で出会った、何をし出すのか、言い出すのか、いつだって予想もつかなくて、一見思い付くままに動いているようでさりげなく全てを計算している食えない存在。
正反対の性格で、全く真逆の行動パターンの二人が、気が付けば同じ夢を見て、一つの未来を目指して、20年弱。
なのに、今だに、あの人が何を言い出すか、何を始めるのか、想像一つつかないのだと苦笑を零しながら、山口は最後の一つとなったパンを見下ろした。

それに、今、ここで、確りと立っているこの両足をくれたのは、貴方なんだぜ と。
そう、物理的にではなく、精神的に。
先の見えない将来に苛ついて、いたたまれなくなって就職をしたこともあった自分が『TO KI Oの山 口 達 也』として、ここにあるのは、ただ、傍らに貴方が居たからだ。

でなければ、今、モニタにうつる『TO KI Oの山 口 達 也』は、否、現実の『山 口 達 也』でさえも、ここにはいない。
そして、それは何も山口だけが言えることではない。

a jack – in – the – box

貴方が作り出したびっくり箱。
飛び出したのは、音、歌、そして TO K IOという新しい生命。

ほんと、わかってないよな あの人は。

ほっと静かな楽屋に小さく溢れた吐息が床に届こうとした時だった。
「ぐっさん、言い忘れたけど、それ、僕んやからな」
勢いよく押し開かれた扉の向こうから、突然飛び込んで来たと同時に、やから、一人で食うなよ と一言残し、再び閉まった扉に、山口は瞠目し、それから笑いながらゆっくりと手の中のパンを丁寧に紙袋の中に押し込んだ。

ほんと、わかってないわ
貴方に食べて欲しくて焼いたパン
これだけは、半分とったりするわけないでしょ と。

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