Jyoshima & Yamaguchi

Sweet Memory

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天を彩る綺羅星が映える宇宙は冬の色。
すでに天は瑠璃になり、ほっと零れる息も白さを増して、行き交う人もまばらな時刻。
手の中でころりと転がるペットボトルの温もりに、ぐるりと巻き付けたマフラーの隙間に垣間見える口角がゆるりと上がった。
おめでとうございま〜す!!
机の上に所狭しと並べられたのは様々なスナックと鮮やかなまでに艶やかな輝きを見せる苺と生クリームのデコレーションケーキ。
今年は苺が高いんや そう貴方が苦笑をしていたのは、いつだったろうか。ああ、クリスマスケーキを作る某テレビ番組の収録の翌日だっただろうか。
そんな時に苺を焼いてまうようなケーキ作るんやから贅沢言うか、罰当たり言うか、そうぼやきながらも、紙袋の底から取り出したのは、何処の産地の苺と言っていたかは忘れたけれど、やけに大粒で綺麗な紅い色。
おいしいもんは、おいしい言うて味わんとあかんやろ、せやからちょっとだけ、そう悪戯な笑みを浮かべて意味ありげに伏せられた片目に、僅かに山口も笑みを浮かべると軽く両手を合わせてお相伴したっけ。
今、目の前にある苺は、明かに後者で、貴方が望んだようにおいしいものをよりいっそうおいしくなるようにと彩られた甘いケーキ。
「山口さん、今までの誕生日でこれは忘れられない!!っていう思い出あります?」
忙しい撮影の合間を縫って、わざわざ某有名洋菓子店まで並びに行ったと言う強者の女性スタッフからケーキを大きく切り分けた皿を受け取りながら、山口は、なんかあったかなあ、と軽く小首を傾げてみせた。
子供の頃の誕生日と言われて、一番に脳裏に蘇る映像は、いつも食べ慣れたカレーと普段あまり見る事のない真っ白な苺のケーキ。
それ以外、特にごちそうらしいものがあるわけでもなかったけれど、山口家の次男の大好物と言う事で、いつもよりも多めに盛られたカレーライスが嬉しかったな。後は、切り分けられたケーキの大きさが違うと言っては、よく、兄に殴られ弟には泣かれたっけ。
壮絶ですね、と淡々と告げる山口に軽く顰められた細い眉を見て、男兄弟なんてこんなもんでしょ と眼を細める。
弱肉強食 と言いたいところだけれど、三人兄弟なんてもんはそんな甘いもんじゃない。大概は上と下が結託して、真ん中が損をするのが常なのだ。それは日常も誕生日も変わりがない。
結局は一番大きなケーキは兄の皿に奪い去られ、苺の大きなケーキは弟の物になるのだ。
フォークをすっと吸い込む柔らかくふわふわのスポンジに頬を綻ばせ、甘みの抑えた生クリームをぺろりと舐める。
他には?と興味津々で聞いてくるスタッフに、紙コップの珈琲をくるりと回せば、綺麗な渦巻きがじわりと解け、黒に近い深みが茶色に濁る。
「あれかな」
思わず溢れた声に、周囲のスタッフもなんですかと近寄って来るのに、あちゃっと眉を寄せながら、口角をきゅっと歪めた。
小学校六年の時の事、一人の女の子から誕生日のプレゼントを貰い損ねた事があった。
それまでも、バレンタインやと何かしらある度に、幼い頃から整った顔立ちだった山口は、ありがたいことに女の子から多くの頂き物をしてはいたのだが、それは、明かにそれまでとは意味の違う、個の好意が多分に含まれたものだった。
冬休みが終ったばかりの短縮授業が終り、寒風に吹かれる中、急ぎ足で校庭でサッカーをする場所を分捕るのだと駆け抜ける廊下の向う側、走るな と響く教師の声もどこ吹く風な元気なガキども。
かたかたと音がなるのは背中に背負ったからっぽのランドセル。
サッカーボールを片手に下駄箱の横、踵が履き潰されたシューズを突っかけた背中に掛けられたのは、僅かに躊躇いを含んだような声と弾んだ息。
何?一緒に靴を履いていた傍らの友達にボールを押しつけて、振返った先にいたのは髪を二つに括った同じクラスの女の子。
走った所為か、寒さの為か、それとも抑えきれぬ緊張からか、白い頬を真っ赤に染めて、黒めがちな多きな瞳をくるりと回し、あのね と一歩近付いた白い上履き。
クラスでも指折りの可愛い子だったと思う。
ただ、少し大人しすぎて、一年間が終わろうというこの時期にも関わらず、山口もきちんと言葉を交わすのは恐らく初めての女の子。
そんな彼女の鞄の中から、これ、と差し出されたのは小さな可愛らしい赤い紙袋だった。
伸ばされた腕の分、近付いたものは仄かに漂う甘い香り。
明日、誕生日でしょ?真っ赤になった鼻の上、伏目がちな睫毛がやけに長かったことを憶えている。
だが、子供と言うのはあまりに無邪気で時として、大人が見ていて驚く程に残酷な生き物なのだ。
羨望と妬ましさと、そして、邪気のない悪戯心。
そんなものがはがいまぜになり、一人が囃しはじめると、分けも分からずそれに便乗する周囲の子供達。
そして。
沸き上がるものは恥ずかしさと、照れくささ。
同時に起こった周囲への疎ましさが心にもない言葉を唇の上に乗せるのだ。
「俺そんなのいらない」
差し出された掌の上。
リボンの影に見える甘く香ばしい蜜の色。
くるりと背を向けて。傍らで尚も囃している友人の背中をばしりと叩いた。
「ばあか、さっさと行こうぜ」
「山口君」
尚も、掛けられた声はどこか震えていて。
泣いているかもしれないと思った。
だが、一顧だにしなかったのは幼い自分。
ひどい話だよね と軽くついた頬杖の上、きゅっと上がった頬の肉と皺を刻んだ眦が目の前のスタッフに小さく笑う。
「まあその頃の年頃ってさ、あれでしょ。好きな子程いじめたいって奴?」
今考えても惜しい事したなあとは思うんだけどさ。と皿の上の最後の一切れを口に放りこむ。
「その後はまあ、彼女に祝ってもらったり、ダチとばか騒ぎしたり?」
特に思い出はないかな と言った山口に目の前の女性スタッフがほっとしたような微笑を零した。
「あ、でも、メンバーの誕生日は今もメールしたり電話したり、莫迦みたいなプレゼント渡したりはしてるけどね」
「仲良いんですね」
「そ?」
大体うちはしげがね、そう言いかけて
「リーダーがそう言うの好きだから」
言葉を言い直すと、よっと両手を思いっきり伸ばして立ち上がる。
「この間も長瀬に変わったカップラーメン見つけて来て山程誕生日にやってたよ」
「山口さんは?」
「え?」
「リーダーに何をプレゼントされたんですか?」
次々に重ねられて行く紙皿の山が、休憩時間の終わりが近い事を教えてくれる。
「貰ってないよ」
「え?」
「だって、俺の誕生日、明日だからね」
撮影始めます スタジオの向う側からの声に、 山口は、あっと口元を抑えたスタッフをその場に残してゆっくりとライトの中へと戻っていた。
嘘つきだよなあ。
テレビ局の前の道端で、黒いキャップを目深にかぶり、薄い色の伊達眼鏡をした男が、きゅっと背を丸めながらガードレールに腰を下ろすと、ほっと息を吐いた。
一瞬、球体のように白くけぶった空気は、すぐに形を失って、宵の寒さに吸い込まれるように霧散する。
眼前に広がるのは雲一つない黒い空。
無数の糠星が煌めくであろう高すぎる天は、眠る事を知らぬ街の上では、ただの闇と姿を変える。
山口は、ゆっくりと消え行く温もりを楽しむようにオレンジ色のキャップのペットボトルを転がしながら、小さく呟いた。
鮮やかに残る誕生日の記憶。
忘れる事のないケーキの味。
それ以外にないなんてうそうそ、大嘘。
くくっと喉の奥で笑いながら、目の前を行き交う人々の流れを視線が意味もなく追い掛けて行く。
それは、母の手による大きなケーキでもなく、言葉を交わした事のない少女の焼いたカップケーキでもない。ましてや、彼女に奢ってもらったショートケーキでも、松岡の手作りの豪華なケーキでもなかった。
それは、この両掌に包まれてしまうぐらい小さなチョコレートケーキ。
どこそこの有名なパティシエが作ったと言う代物でもなく、それをくれた当人の手作りでもない。
どこかの百貨店に入っている小さなケーキ屋のありふれたケーキ。
でも。
カカオ特有の苦味があるわけでもない、なんの特徴もないはずの味が今でも舌先に鮮やかに蘇るのだ。
否、もう、15年も前の事なのだから、きっと自分の知る全ての味がブレンドされて、新たなる記憶に作り替えられていて、今食べても同じ味などしないのかもしれないけれど。
ごめんなあ
ゆっくりとどこか間延びした発音で、貰ったケーキを抱きしめている山口を見て、彼は謝っていたっけ。
大したものを贈れなくて と情けなさそうな表情になり、琥珀の虹彩はふるりと揺れて、もう一度ごめんと小さく呟いた。
あの頃は、今よりも冬はもっと寒かったような気がする。
ああ、寒冬と呼ばれる今年よりは温かかったのかもしれないけれど。
それでもとても寒かったと肌が覚えているあの金曜日の夜。
まだ、奈良に住んでいた彼が自分の誕生日に間に合うようにと、いつもより早めに東京を訪れて、持って来てくれた小さなケーキ。
秘密を共有したような小さな笑みを交わしながら、門限を破って揃えたものは合宿所の近所にあるコンビニのおでんとおつまみ程度。
そして大して強くもないくせに城島が毎回こっそりと持ち込む缶ビール。この際未成年であったことには目を瞑る。
冷えきった合宿所の、色気も素っ気もない彼の小さな部屋で、時計が12時を指すのを待って始めた野郎二人っきりの誕生日パーティ。
おめでとう とはにかんだような笑みを合図に、重なるものはぺこんと気の抜けるような音をたてるアルミ缶。
ナイフなんてない部屋でおでん用のプラスチックのフォークで切り分けた見るも無惨ながたがたのケーキ。
それを一口味わう度に頬を緩め、一言言葉を交わす度に嬉しくて笑いがこみ上げる。
誰かに祝ってもらえるという当たり前だと思っていたのに、多愛もない事がこれほどまでに嬉しいものなのだと初めて知ったのだと言えば貴方は笑う?
普段ならなんとも思わないおでんが驚く程おいしくて、自分からは好んで食べないケーキがほろりと口の中で溶けていった。
楽しくて、嬉しくて。
もし、自分の中で忘れられない誕生日と聞かれたならば、初めて彼女と過ごした誕生日よりも、あの人と過ごしたあの日を自分は上げるだろう。
ああ、今なら分かる。
おいしいものを食べるから、おいしいのではなく、一緒に食べる相手によって味は変わるのだ。
もちろん、勿体なくて、気恥ずかしくて、それを誰かに告げるなんて事はしないけれど。
ふっと山口は誰かに呼ばれたような気がして、顔を上げた。
「ぐっさあん」
どこか空気が抜けるようなへろりとした声と、かっつかっつという足音が辺りに響き渡る。
「ったく」
キャップのつばを深く被り直しながら、山口はガードレールから立ち上がった。
いくら人が少ないとはいえ、あんな大きな声では、周囲に自分達の存在を知らせて回ってるようなものだ、とごちりながらも、寒さの為に強張っていた頬が自然綻んでいくのを感じる。
「焦んなくっていいから」
ひょこひょこと前屈みな姿勢といつものがに胯で姿の彼は、一見、とても某J事務所に所属するアイドルには見えはしない。
「けど」
息せき切って駆けて来た為か、鼻を真っ赤に染めた城島の首に山口は首に巻いていた長めのマフラーをぐるぐると巻き付けると、そのまま、その手の鞄を受け取った。
「ええよ、そんな重ないし」
「何言ってるんだよ、まだ、息切れてるでしょ」
せやけど、と軽く不満気な表情が、眼鏡の奥で軽く剥れる。
「あんなに走らなくてもいいのにさ」
くるりと向けられた背に、城島の慌てたような気配に口角が緩む。
「やけど、僕が呼び出したのに、待たせてもうた」
「仕事でしょ」
仕方がないよ と返される言葉に僅かに頷く。普通のサラリーマンのように決まった時間で動く事のないこの仕事では、前の仕事がおして、思い通りには仕事が終わる事は少ない。
それでも。
「それよかさ、それ」
ケーキと城島がしかりと抱えたままの箱を顎でしゃくるように指すと、ほろりと目の前の表情が嬉し気に綻んだ。
「せやで、自分と食べるから大きなホール買うてみてん」
いつもは一人やから食べる事ないやろ、と箱の蓋をとんと叩く。
「何、チョコレートケーキ?」
「何や、自分。チョコレートが良かったん?」
すまん、今日のはフルーツたっぷりのんにしてもうた と僅かに萎んだ表情に笑みがこぼれる。
「違うよ、今日、昼間の撮影の時にさ、誕生日の思いでとか聞かれて、貴方に初めて貰ったケーキがチョコレートだったなって思い出しただけ」
「そうやったね」
懐かしい、いつもよりもいっそう細く、剣月のようになった眼はふと空を見上げて口角を緩める。
「あんときも寒かったよなあ」
抱きしめたケーキの箱は、これよりもずっと小さかったけれど、あの時も壊れないように気をつけて、山口のとこ行ったんやったなあ と瞼の裏に浮び上がるはケーキを受け取る嬉しそうな山口の幼い笑顔。
あの時、外で震えながら待っていたのは山口ではなく城島だったが。
「そう言えばさ、あん時なんでチョコレートケーキだったの?」
特にチョコが好きって訳じゃないよね、 と危なっかしい城島の手から預かった大きな箱を抱きかかえながら、傍らを歩く城島を振返る。
「え?やって、あの頃のケーキ言うたら、生クリーム違うてバタークリームのんが多かったやんか」
僕、バタークリーム苦手やねん ときょとんとした表情の城島に山口が目を瞬く。
「だって、貴方」
あの時、ケーキを持って帰れと自分に言わなかったか?
「しげ?」
それって、始めから自分も食べる気だったってこと?
「やって、一人で食うより、二人で食うた方が美味いやろ?」
そう言って笑った城島に、山口は完敗と小さく笑った。
これまでも、これからも、一人で食べるより、二人で食べるケーキが一番おいしい思い出になるのだと。
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