Jyoshima & Yamaguchi

貴方が生まれた日

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初めて貴方に誕生日を祝ってもらったのは、もうかれこれ何年前になるんだろう。
掌の画面の中、小さなケーキのマークに頬が緩む。
そう、あれは指をゆっくり折りながら数える必要もない程に鮮やかな記憶。

夜も大分更けた時刻。

廊下に続く扉を開けると同時に流れ込んできた、きゅっと頬を嬲るような冷たい風に、山口は思わず亀の子のように首を竦ませた。
ったく、と思わず零れる悪態は仕方ない。
大体、と厚手のジャンパーの前を合わせながら見上げる、瑠璃よりも深い空にぽかりと浮かぶ光は薄く黄色いお月様。

未成年をこんな時間まで働かせていいのかよ と尖る唇。
そう顔を顰める山口の背後で、上着をいそいそと着込んでいる一層小柄な少年達に、小さく溜め息をついた。
別に、常識ぶるつもりはないし、人権侵害だの未成年虐待だの叫ぶつもり等は毛頭ない。
彼ら自身が好きで入った事務所なのだから、今更誰に文句を言うつもりはないしね、と薄い笑み。
尤も、働くと言っても、夜が更けた理由と言えば、ダンスのレッスンが終わらなかっただけだし、それも何かしら理由がある者は帰ってしまい、とうの昔にここには居ない。
つまりは自業自得と言う訳だ。
でも、寒いんだから文句の一つや二つは出ても仕方ないよな そう呟きながら片手に持っていたマフラーを首筋にぐるぐる巻きにしながら、ふと1週間程前に別れた男の寒そうに背を丸めた姿を思い出した。
一学年年上の数ヶ月前に知り合ったばかりの彼は、奈良から週末ごとに上京してくるため、平日の夜の練習には顔を出す事はなく、金曜日である今日のレッスンには当然の如く居る訳がなかったが。
ああそうか、明日は会えるんだ、と寒さのために強張っていた口角が僅かに緩んでいく。

城島 茂
それが彼の名前だった。
特に目を惹いて美形と言う訳ではない、そう言う意味であれば、むしろ山口の方が美形であり、美少年と呼ばれても差し支えない整った顔立ちをしている。
だが。
ポケットに手を突っ込んで、かじかむ足を誤摩化すようにぴょんと跳ねながら、月華に霞む糠星を見上げた。

出会った時、ぼんやりと窓の外を眺めている横顔から視線が離れなくなった事を憶えている。
窓の外、はらりと舞い散る枯れ葉を見つめるどこか茫洋とした琥珀色の虹彩。
透き通るようなそれは、目の前に居る自分達とはどこか違うずれた空間を見つめているのではないか そう思わせる程に不思議な色をしていた。
そう、人なつこい山口が、一瞬、声を掛けるのを躊躇う程に。
尤も、後でそう照れながら話した山口に、彼は、お腹すいとったんよ と軽く舌を出して笑い話に擦り替えてしまったのだけれど。

もっと、練習においでよ。
全然会えないじゃん と、出会ってすぐに意気投合し、周囲の反応を顧みる事なくバンドを組もうと約束をした相手に、山口は少し肌寒くなった裏庭でベースのチューンを合わしながら唇を尖らせた。
「せやけど、金かかるからなあ」
東京 奈良 と空に描く弧は自分が考えていたよりも大きくて、ほんの少しだけ困ったような表情で山口を見る城島がふわりと笑う。

ああ、そうか。
母子二人暮らしなのだと言ってたっけ。
父がおり、母がおり、兄一人弟一人との五人家族。
贅沢ではないがお金に苦労した事等なかった山口にとって、彼の過ごして来た境遇は想像できないけれど。
それでも。
「お母ちゃんがな、行ってええて言うてくれてん」
嬉しかったと、はにかむような笑みでそう話してくれた時、 彼が着ていた服は誰かのお下がりだと笑っていた薄手のコートだった。
ほんま、東京のジャニーズは格好ええねんなあ と軽く見開いた瞳に映っていたのは、母に我を通して買ってもらったばかりの皮のジャンパー。
ごめんね と思わず謝りそうになって、言葉を飲み込んだ自分を、不思議そうに小首を傾げ、頬を綻ばせたあの人。
平日、学校が終ると同時にバイトをして、そのほとんどを新幹線代に充てているのだとそれでも楽しげに話してくれた。

けして、自分を卑下するのではなく、それを誇るように胸を張り、彼は真っ直ぐに前を見て歩いている。
そんな彼の事を一つ知る度に、一つ好きになり、二つ知れば、二つ分彼を好きになる。
だから、許される時間の分だけ、彼に会える時間が楽しみになる。

「大丈夫かなあ、あの人寒がりだもんな」
ちゃんと明日、来るよね と誰にともなく確認をすると事務所の裏口にある重い扉を押し開けた。

「うお」
勢い良く流れ込んで来た廊下を開けた時とは比べ物にならない冷えきった空気に、思わず扉の内に隠れそうになった。が、閉じかけた扉の隙間に見えた細りとした人影に目を瞬いた。

柔らかな曲線を描く背、襟足に掛かる微かなくせ毛。
ポケットに押し込まれた腕の先。
絶えず地面を踏み締める細く長い足。
まだ、両手両足ぐらいの回数しか会っていない相手だが。

「茂君」

見間違うはずもない男の名前を、がちがちと鳴り出す歯の隙間から絞り出した声はあまりに小さく、吹きすさぶ風に飲まれるように闇に消えるが、ほんの少し先に居た城島には届いたようで、寒さの為に真っ赤になった顔が、ふっとこちらを振返った。
「山口」
真っ赤な頬に反するように青く色を失った唇が、辿々しく山口の名を形作り、それでもほとりと色付くような笑みを浮かべる。
「何してるんだよ」
貴方 と、巻き付けたばかりのマフラーを首から外しながら、ああ、現金だなと長い階段を駆け降りて行く。
先刻まで、肌に感じていたのは寒さだけだと言うのに。

ええよ、自分も寒いやろ と僅かに抗う城島の首筋に、ぐるぐると長目のマフラーを巻き付け終えると山口は、全然平気 と口角を上げて満足げな笑みを浮かべてみせた。
「明日まで会えないと思ってたよ。何?事務所に用事」
寒さの為に、きゅっと収縮する頬を綻ばしながら、山口は、すっかりと人気の消えた背後を振返る。
「ちゃうよ。自分にな」
「俺?」
うん、とどこか幼げにこっくり頷く仕草と眉月のように細められた虹彩が照れくさそうに山口を映し出す。
「ちょっとだけ、10分程でかまへんねんけど、時間貰えるやろか?」
山口は腕時計をちらりと見る事もせずに、大きく頷いた。

連れて行かれた先は、事務所が提供している合宿所にある、週末、東京に来た時に彼の部屋となる小さな簡易宿泊施設だった。
小さな室内に並べられているのは、あまり質の良いとは言えないベッドと机が一つ。
そこらへんのビジネスホテルの方がよっぽど居心地が良さそうな部屋ではあるが、城島は、やってただやもん と上京する度に好んでここに泊まっている。
俺ん家泊まればいいじゃん と何度言ったかわからないが、人という存在がほんの少し苦手で、潔癖性の気を持つ城島は少しだけ困惑した表情を返すだけ。
それでも、全館冷暖房完備な室内は、ほんわりと温かく冷えきった二人を迎え入れた。

適当に座っとり、そう言うと城島は廊下の奥にある給湯室でいれて来た珈琲の入ったカップを山口に手渡した。
「あったまるわ」
その瞬間触れた指先の冷たさに山口は顔を歪める。
「茂君?貴方さ、いつからあそこに居たの?」
ん?ゆっくりと傾けたカップに唇をつけ、ほおと吸い込む温かな空気に、黒縁眼鏡がぶわりとけぶる。
「いつからて、駅についたん、8時やったからなあ」
かれこれ2時間前 と見上げた先の壁の時計は11時をもうすぐ回ろうとしている。
「ああ、早よ用事済ませんと山口帰れんようになるな」
そう言うと、小さな机の上、そっと置かれていた掌大の箱を両手で取り上げると城島はくるりと山口を振返った。

「はい、ちょお早いけどな」

へ?真ん丸に見開いた眼の前、つられるように差し出した掌の上にちんまりと乗ったオレンジのリボンの掛かった小さい箱。
「何、これ」
「何て、自分、誕生日ちゃうかったん?」
さらりと頬に流れる髪をかきあげる事なく小首を傾げる城島の訝しげな表情に、山口は時計の文字盤を見下ろした。
「え?でも」
「あんな、自分、人気もんで友達多いやろ?」
せやから、と鼻先に皺を寄せ、僅かにそれる城島の視線。
「明日は自分、パーティに誘われて練習来れんかもしれんし、来ても忙しいかもしれんなて思ってん」
せやから、フライング。
くるりと向けられた背中に、山口は頬が熱くなるのを止める事が出来ずに思わず俯いてしまう。
「でも、だって」
貴方、と口籠る。

知っているのだ。
山口が拗ねるように文句を言った時から、口では無理だと言いながらも、月に2度しか来ていなかった練習を毎週末来るようになった事を。
その為に確実に減った城島のバイトの時間。
元々山口よりも食が細いとは言え、城島とて育ち盛りの食べ盛りの年頃だというのに、先週の日曜日、昼食を抜いていたのを知っている。土曜日の夕食は菓子パン二個だったのだと彼と同じ、週末合宿所生活の友人に漏れ聞いた。

それでも、滲むような彼の心が嬉しくて。
ゆっくりと手の中で解かれて行くオレンジ色のリボン。
そっと開けた箱の中、現れたのは12cm程のチョコレートケーキ。
Happy Birthday Tatsuya.Y
と書かれたマジパンのプレートがとても可愛らしくて。

貴方、コレを渡す為に、一日早くここに来たの?
寒いの苦手な人なのに、あんな吹きっさらしの中で待っててくれたの?
「茂君」
ありがとうと言いたいのに、喉の奥が詰まってそれ以上の言葉が出て来ない。

「ほんま、大したもんやないけどな」
そんなもんしかあげれんでごめんな、ケーキを抱きかかえるように俯いてしまった山口をどう思ったのか、慌てたような情けない口調が頭上から降り注ぐ。
「なんで、貴方が謝るのさ」
「やって」
こんなん渡す為に、自分の帰る時間遅してもうた と顰められた柳眉に山口は、綺麗に笑うと部屋の隅に置かれていた受話器を取り上げる。
「山口?」
「だって、祝ってくれるんでしょう?俺の誕生日」
このケーキで一緒にさ。
だったら、今晩帰れないじゃん と事もなげに笑うと、山口は家の電話番号を指先で確かめるようにゆっくりと押した。

門限が11時の合宿所。
守衛がこくりと居眠りをする隙間を縫うように、コンビニまで抜け出して調達して来た宴のご馳走は、たらことしゃけとカツオのお握り。
それとほかほかの湯気をたてた汁たっぷりのおでんと唐揚げ。
「やっぱ、麦酒ぐらい欲しかったかなあ」
ケーキの中央にたてられた蝋燭に火をつけながら、山口がちらりと城島を意味ありげに見上げて見せる。この男が、練習後一人こっそり晩酌をしているのを知っているのだぞと頬に浮かぶ薄い笑み。
しゃあないなあ、虎の子のやのに とボストンの奥から取り出された2本の350ml缶。
これで、今宵のパーティの準備万端と二人はぺこりと缶をぶつけた。

お握りを頬張り、おでんを食べながら、壁に持たれて時計の針が丁度0時を差すのを指折り数えて。10秒前からどちらとおもなく始めたカウントダウン。二人の言葉が0になった瞬間、ふうと吹き消された蝋燭の向う側、ほとりと綻ぶ城島の笑顔。
「おめでとう」
「ありがと、茂君」

「俺さ、こんな嬉しい誕生日初めてかもしんない」
「そう言うてもらえたらなんや照れくさいけど嬉しいわ」
安あがるのパーティやけどな、と竹輪を頬ばって麦酒を傾ける傍らの微笑に山口もつられるように頬を緩める。
「ね、茂君の誕生日は俺がお祝いするからね」
貴方、誕生日いつだっけ? と真半分に切ったケーキを取り上げる。
「ん?11月17日」
さくりと切り分けたケーキを突き刺したフォークがぴたりと止まり、
「ちょっと待ってよ、じゃあ、貴方の誕生日、済んでるってことじゃん」
思わず大きくなった山口に、城島が慌ててその口を掌で押さえつけた。
「済んでるって、今年のはまだ来てへんやろ」
だって、 と剥れたように尖った唇が、音もなくケーキを咀嚼する。
彼の誕生日が11月17日なのだとしたら、城島が誕生日を迎えるほんの少し前に、自分達は出会っていたのだ。それなのに自分はその事を知りもしなかった。
「やってそんなん、今日誕生日やねん て言いふらす阿呆がどこにおるねんな」
「けど」
俺は、祝いたかったの と喉の奥に言葉が消える。
まるで幼い子供が拗ねているような抑えきれない感情に戸惑いと羞恥を覚える。
「ありがとうなあ 山口」
その声に漸く上げられた頬はかすかに赤い。
「したら、次の誕生日は山口にこ~んな大きなケーキでお祝いしてもらおうかな」
そう言いながら両手を広げて、ほっこりと綻ぶ笑は咲き染める花のように嬉しげで。
「おお、楽しみにしてろよ」
こ~んな大きなケーキ全部食べてもらうからな  としゃくる顎に今度は城島が唇を尖らせた。
「覚悟しろよ」
「なんや、自分、一緒に食べてくれへんの?」
拗ねたような口調に、つられるように山口の頬に笑みが戻る。
「茂君の誕生日ケーキだからね」
でもまあ、半分は俺が食ってあげるから、と小指を差し出した。
「山口?」
「約束、今年の誕生日も、来年の誕生日も、その次も、俺が茂君の誕生日ケーキ買ってくるから」
一緒にお祝いしよう、そう僅かに頬を赤らめた山口の指に、城島の小指がそっと絡む。
「なんや恥ずかしいけどな」
指切りげんまん と重なる声は、まだ、バンドという形さえ持っていなかった二人だけの約束。

すんっと鼻をすすりながらも山口は、見慣れたマンションの入り口、見上げた視線の先、灯る灯りを確かめると脇道に止めた車から辺りを伺いながらそっとアスファルトに降り立った。
11月とは言え、秋冷な空気は、もうじき訪れる冬の気配を色濃く醸し出している。

あれから10数年。
色んな事があった。
未来の見えない今。
売れないアルバム。
あの頃みていた夢とは、僅かにぶれた俺たちの未来がここにあるのかもしれない。
それでも、城島は変わらずギターを奏で、山口は彼の音を支えるようにベース音を醸し出す。

バンドを続けられるのかと悩んだ時期もあったけれど、それでも、変わらず自分は、毎年今日という日にあの人の家を訪ね続けているのだ。

マンションの入り口、部屋番号を押すと同時に聞こえた声に、山口は両手に抱えたケーキの箱を見下ろして小さく頬を綻ばした。

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