TOKIO

Birthday Cake

-->

自分がおいしそうだと思ったケーキを一緒に食べることが嬉しい。そう、彼がはんなりと笑みをこぼしたのは、今年の初めのこと。
おいしいものは一人で食べるより二人で食べる方が絶対美味いねんで と。
Birthday Cake
木枯らし一番が例年どおりに東京という名の大都会の空を大きく震わせてから、ちょうど5日目の午後の事。
冬の香りを孕んだ空気は容赦なくむき出しの頬を叩き、秋空と呼ばれるにこれほど相応しい空はないだろうと思えるほどの抜けるような青さの下、灰色のアスファルトを行き交う人々は、そんな空を見上げる余裕さえもなく、ただ黙々と前屈みで歩いていく。それはある意味冬のかもし出す寂寥感よりも寂しさを滲ませる日常風景。
そんな中、柔らかなブラウンのジャンパーを羽織り、モスグリーンのジーンズに、足下には少し草臥れたスニーカー。明るすぎる茶色い髪を隠すように深くキャップを冠った男が人の流れに反するように足を止めると、薄い色の眼鏡の奥から細められた眼差しできょろりと周囲を見回している。
そして、ジャンパーのポケットに隠された左手とは対照的に、だらりと伸ばされた右手の中にはぎりりと哀れなまでにひん曲がった雑誌が一冊。
よくよくその表紙に踊る文字を眺めてみれば東京という街のタウンガイド。
ならば、この男はお上りさんか旅行者か と言いたいところなのだが。

はぁ、とこの大都会と同じ名をその冠にいただく一応ロック・バンドのメンバーである山口達也は、吐き出すように忙しい呼吸を繰り返す。
この都会に住みはじめて、既に両手両足に少し足りないほどの年月が過ぎた自分に、今さらこんな情報誌が必要になるなど誰が思うだろうか。
ましてや、山口はここからなら電車で一本の埼玉県出身であり、高校のときから某事務所に所属しているのを良いことに、隙にあかせては、東京のあちこちで遊び回っていた過去もある。
だが。
雑誌の端に申しわけなさげに貼られた幾つもの小さな付箋には、『おススメ』『ちょっとオススメ』『超オススメ』と赤いボールペンで描かれた花丸付きの文字が書き込まれている。
「しょうがねぇよな」
そう口の中でぶつりと呟くと山口は、やけに楽しげに踊ったその文字を忌ま忌ましげに見下ろしながら、ぺらりと『超オススメ』の付箋のページを繰った。

山口達也。
座右の銘は『命がけ』
その言葉どおり、齢三十路の半ばに差し掛かろうというのにも関わらず、その食べる量は誰からもみても半端ではない。
飯を盛れば丼の上に富士の山。肉を食えば、重なる皿は回転寿司のそれよりも渦高く。初めて共に食事をするものは、必ずといって良いほど度肝を抜かれるのだ。
そして、結果、美味ければ美味いにこしたことはないが、質よりも量に重きを置く食生活になる。
高級イタリアレストランより、値段も手ごろなファミレスを好み、お洒落なお菓子よりもコンビニのボリューム菓子。
確かに、美味い方が良いのはわかってる と心うちで思った言葉がほろりと音になって誰もおらぬ空気をかすかに震わせる。
+200円で食べられるファミレスのデザート・ケーキより、機械でがちゃがちゃと作られてお行儀良く180円で2つパッケージになっているコンビニのケーキより、今、目の前に広げられた雑誌の中を埋め尽くす豪奢なケーキの姿は、確かに『美味そう』ではある。
燦然と紙面に並ぶ自らをアルチザン(職人)と呼ぶパティシエという人々の手によって生み出されたスイーツの方がその手のひらサイズの菓子の中に閉じ込められた風味も味も、そして舌触りも格段に違うだろう。
だが、さして食にこだわりがあるわけではない山口にとっては、人工甘味料の甘さも和三盆による細密な甘さもさして違いがあるようには思わなかった。
否、並べて食べれば、その味の違いは歴然だということぐらいはわかるし、『村』という自然の中で息ずく仕事に携わってきたおかげで、『人工』と『自然』の味の違いもよく分かっているし、人の体に大切なことも重々承知だ。
でも、だからといって、別にわざわざ1カット500円も600円もするようなものを食べたいとは思わないのだ。
現に、過去、毎年欠かすことなく城島の元へ手みやげよろしくぶらさげていった十数個にも及ぶ誕生日ケーキは、たいして名の知れた店のものでなく、山口の家の近所の小さな店だったり、駅前に出ている出張所で売られていたものが多い。せいぜい、コンビニと提携して、手頃な価格で販売されているどこそこのパティシエ監修のケーキ、と言ったところか。
それでもそれらを特にまずいとも思ったことはないし、城島もそれをおいしいと頬を綻ばして喜んでくれていたのだ。
それが と山口は、もう一度幾つものケーキの写真を眺めると、表情を隠すためのサングラスの奥で、わずかに眦をやんわりと綻ばした。

 

 

あんなあ、今年の始まる頃の冬の夜。
あまり血色が良いとも思えない頬を漸く暖まってきた部屋の中でほんの少し上気させながら、柔らかく解けた眼で振り返ったのは城島の面映げな表情だった。

「せめて、マネに頼むとかさあ」
色とりどりのフルーツで彩られ、その周囲を真っ白な生クリームでデコレートされた、今人気のパティスリーで買ってきたのだというケーキを前に、山口は軽く眉を潜めてそう言った。
「TOKIOのリーダー・城島茂なんだよ」
街中にいる人間全てがTOKIOのファンではないとはいえ、彼等が音楽をやっていることは知らずとも、某長寿番組のお陰で、お茶の間での知名度は、某国民的アイドルよりも年齢層も幅広く高い自分達だと自負している。
「大体、なんでそんな無茶すんだよ」
並んで買ってくるなんて何かあったらどうするんだよ、と少し怒気の孕んだ表情に、城島はきょとんと二、三度目を瞬いて、それから僅かに俯いた。
なんでって言われてもなあ 微かに困惑したような表情になりながらも、城島は嬉しげに頬を綻ばせる。なんや、自分、心配してくれとうん?と。
だから、そうじゃなくて と言いかけた山口に、あんなあ 手の中のフォークをとんと置いて城島がぽつりと口火を切った。
「楽しいからちゃうかな」
楽しい?と聞き返した山口に城島が見せた笑みはいつもの彼よりもどこか幼いほど邪気がなく、はにかんだような頬が照れのせいか、珍しいほどに淡い紅を差す。

 

頑張るしかないでしょ。
「あんな表情されちゃったらさ」

 

プロ級の料理の腕を持つ可愛い弟分に、お勧めのパティスリーを教えろ と半分襟元を掴むような勢いで声を掛けたのは11月の声を聞くかどうかの17日前。
「何言ってんのよ。兄ぃ、美味い店なら俺より太一君でしょ」
「あいつに甘いもんの店聞けってのか?」
だが、帰ってきたつれない、まあ、仕事上当然といえば当然と言わざるを得ない言葉に、山口はじろりと頭一つ分高い松岡の顔を睨み付ける。
「なら、長瀬」
甘いものという言葉に苦笑しながらも、甘いもの好きならあいつでしょう と妙に一人納得したようにうんと頷く。
「あいつは、俺と一緒でよっぽど不味いもんじゃなかったら、なんでも『美味い』から、問題外」
「それって、ある意味ひどくね?」
長瀬を貶めているのか山口自身を蹴飛ばしているのかわからないその言葉に松岡は屈託なくけらけら笑うと、けど、なんで俺?と自分の鼻先をさした。
「お前、女の喜びそうな店知ってそうだからな」
と幾分失礼な言葉だったが、松岡は肩を一つ竦めるにとどめると
「あのさ、女の人の喜びそうな店とかならリーダーに聞いたらいいじゃん」
あの人そういうとこマメよ と言いながらも、最もあの人に限っては飲み屋限定で、雰囲気のある場所に詳しそうだけどさ そう、続いた言葉に山口はあからさまに眉を潜めた。
「あの人に聞いたら意味ないんだよ」
ふい とどこか不貞腐れたような表情で横を向いた山口の様子に松岡は苦笑を浮かべる。
「俺、女喜ばす良い店は知ってるけど、ケーキとか売ってるとは思わないしなあ」
ごめん、兄ぃ といとも申し訳なさそうに両手を合わせた松岡が、そこはよく気のつくA型体質を具象化するかのように、翌日、山口に手渡したのはスイーツ特集と大きく銘打たれた一冊の雑誌だった。

 

「僕が食べたいな て思た、おいしいかなって選んだケーキ、自分がうまそうに食うてくれるの見るのが楽しいし、嬉しい」
まあ、それはケーキだけに限った事やないけどな とさくりと勢い良く艶やかに光を帯びたフルーツを軽く口をすぼめるように食べていた横顔。
そう言えば、前にもつきあっていた彼女の一人が同じ店のケーキを持ってきたことがあったっけ。
「だからね、この甘みを抑えつつも濃厚なまったりとしたクリームが最高なの」
小さいくせにやけに豪奢な箱の中、まるで宝石かなにかのように丁寧に包まれた二切れのケーキを大事そうに持ってきた事があった。
洒落たケーキ用のフォークなどない山口の部屋で、でかい食事用のフォークでざくりと切り取られた繊細なそれ。
果物ものね、契約農家のものしか使わなくって、とまるで自分の事のように嬉しげに話すのを、右から左へと聞き流しながら、躊躇いもなく大きな一切れを口の中に放りこんだ山口に向けられたのは非難に近い悲鳴だったように思う。
何だよ 思わず眉を潜めて上体を反らした山口に向かって放たれた言葉は、信じられない だった。どれだけ買うのに苦労したと思ってるの? と。

「うまい?」
「うん、すごいうまいわ、これ」
種類は違うけれど、同じ店の、同じ山口誕生日を祝うために買われた二つのケーキ。そして、同じように躊躇いもなく口に放り込まれた大きな一欠片。
「そうか」
返されたのは、ほとりと笑みを滲ませた嬉しげな一言だった。

 

そこにあるのはどこにでもある他愛もない日常風景。
誰かが誰かのために何かを買う、それは相手を喜ばせるためのものだとずっと思っていた。

目の前で開いた自動ドアへと意を決したようにきっと顔を上げると、某後輩グループの中でもグルメと言われる男に勧められた一件の店内へと滑り込んだ。
シックな造りの店内の中、中央に設えられたやけに明るいショーケースの中に並んでいるのは種々様々な洋菓子達。
お決まりですか? と掛けられた店員の声に、思わず、ここはね、結構チョコ関係のが美味いよ と店の紹介の横に書かれたケーキの名前を確認すると、山口はゆっくりと顔をあげた。

 

ねえ、貴方がこんな風に来慣れない店の中で情けないぐらいに立ち往生している俺を見たら
「アホやねえ」
そう抑えたような笑い声で言われるかもしれない。
「自分が買うてきてくれたケーキやったらなんでも嬉しいわ」
綻んだ眦に幾重もの皺を刻み付けて、盛大に笑われるかもしれない。
知っている。その言葉に嘘はないし、きっと去年と同じ通りがかりの店で買ったケーキでも貴方はおいしいと言ってくれるだろう。

それでも、同時に、羨ましかったのだ。
そんな風に喜びを感じることができる貴方が。
自分もその喜びの欠片でも良いから感じたいと切に希んだ。

そう、自分が見つけて選んだ物をおいしそうに食べてくれる貴方の綻ぶ笑顔が見たいと思ったから。
だから、と山口は雑誌を閉じると、もう一度ショーケースを端からゆっくりと眺め直すと、
「その、端のケーキ、もらえますか」
そう、秋らしいシックな色合いの栗のホールケーキを指差した。

 

貴方が笑ってくれる。その笑顔が嬉しいから。
それが自分が行動を起こす原点になる。

 

 

Category

シリーズ

Story

サークル・書き手