Jyoshima & Yamaguchi

桜木

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まだほのかな煙りが残る囲炉裏端、食後の一服を終えたらしいのそりとした人影がタオルを首筋にかけると外界から空間を切り離すように閉められていた障子を躊躇いなく開け放つ。 途端に、薄暗い室内に慣れた瞳孔が、差し込む光に付いて行けずに一瞬眩んだ視界。 だが、一瞬怯むように閉じられた目蓋が次に見開いた時には、男の明るい瞳は射るような緑をしかりと受け止める。 「30分後からカメラ回しますんで」 よろしくお願いします とかけられる声に、無造作に脱ぎ捨てられていた長靴を片手でとりあげながら背中越しに、男はうい~と返事を返す。 強張っていた腰をゆるりと伸ばすように立ち上がり、 あの人を見つけてこねえとな と空を見上げた。

空から落ちる金の糸に絡むように差し込む淡い初夏を思わせるほのかな青い薫。
初春から、仲春へ、そして青い色の滲む晩春へと、たゆるように緩やかな、だが、目を覆うばかりに目映い変貌を遂げる季節の虚ろい。
平素、喘ぐように呼吸をするのは都会と呼ばれる灰色の壁の中。
そんな自分達が、人の手によって造り上げられた緻密で無造作な石の狭間では感じる事のできない溢れ出すような生命力の息吹を孕んだ大気があるのだ と知ってから五度目の芽吹きの季節の訪れ。

デニムのシャツを枝にかけ、Tシャツ姿の腕を伸ばすと愛おし気にそのごつごつとした樹皮の上をかさついた掌がゆっくりと行き来する。
まるで、愛し子を愛撫するような所作と緑を宿す枝を見つめる横顔は、やんわりとした微笑を浮かべる。

昼食後、すぐに発生していた行方不明者を探すために家を後にした男は、降り注ぐ陽光を全身で受け止めるように伸びをした。
早朝からのロケバスでの移動。
到着と同時に慌ただしく廻り始めたカメラに、寝ぼけた表情をするりと隠し、休む間もなく始められた農作業。
流石に、車内から伸びきる事のなかった手足が悲鳴をあげる。
それでも、呼吸をする度に惜し気もなく肺に滑り込む澄んだ空気に小さな疲弊は瞬きの間に霧散する。
一歩、地面を蹴るたびに舞い上がる乾いた春の気配。
傍らで吠える北斗の声。
訪れる度に濃さを増して行く里山の緑の青臭い薫り。
某テレビ局の番組の1コーナーとして始まった『村』を作ると言う壮大で、先の読めないロールプレイングゲームは、五度目の春を迎えても一向に慣れる事はない。
触れあう全てが驚きと発見の連続で、去年、一昨年と繰り返して来たはずの稲作さえも、何一つ同じではありえない。
それは、同じコード、同じ弦、同じメロディを繰り返しても、生まれてくる物が絡み合う一瞬の空気の違いで全く別の音を奏でるのと同じやね と言ったのは大きな眼を何時も細い眉月のように綻ばす彼だったか。
先が見えないからこそ飲めりこみ、己の手の触れ方で違う表情を見せるから、瞬きの間さえも目が離せないと。
「目が離せないのは誰かさんも一緒でしょう」
ったく、と小さく呟いて、凝った肩を解すように大きく回すともう一度大気を肺に取り込むように深い呼吸を繰り返す。

家からほんの数歩歩いただけで視界の端に認めた人影に、山口は苦笑を浮かべた。
「何やってんの?」
花粉症の癖に と山口は、桜の幹に頬を寄せている男、城島に声をかける。
「ん~、あ、もう始まるん?」
「や、もうちょいあるけどね」
丁度、幹に伸ばされている手が切れた場所に、山口は体重を軽く預けるように肘を付くと、安堵したように樹皮にもたれる男に、もう一度同じ問いを口にする。
「で?何してるの?」
だが、返されるものははにかんだ笑みと照れくささを表すように鼻先に寄った皺の跡。
「シゲ」
「もう、随分ここもあったかなったから、眼、醒めたかなあ思て」
「貴方さあ、本当に時々意味不明なんだけど」
だが、軽い角度をつけて桜を仰ぎ見るような所作で返された言葉に、山口はほんの少しわざとらしく軽い溜め息を零してみせた。
「あんなあ、冬、寒いと桜は深い眠りにつくんやて、その眠りが深ければ深い程、春、温かくなった時、目覚めた桜は綺麗に咲くんやて聞いた事あるんよ」
辛く厳しい冬を耐える為に、葉を落とし、からからと掠れた枝を震わせながら、その身の内に熱をためるように眠り続ける桜の木。
「やから」
もう、起きたんかなあ って思ってんけど と髪を後ろに束ねている為に露になっている耳をその幹にぎゅっと押し当てる。
「こうしたら、水の音がなあ 聞こえるねん」
生きとるんやなあ って。

3年前、春を待つ事なく強風の為大きく折れてしまったサトザクラ。
次第に色を失くし、枯れゆく枝の哀れな姿。まるで、緩やかに流れ落ちて行く命の証が、ただ、哀しくて、できるならば、もう一度花を咲かして欲しい、始まりは本当にそんなささいな動機だった。
命を繋ぐ方法の一つとして、教えられるままに挿し木をし、枝一本一本をわらだわしで叮嚀に磨き、樹皮を覆い尽くす苔を削ぎ落とす。
一つ一つは、あまりに単調な作業の繰り返し。だが、思っていたよりも驚く程に手の掛かる作業とその多さに目を見張り、疲れたと唇を尖らせたのは一度や二度ではない。

「元気になったんやなあ」

それでも、指が触れた場所から、ほとりほとりと灯る命の温もりが寒さに痺れた指先を温める。
他のメンバーのように、犬を飼うでもなかった城島にとって、折り重なるような一つ一つの事象が驚きであり、一つ何かをすることによって、確実に返される一つの反応に、今更ながらに『生』を育てる事の大変さと大切さを教えてもらった と照れたように口角を緩める。
「今年は、いつもより雪も多くて、冬、越すん大変やったやろうけど」
でも、その分、こいつ、深く眠っとった言う事やから、今年も綺麗に咲いてくれるかなあ って思ってん とそっと伏せた目蓋が微かに揺れる。
「こいつは村のシンボルやからね」
ずるりと身体にかかる重力に逆らう事なく、まだ、じんわりとした冷たさを残す地面に腰を下ろし、張巡らされた根の隙き間に背なを預けた。

「そう言えばさ」
そんな城島の言葉に薄い笑みを浮べながら、こちらは立ったままの姿勢で桜に体重を預け、高い空を流れ行く雲を見上げた山口がゆっくりと言葉を綴る。
「さくらの『サ』は『早苗』『早乙女』の『サ』と同じ意味があって、『田圃』の神様が座る花だから『サクラ』って言うんだって」
「へえ、よお知っとるなあ、ぐっさん」
さっきまで、濃い紅の蕾みを抱き締めるように映していた瞳が、微かな賞賛を持って己を映している事にほんの少し喜びを感じている自分がいることに、山口は苦笑を零した。
「明雄っちの受け売り」
「なんや、ちょお、感動したのに」

寒い時期、眠るように身体を丸め、己の中の胎動を庇護するように抱き締めて、表皮を滑る吹き荒ぶ寒風も、みしりと枝に積もる雪の重みにも、ただ黙って静かに春の訪れを待つ桜。
貴方みたいだね

感嘆を浮べた口唇を拗ねたように軽く尖らせたどこか幼子のような横顔に、咽の奥で震えるような言葉は届く事はない。

20歳そこそこで、芸能界という社会の嵐の中に無防備に晒されて、デビューさせたことさえも失敗と言わしめさせた強烈な『個』の塊をその薄い背に負い、自らが望んだ訳でもないのに『リーダー』という冠をその頭上に押し付けられていた。
それでも、何一つ文句も愚痴も、己の感情すら表に出す事なく、自分勝手な方向に芽吹こうとする枝のその行く手を妨げることがないように、同時に、容赦なく吹き付ける雨風から守ろうとする不器用な存在。

音にならぬ言葉の代わりに、ふうわりと流れて行くのは、けぶるような一筋の紫煙。

「大分、芽吹いて来てるね」
「もうちょいやね」
視線の先で揺れる末枝の先を、軽く突くと城島はよっと掛け声をあげて立ち上がった。
「今年も、皆で花見できるとええんやけどなあ」
「うちの弟達は忙しいからな」
ポケットに突っ込んでいた携帯灰皿に、煙草の残り火を押し付けると山口も城島に倣うように桜木を見上げる。

家の方では、カメラの準備を始めたらしいスタッフの足元を喜び勇んで駆け回る北斗の声が聞こえて来る。
「さてと、神様が降りてくる前に、僕らも田圃の準備始めんとな」
「また、忙しくなるね」
なんていうても田舎の似合うアイドルやからなあ、日本の農業の未来しょってたっとうんやで ガンバらなあかんわ、そう言った横顔は、先ほどまでの無防備な表情は消え、TOKIOという看板を背負った男の表情に変わる。

厳しすぎた冬。
それでも、曇天から降り注ぎ始めた穏やかな春の日射しの元、細い枝先に堅い莟がつくように、望んだ道から多少外れてはいたかもしれないが、ぽつり、ぽつりと細く頼りない枝先に小さな薄い紅の花がほとりほとりと花弁を揺らす。

「なあ、今年は何育てようか」
「お茶なんていいんじゃねえ」

眠り続けていた『TOKIO』という名の桜木が、傷ついた樹皮を覆うように、今年も又鮮やかな色に世界を染める春の訪れ。

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