Jyoshima & Yamaguchi

凛とした

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ふと足を止めたのは小さな花屋の前だった。
店先を彩る真っすぐと伸びたその姿に、「今日なあ」そう小さく呟いた城島のどこか面映気な横顔がよみがえり、つと眼を緩めた。

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緩やかな空間だった。
あまり多くない仕事を終え、さて、明日はどうやって暇を持て余すか、そうよけいな事を考えてしまいそうなゆったりとした時間。
すでにデビューをし、日々、駆け足でさえも追いつかない忙しさに追い掛けられている同室の中居は、今日も帰らないのだ、と黒ぶち眼鏡の奥で、琥珀色をした瞳をしょぼしょぼと瞬かせた城島に、なら、泊めてよ、と昨日から形だけに持ち歩いているベースのケースをかたりと床に置いたのは、小さな食堂での事だ。ん〜 と曖昧に頷いたそれを了承とし、さっさと自宅に電話したのは、廊下の脇にちんまりと置かれたくすんだピンクの公衆電話だ。
寮なんだからさ、電話ぐらい置いてくれたっていいじゃん そう小銭を探りながら唇を尖らせた山口に、そら、自分の実家は近いからええかもしれんけどなあ、そう、人前ではあまり使わない西の言葉で困ったように眼を細めながら、ここにおるんは出稼ぎばっかりやからな、そう小さく笑う城島自身、たった一人の家族である母は、奈良におり、仕事のあまりない彼は、思うように連絡はとれないのだと話していたか。

「で、今日どしたの?」
結局、しかりと閉められたケースからベースが取り出される事はなく、ひんやりと冷えきった中居のベッドに寝転がったまま、山口は、後輩からくすねて来たらしいポテトチップをぺりんと齧る。
「布団の上でモノ食いなや、自分」
軽く眦をあげると、ほら、起きろって とえぇ〜と渋る山口の腕を引っ張りながら、茶ぁでもいれたるから とゆっくりと腰を上げた城島に、山口も渋々と、それでも寝転がった姿勢を崩すことなくずりりと床に這いつくばるように四肢を伸ばす。
「番茶しかないけどな」
それも、出がらし、そう、かかっと笑う城島に、ちぇと舌打ちしながらも、互いの懐状況は、その埃のひとかけらまで知っている人間としては、文句は言えねぇよなあ、と頬杖をついた。

「で?」
それでもなんとか色のついている茶を手に戻って来た城島に、山口はもう一度、促すように小首を傾いだ。
「ああ、せやせや今日なあ」
現場近くで彼女に会うてんけどなあ、既に大半が山口の腹に収まってしまったポテトチップスの欠片をぺろりと舐めながら城島が、ゆっくりと口火を切る。
「彼女って、今、貴方女いたの?」
「ああ、ちゃうちゃう、元やな」
少し慌てたように片手を揺らし、
「今は、彼女がおっても、飯一つよぉ食いに行かれんわ」
とてもそんな気分やないと、くくっと笑う。そのどこか自嘲的にさえ見える笑みにふぅうんと小さく返し、それで?と山口は先を促した。
「なんや、えらい綺麗になってた」
なんていうんやろう、と軽く小首を傾ぎ、そのまま自分のベッドの足に背を預けるようにして天井を見上げる。
「可愛らしい、柔らかな子ぉやったのに、なんて言うんかなあ、強い言うんか」
そう、山口に聞かせると言うよりは独り言のように、くぐもった声で呟き
「せや凛としたっていうんかな」
「りん?」
おうむ返しのように問い返され、城島は、うぅん と唸るように僅かに俯く。
「前かてな、か弱いとかそう言うんちゃうねんけど」
何ていうか と鼻先をこりと掻き
「守ったらなあかん言うの?」
と小首を傾ぐ。
「や、俺に聞かれても困るんだけどさ」
「せやねんけどな」
最後の一枚を食べ、ちっと袋の底を睨みつけている山口からその袋を取り上げると、城島は、お茶と一緒に持って来ていたおむすびにそれをはらはらと掛け、一つを ほれ と山口の前に突き出した。
「僕が傍におったらなあかんわ〜 見たいな」
そう言うと、僕も男やしなあ と、ははっと少し乾いた笑いを立てた
「で、その子がどしたのさ」
「ああ、そう、その子ぉがな、ロケ先におったんよ」
へぇ と山口は器用に片眉を上げてみせた。
「だって、それって」
「せやで、奈良の頃につきおうとった子やから、東京に住んどうわけやないよ」
そう言うと18、19、20、21 と指を折り、もう、4年も前やねんなあ とどこか感慨深く眼を細めた。
「旅行に来たんやて」
「話したの?」
思わずといった面持ちで、がばりと音がでそうな勢いで起き上がり、どんと両手をついた勢いに小さな机がぎしりと揺れる。
「休憩時間にな」
綺麗に化粧しとったから一瞬誰か見間違うたわ、とククッと笑い、女の子はちょっと見ん間にほんま変わるなあ、とどこぞの親父のように口角を緩める。
「で?焼け木杭に火がついたんだ?」
僅かに上気したような頬に、心臓の裏あたりに走ったちりりと火がついたような痛みに山口は唇を尖らせた。
「まあなあ、確かに思わずどきどきしたけどなあ」

柔らかな頬、薄くひいていた紅が、今は少し濃さを増し、綺羅と輝いていた虹彩に宿るは、柔らかな温もり。
頬に触れる髪の毛をゆうるりと掻き上げる仕草は、城島の知らぬ艶やかさを持ち、ふと綻ぶ唇に浮かぶ、芯のような強さ。

「守るもんができる言う事は人を強うすんねんな て思うた」
「守るもの?」
ん と音もなく答え、底に溜まっていた茶の残りをずずっと啜った。
「子供、一歳になるて笑とった」
「…アナタの?」
「アホか」
4年も会うてへんのに と目の前の頭を軽く小突くとそのまま城島はぱたりと己のベッドの上に倒れ込んだ。
「すごいな、って思うたよ」
母の強さか、女の強かさか。

久方ぶりの出会いに、どこか戸惑いがちな自分に、なんのてらいも惑いもなく微笑みかける彼女の中に、かつてつきあった男の影はなく、ほんの僅かな逡巡を見せた城島にさえ、気づかぬ風で。

「僕にも守るもんができたら、あんな風になれるんやろか」
「家族ってこと?」
「ん〜 そうなるんかな?」
城島は、四肢を柔らかな布団に預けると、じわりと沈んだその感触に全てを預けるように一つ伸びをする。
全身にかかる重力に逆らう事なく感じたけだるさに抗う事なく、あふりと欠伸を零した。
「ねぇ、シゲ」
んん〜 と返る返事は、柔な微睡みに揺れ、ついさっきまでがんがんに起きてたくせに、と山口は苦笑を零した。

「凛としたってさどういう感じなわけ」
「りん?」
「そう、凛とした」
あんなあ、と間延びした声が、それでも思考を辿ろうとするかのように、二三度うううと唸り、ん〜んと頭を振る。
「からあって知っとう?」
「カラーって色?」
「ん〜、花のな、カラー、白い、こうまっすぐなあ」

ふらりと天井に向かって伸びた手が、やがてぱたりと微かな音とともに布団の上に落ちた。

■■■

「カラーね」
もう、10年以上も前の話だ。今頃何故思い出したのか、と山口は、苦笑を浮かべながらかむった帽子の鍔をぎゅっと下に引き寄せた。
あの話の後、今日、初めてこの花を見たわけじゃない。
むしろ、とこりこりと顳かみを掻きながら、その花を見下ろす。

そう、確か、あの翌日、実家近くの花屋に探しにいった記憶があるぐらいだ。あの時は、何故か、いらつきを隠せず、花を確認できるぐらいの距離から、確かめただけだったけれど。
ただ、視界に写ったその真っすぐに天を向く姿は、光を抱きしめようとしているかのようで、城島の言う「凛」の意味はよくわからなかったけれど、なんとなく納得した事を覚えている。

今、ステンレスのバケツに無造作なまでに詰め込まれながらも、真っすぐに天を向き咲き誇るように目の前の花の色は白ではない。赤、オレンジ、青、色とりどりの美しさを放っている。
しかも、と山口はその仏炎苞の根元からすっきりと伸びた茎の太さに、はぁと小さなため息をつく。
「すっげぇたくましい花じゃん」

「お伺いしましょうか?」
動く事なくカラーを見続ける山口の姿に、気づいたらしい店員が店の奥から顔を出す。
「え〜と、カラーを10本程」
プレゼントですか?そう向けられた笑みに、微かに頷いて。

守る者ができたら、あの時、まだ、力のない自分たちの手を恥じるようにあの人は呟いた。

お待たせしました、そう差し出されたオーガンジーの柔らかな茶色いリボンで束ねられたそれを受け取り、山口は、なんだ、と小さく呟いた。

柔らかに揺れるその強さは、女性特有のものではなく、生きるすべてから迸るエネルギー。

そして、その強さをあの人は、あの時、確かに持っていたのだ。
行き場を見つけられず、天を向かうことができず、ただ、大地を這い、届く事が叶わないように見えた透き通る青空への果てしない憧憬を求めてはいたかもしれないけれど。

凛とした潔さを誇るこの花を、あの人に届けよう。

山口は腕の中のそれを揺するように抱き直し、口角をゆっくりと綻ばせた。

「ま、どんなに飾っても結局はサトイモ科だしな」

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