TOKIO

背中合わせの存在意義

-->

幼い頃、母と父が離婚した。父親は家を出て行った次の日、3歳まで生まれ育った町を後にした。
それが最初。
母の仕事が変わる度、住まいが変わる。
それは小さな扉を開けるだけで、くるくる変わる世界のように目紛しく、息をつくほどの時間もなかったけれど。ああ、それが忙しいなどと思うような余裕すらなかったような気がする。
そんな中、当然のように幼稚園に通う事などできるはずもなくて、母の仕事先の事務所の片隅に膝を抱えてちょこんと座り、母親の帰りをひたすら待っていた。そんな僕を自分の暇にあかせて好きに構ったり、邪魔にする大人たちの間で、5歳にして人の顔色を伺うということを覚えた。

 

それからほんの少し成長して、義務教育という日本の法律上、通わざるを得なかった小学校は、毎年、違う学校を転々とした。

おはよう、と、朝、いつもと変わらぬ笑顔で挨拶を交わし、ばいばい と手を振って、そしておしまい。
でも、僕がいなくなったからといって、次の日も、皆は変わらない笑顔で挨拶をして、いつもと変わる事ない日々を過ごすのだ。

中学校になって、流石にこれではいけないと思ったのか、漸く腰を落ち着けて仕事をせなあかんな と母が言い出し、奈良にある病院で勤めだした。
母は、当然、看護婦ではなかったけれど、それでも勤務時間が不規則な生活になり、朝、僕が起きる頃に眠り、僕が学校から帰ってくる頃には、誰もいない部屋が待っているという日々が続いた。
それでも、僕は母が大好きだったし、その生活になんの不満があっただろうか。時折、ごめんなあ と眉をへしょりと歪めて情けなさそうに笑う母に、この頃には随分と創るのがうまくなった笑顔で、全然大丈夫やで と笑ってみせた。

高校のとき、ふと見た番組の中、踊っていた人たちの無表情さと、それに反するようにとても綺麗につくられた笑顔を見て、ああ、自分もこんな風に笑えるようになりたいと思ったのだ。

 

けどな、時折、思ったんやけどなあ、と膝を抱えて城島は小さく笑った。

テレビの中で、笑顔をつくって、ステージの上で、とてとてと踊って、時折許されたように、ギターを掻きならす。
それだけ と。
好きな相手もおらず、ただ、今の自分を一所懸命生きて行くだけなのだ。
CDも売れず、出てる番組も、必死で羽撃いてはいるけれど今ひとつ鳴かず飛ばずの低空飛行の毎日で。
何をやっても上手くいかんで、自分よりも、ずっとずっと物事を上手くこなす人間はたくさん居て、なんや、おってもおらんでもええような気分になってくる。
なんで、僕、ここにおるんやろうなあ。
誰も、ここにおることなんて望んでへんやろうに。
それでも、「シゲちゃん、●●に出るんやろ、お母ちゃん、ちゃんと録って見とうからな」そう、もう、10年も使い続けている古いビデオデッキにテープをがこんと差し込む音をさせながら、電話の向こうから聞こえる嬉しげな声に、うん、おおきにな と答える声は震えていて、情けない事に泣きそうなほど嬉しくなるのだ。
けどなあ。
今はいい、そう思う。
僕、ここにおってええん? そう聞いたら、あたりまえやん おらんようになったら困るわ そう笑ってくれる母が居る。
でも、いつか。
考えるだけでも、恐ろしいけれど、その母が居なくなったら、自分はどうなるのだろう。

テレビの画面の端から、「城島 茂」という顔と名前が消えても誰も困りはしないし、気づきもしない。そう、「ばいばい」そういって、次の日から学校に行く事のなくなった僕に、誰も気づくことなく、昨日と同じ学校生活が始まるように。

いても居なくても同じ。むしろ、役立たずだからいらないと思われているのかもしれない。

そしたら、もう、居なくなっても良いのかな そう、ずっと思っていたのだ。

 

 

ばっかじゃね そう、頭上から不意に降ってきた言葉に、ひょいと顔を上げると、そこには見慣れた三白眼をぎりぎりとつり上げた、可愛らしいと表現せざるをえない見慣れた顔が睨みつけていた。
「あんたら、何?Jr辞める相談?」
城島と坂本、jrの中、最年長にあたる二人が国分のその唐突な台詞にきょとんとした表情で顔を見合わせた。
「何言うねん」
というか、いつからおんねや、こいつ。と、城島は、ほんの5分前までは、傍らで茶を飲んでる坂本の他には、確かに誰もいなかったはずの時間はずれの食堂の片隅で、ほんの僅か尖った声を出した。
「大体さ、いい大人二人でさ、昼間っから、んなとこで、ブツブツ言いながらのんびりお茶飲んでる姿ってさあ、情けないっつうの」
つか、キモイ?そういうと、近くのコンビにの袋からがさりとペットボトルを取り出して、ぷしりとねじ切る。
「ほっとけ」
良い成人した大人が、こんなところでお茶をしている理由など至極簡単だ、情けないかな、仕事がなくて暇 という一言につきるのだ。まあ、だからこそ、先刻から額を付き合わせて、自分たちの将来を悲観し、語り合っていたのだ。一度事務所を辞めた事のある経歴の持ち主と、本気で事務所を辞めようとして、友人に泣かれたことのある城島というJrにして成人を越えてしまった微妙な立ち居ちの存在として。
「自分はどないしたんよ」
「おれ?」
ドラマの撮りが終わったからね、帰ってきたとこ とさらりと返されるのは憎たらしいまでの笑顔。
「ま、この世界からクローズアウトしたいなら勝手すればいいけどね」
俺はなんとも思わねぇけどさ、一応バンドのリーダーっしょ、代わりのギタリスト見つけてからにしてよね、そうひらひらと手を振って、視界からフェードアウトしていく小さな背を苦々しく睨みつけて、それから誰もいなくなった空間から、傍らでのんびりと茶を啜る一つ違いの友人に、苦笑を浮かべてみせた。
「良かったじゃん。茂くん」
「ん?」
「ギタリスト、そう簡単にみつかんないでしょ?」
そう、城島よりもほんの少し高い位置で、事務所はさておき、あいつらにとって、茂くん必要なんじゃん そうしたり顔で頷いた、友人の言葉に、城島はきょとんと見開いた眼を一つ瞬いた。

──── *─*─* ────

ぱたん、静かにしまった扉の向こう側の背に、深く垂れていた頭をゆっくりと起こして、城島はこりりと米神を掻いた。
「すまんかったな」
「なんで貴方が謝んのさ」
へたりと力が抜けたように、凭れたパイプ椅子がきしりと悲鳴を上げる。
「やってなあ、僕の力が足りんばっかりに」
そう、忌々しげに見上げるのは、ホワイトボードに貼られたオリコンチャートの折れ線グラフ。
「貴方だけの所為じゃないよ」
せやけどなあ、やっぱり、と項垂れる城島の背に回された手はそのままに、ぎゅっと肩口に押し付けられた額に、こつりと傾いだ頭があたった。
デビュー自体は、華々しかったのだ。
武道館で会見を開き、紅白最速のデビュー3ヶ月でのスピード出演。デビューCDの売り上げも、なかなか良かった。
だが、人生そんなに甘くないよ と言わんばかりに、その後目の前につきつけられたのは、鳴かず飛ばすの現状。
最も、この事務所から、大々的にデビューをしたグループは、それなりに売れるのが通説だ。(下積時代は甘くないけれど)
なのに、自分たちは、と空気のような声を零し、
「ごめんな、山口」
自分に凭れたままの山口の背に、腕を回し、ぽんぽんとその肩を叩いた。
「太一もごめんな」
苦労ばっかりやな と少し離れた席にちょこんと腰掛けたもう一人のメンバーを振り返った。
「あんた馬鹿か?」
まだ、学生である松岡と長瀬の姿はここにはない。
「何やねんな」
申し訳無さげに眉を顰めて、殊勝な口調で謝った城島に、ぱしりと叩くように返されたのは、眦をぎりっとあげた三白眼。
「先刻から、黙って聞いてたらさ」
ぐいと顎をしゃくって、腕を組むと、国分はぐいと胸を反らした。
「力不足だの、俺が悪いだの、胸糞悪いったらありゃしない」
「どういう意味やねん」
ばん、と薄い天板の長机をはたくと、椅子を蹴倒すように城島が立ち上がった。
「まんまの意味に決まってるじゃん」
「おい、太一」
慌てたような山口の声にも、国分は、山口君は黙っててよ とぎっと一瞬睨みつけると、その強い視線をまっすぐに城島にぶつけた。
「さっき、山口君、言わなかったっけ?あんたの所為じゃないって、」
「言うたで、言うたけど」
そんなん、と口ごもった城島に、今度は国分がばんと机の薄い天板をばしりと叩き付ける。
「言っとくけど、TOKIOはアンタ一人のバンドじゃないんだからな」
「当たり前やろ」
「だったらさ、普通考えたらわかるだろ」
「何がや」
「アンタのギターだけで俺らの音が成り立ってるんじゃないってことぐらい」
その言葉に、城島は、けど、と口元を歪めた。
「それとも何?アンタ、俺らの人生全部ひっかぶってそこに立ってるわけだ、随分おえらいんだな」
「太一、お前言い過ぎだぞ」
「言っとくけどさ、アンタが、どう思ってようと、 俺は、アンタにおんぶにだっこで食べさせてもらってるなんて、これっぽっちも思ってねぇからな」
俺は、俺の意思でここに居るんだ 、思い上がんのもいい加減にしろよな だん そうもう一度机を叩き付けると、足音も高く国分が出て行った扉を、城島は、あっけにとられた表情のまま見送って
「思い上がっとうんやろか」
僕、そうぽつりと落ちた言葉に、山口は、あいつも素直じゃないからさ と苦笑まじりの声で小さく応えた。

 

──── *─*─* ────

 

ふわあと小さな欠伸を一つして、手になじんだブラシをこんと鏡台の前に置く。
番組撮りが始まる前の僅かなひと時。
傍らで、無為に流れているテレビ画面には、今年で12年目になるCMの映像が流れて行く。しかし、と顎を指でなぞりながら、その景色にため息をつく。
四十路近くの男が、コスプレ紛いの、しかも、蚊になって地面に転がってもだえている映像。
情けないというか笑えるというか、まあ、これが自分の選んだスタンスなのだから仕方がないという諦めるべきか。

はぁ、そうもう一度ため息を城島がついたとき、ぱたんと言う扉の音に、ふと振り返った。
「おはよ、リーダー」
あんた一人? 傍らにショルダーを放り出しながら聞いてくるメンバーに、おはようさん、と口元を緩めるようにして笑う。
「長瀬は前の撮りが押しとうて連絡入っとうけどな」
ていうか、メンバー一忙しい男が2番目やて 珍しいなあ と呵々と笑ってやると、それ、嫌み? と最近長瀬よりも遅れ気味になりつつある国分がぎろりと三白眼をつり上げた。
「いやいや、仕事がある事はええことやからな」
目指せ帯番組やろ そう、くくくっと喉の奥で、笑いながら、3つ離れた席に腰を下ろした国分に、ポットを引き寄せて緑茶を入れる。
「あんたは?」
「ん~。今日はこれだけや」
ふ~ん、城島の言葉にそう返すと、ありがと と湯気の立ち上るそれに唇を寄せた。
とたんにぶぶっとそれを吹き出した。
「なんや、まずかったんか?」
差し出された布巾を受け取る事もせず、目の前の画面をぴっと指差す。
「これこの番組でもオンエア?」
「みたいやね」
「最近、仕事まじ選ばないね」
アンタさ と三日月のように眼を細め、口角をきゅっと緩めると、目の前で揺れる赤いフレアーとさわやかすぎる笑顔に苦笑を零す。
「選んでへん 言うよりは、ずっと続いとうCMが変化してきた言うか」
なあ、と同意を求めても、傍らの男は、冷ややかなまでに呆れたような視線を向けるだけだ。
「そういう要素がリーダーの中で開花したってことなんじゃねぇの?」
「なんでやねんな」
「言っとくけど、アンタがどういう道を進もうと勝手だけどさ。俺、現役のアイドルだからね」
一緒にしないでよ そうぴしりと言うと、目の前に置かれた菓子鉢をばかりと開き、ばりりと噛み砕くのは醤油味の海苔煎餅。
そのどこか突き放したような口調に、城島はくすくすと笑いながら、自分もゆっくりと菓子鉢に手を伸ばした。

その間に、CMが終わり、テレビの中で始まるのは、再放送らしい2時間ドラマの後半部分。前半で犠牲になった俳優のお葬式の場面らしく、画面を彩るのは、静かに響く木魚の音とモノトーンの鯨幕。

それをぼんやりと見ながら、なあ、と城島は、独り言のようにぽそりと小さく呟いた。
「死に際に、誰か一人でも本気で泣いてくれたら、その人の人生は幸せやったんやて」
そう聞いた時なあ、そんな人できるまで、死なれんかなて思うたわ、と頬杖をついてほんの少し上目遣いに見上げてくる城島に、国分はこともなげに答えた。
「何だ、じゃあ、問題ないじゃん」
あんたいつでも、安心して死ねるんじゃない。返事を期待してたわけではなかったものの、あまりの応えに城島はむうと口元を歪めた。
「なんでぇよ」
「だってさ、今だってアンタ死んだら、泣く人間少なくとも4人はいるっしょ」
泣くを通り過ぎて号泣かな と、延々と続くお葬式の映像に、既に興味なくなったのか、それに背を向けると、誰かの忘れ物らしい雑誌に手を伸ばす。
「4人て」
誰や と一瞬聞きそうになったものの、じろりと座ったような視線を向けられ、摘まれたように唇を尖らせると城島はきゅっと鼻先に皺を寄せた。
「山口君」
そういって指をぴっとたてる国分に、まあ、確かに泣いてくれるやろけどその前に怒鳴られそうやなあ とこりと米神を掻く。
「松岡」
「人一倍、優しい子ぉやからなあ、で、3人目は誰や?」
「長瀬」
当然じゃね、と答えると
「泣いてくれるやろか?」
あの子最近冷たいで と城島が情けなさそうに笑った。
「心配ないんじゃないの?」
アンタが誰か違う人と結婚して盗られてしまうのが嫌だって、ラジオで言うぐらいなんだからさ と、きひひと笑ってみせる国分に、ほんまか?と嬉しげに瞬いた眼に、けっと返ってくのは呆れたような冷たい反応。
「そしたら4人目は、自分か?」
泣いてくれるん? そう伺うように問うてみれば、バカも休み休み言ってよね と嘲笑が返される。
「なんで、俺がアンタの為に泣くんだよ、冗談でしょ」
むっちゃんに決まってるだろ と投げつけるような国分の口調に、ほんの少しだけ寂しそうな表情になり、おかんはなあ、でも逆縁だけはしとうないからな と情けなさそうに小さく笑った。
「まあ、一人でも幸せやねんから、おかん抜いても、三人も泣いてくれたら、すごい幸せや言う事やな」
「そういう事だね」
テレビの中で流れているドラマは、ミステリものらしく、犯人を、東尋坊の崖際まで追いつめたところしい。
それにちらりと視線をくれると、国分は、はらりと手元の雑誌のページを捲った。

かつては、二人だけでいることすら苦痛だったはずの相手。
今も、変わらず城島のために泣く事などまっぴらごめんと事も無げに笑い飛ばす国分。
だが、今、二人の間に流れているのは、たゆる水よりも緩やかな時間。

「でもさ、だからって死に急ぐ事もないんじゃないの?」
60歳になっても、70歳になってもTOKIOなんでしょ アンタ とへらりと次のページを捲る。読んでいるというよりは、眺めているらしいそのスピードに、横からなんとなく眺めていた城島はページの中身を追いかけられず、覗き込むのを辞めて、再びドラマの画面へと視線を戻した。
「それはそうやねんけどな」
すでにエンドロールが終わろうとしている画面に、あ~あと小さくため息をついて、城島は大きな伸びを一つする。
「言っとくけど、俺、まだ、アンタのためになんて泣いてやるつもりなんてこれっぽっちもないからね」

今ならわかる。
引っ越しと転校ばかりで居場所すらも見つけられなかった幼い頃、自分は呼吸をできる場所をずっと探していたように思う。この世界に足を踏み入れた時も、我武者らに頑張って自分の存在をひたすらアピールして、僕はここにいるよ 誰か気づいてとただ必死で伝えようとしていたのだ。情けない事に、ずっとそれは空回りだったけれど。
そうする事でしか、自分を表せなかった幼すぎる自分は、ただ、誰かにここに居て良いのだと、言って欲しかったのだ。

代わりの居ないギタリスト ね と喉の奥で微かに呟く。

「素直やないんは、お互い様やね」

まっすぐな言葉で伝えられる事のない、だが、同時に、確かに城島という存在を認めている言葉で。

「なんか言った?」
ぱりんと煎餅を割りながら、向けられるのは、ほんの僅か赤くなった鼻先とすがめたような眼差し。

「ん、僕が死ぬときには、誰よりも一番に太一に泣いてもらわんとあかんからな」
まだ、当分は、死ねんと思うただけや、そうきゅっと眉月よりも細めた柔らかな笑みに、じゃあ、永遠に生きてなよ と国分もまた、その大きな眼をきゅっと細めて、小さく笑った。

Category

Story

サークル・書き手