澄み渡る空
鼻腔をくすぐる潮の匂い
あぁ と聞こえる海鳥の鳴き声に瞼を伏せる。
小さく溢れる笑みが刻み込む皺も確かな年月を持って深い年月を描き出す。
7年半だ。
リズム隊と呼ばれる車好きの二人が始めた「ソーラーカー」を作るという企画から生まれた、壮大なチャレンジ。
7年前は、こんなにも潮の香りが身近なものになるなど思いもしなかったのに。
「何?思い出し笑い」
とんと軽く肩を叩くとそのまま、右肩に掛かった重みに、やめぇよ とくすくす笑う。
「思い出しぃ 言うのはおうとうけどなあ」
なんかなあ と薄くけぶるように細められた琥珀の虹彩に写り込むのは、どこか薄汚れた感の拭いきれぬ一台の古びたワゴン車だ。
「終わっちまうんだよなあ」
その視線を辿るように、山口もまた、やけに大きな板を積んだ不格好なそれを見上げる。
日本最南端の島々を巡り、今、再び、荷物としてクレーンに積み上げられて行く軽自動車は、海風に揺れ、どこか頼りな気でさえあった。
だが
「台風ん中も北海道の雪の中も一緒に走ったんやもんなあ」
「俺、5年以上乗った車なんて久しぶりだよな」
デビューも危ぶまれていたJr時代ならいざ知らず と小さく笑う。
相模オートオークションで落札した時は、チンケな車だよな と思った。私生活では決して乗る事等ないタイプの車だ。
「こんなに手のかかった奴も始めてだったけどさ」
「せやなあ」
なのに、と苦笑を零す。
同時に、あたりまえかあ と眼を細めた。この手で一つ一つパーツを外し、新たな夢を預けるようにして新しい部品を手や顔を文字通り黒く染めながら組み込んで行ったのだ。
「企画なんだからさ、終わっちまうのは仕方がないけど」
でもなあ、とがりりと髪を書き上げ、なんかやりきれねぇの と、そのままとんと城島の肩口に額をぶつけた。
「本当にハワイかどっかで企画続けらんねぇのかなあ」
島を巡り、ずるずると観光をして、一日に走る距離を短くしても、そこにゴールが有る限り、必ず近づく終わりは、もう、目の前に迫っている。
「ゴールしたらこいつどうなっちまうのかなあ」
だん吉は、軽自動車としての寿命は十分全うしているのだ。企画が終われば、廃棄処分を免れないかもしれない。
「仕方がないけど」
そう、同じ言葉を繰り返すと山口は、あぁーと呻いた。
「こいつも、僕らと一緒やね」
「シゲ?」
「ん?」
そう小さく頷くと、城島は山口の頬を押しのけ軽く伸びをした。
「夢と現実の狭間で生きとう」
え?と小首を傾ぐようにして、見上げて来る男に城島は、くっと口角をあげるようにして笑う。
「言うてみたら、こいつは、番組だけの為の存在や」
「まあね」
その為に作られた車だ。作る過程も、番組の一つだった。
「その中で、太陽の光だけで、日本一周するという夢を僕らに見せてくれた」
「そだね」
番組の中の企画だからこそ実現した夢だ。
「僕らかて、そやで」
こうやって、触れるし、物食うし、普通に生きとうけど と空を見上げる。
「僕らが生きとう空間は、テレビいう、夢の世界や」
誰かが見る夢のようなものだ。
「なあ」
一つの企画としては破格に長い「ソーラーカー日本一周」。
「こいつは車としての普通の生活してへんかったけど、小さい躯で、僕らに見せてくれたんは、地球規模の大きな夢やで」
なんて言うても、究極のエコカーの先取りやねんからな。
こいつが日本中のお茶の間に見せてくれた夢は、果てしなく広がり、いつか、全ての人に忘れ去られても、その夢の欠片は、心に襞の中に生き続け、新たな夢の始まりになるのだ。だから、と溢れる笑みはやんわりと降り注ぐ日射しのように柔らかい。
「僕らもだん吉みたいに、たくさんの人に夢見せれたらええのにな」
空に向かって伸ばした手のひらの上に、ふらふらと揺れるだん吉が乗り、帯びる光の渦に瞬きをする。
「だね」
こいつが、自分たちに見せてくれた夢のように、未来を見つめる誰かの心に、硝子の欠片のように小さくても目映い光を失わぬ、そんな夢になりたいと。
眼を細めた城島に山口も、そうだね、ともう一度深く頷いた。
「ラスト1回、最後の夢を走りきりますかあ」
そう、ラスト一回。だが、だん吉が紡いだ夢に、終わりはない。それは確実に未来への標として、新たなる夢を描き続けて行くのだ。