Jyoshima & Yamaguchi

君は頑張ってるよ

-->
いつだって仕事というものは大変だ。
たとえ、それがベテランと呼ばれる域に達しようとも同じことだ。
自分は一所懸命しているつもりであっても、数字がなんぼのこの世界。過程が一向に伴わない結果の現実に、周囲の視線が冷たく刺さるのは当然のこと。ましてや、と小さな溜め息が、ほうとひんやりとした空気を怯えるように震わせる。
まだ、母という絶対的庇護者の手の中で体を丸め、ぬくぬくとした温もりに揺られていた頃、道端で転んで怪我をしても、お母ちゃん と鼻をぐずりと啜りながら、ぴうと吹きすさぶ木枯らしよりも痛い世界の全てに背中を向けて柔らかな眼のその人を見上げれば、恐いものなどすぐさま向うのお山まで飛んでいってしまったんやけどな そう小さく呟くと、とん と薄い壁に背中を預け、小さなベンチに膝を抱え込むようにして座り込んだ。
でも、だって。
そんな言い訳すら許される間もなく、ただ、目の前に出されたものをただ我武者らにこなしているだけで過ぎていく日々。
そこそこに名も顔も売れて、年に一度のライブをやって、CDを出せばオリコン上位の常連で。
星の数ほど生まれる芸能人と同じだけ、密やかに消えていく人々のことを考えれば成功はしているのだと思う。
でも、ピンの仕事が次々と入るT O K I Oのメンバー達。薄い背を軽く追い越すように、どんどんと売れていく後輩たち。
ぼんやりと立ち止まり、後ろを振り返る間もなく追い立てられていく現実に、時折、どうして良いかわからなくなるのだ。
ほら、こんな風に。
何もできない自分という個に気が付いて、吐き気がする。
ただ、意味もなく、きゅうと締め付けられる胸の奥にあるのは、きりきりとした痛みと引っかかるようなもどかしさ。
胸元に皺を刻むように握りしめた右の手に、左の手を重ねて、ずるりと己の足の間に顔を埋める。
ここにいることすら疎ましく、己の存在がとてもちっぽけに感じるこの瞬間。
「シゲ」
誰もおらぬはずのビルの屋上に不意に響いた声に、城島は詰めていた息を勢い良く吐き出すと、はっと浅い呼吸を繰り返した。
「やま」
突然、戻ってきた極彩色の現実の色についていけぬかのように何度か瞬きを繰り返しながらも、ぎしりと悲鳴を上げそうな首だけを回して、自分を呼び戻した男の姿を色の淡い虹彩にうすらと映し込んだ。
「今日、打ち合わせでさ、ここ来てたの」
貴方がいるって聞いたから、上がってきた、と事も無げに向けられた笑みに、城島は抱え込むようにしていた両足をいっそう深く引き寄せると、わずかにかぶりを振りながらも、唇にうっすらと微笑に似たものを浮かべた。
「いい天気だよね」
そんな城島の仕草にも気付かぬ振りで、山口はすとんとその隣に腰を下ろした。
胎児のように両足を抱えた姿は全てに脅えた子供のようで。
「明日のロケ、晴れると良いよね」
傍らで、せやね、とそれでも微かな音を発した城島に、山口は口角をわずかに緩ませた。
前の仕事が押したのだ と聞いた。自分が望まなくとも関わらず時間は過ぎていくのはこの業界では当然のこと。でも、恐らくは、それが発端だったんだろうとは思う。
「いいね、笑ってりゃそれで許されるアイドルは」
「そうそう、それで全てが許されるんだもんな」
次の仕事に行くために、撮りが終わると早々にスタジオを後にするその背に、かすかに届いた雑言にも、城島は笑顔を絶やすことなくその場を後にしたのだとマネに聞いた。
今までの、何度となく聞いてきた言葉。
楽器できなくてもバンドなんだ?ミスタッチしても、いいよね、笑ってごめんで許されるんだから。
降り積もる言葉は、小さな悪意と嫉妬の刺に包まれて、気付かぬうちに見えない傷を無数に負うた白い心は行き場を無くし、いつもは飄々とした面持ちで、全てを風と聞き流すくせに、時折、この人はこんな風に自らを追い込んでしまうのだ。
「は、はひ?」
突然、ぷにっと摘まれた両頬に、俯きがちだった顔が勢い良く上げられて、僅かに潤んだ大きな瞳がぐりんと光を映すかのように瞬いた。
「ほら、笑え」
「いたいて」
なあ、と自分の頬をさらに強く抓る手首を押さえるように両手をかけると、その力はあっけなく抜けていき、そこに残るは離れることなく与えられる無償の温もり。
「笑ってなんぼのアイドルでしょ」
その言葉にびくりと震えたことを手首に触れたそれが直接山口に教えてくる。
「やって」
「いいじゃん、何言われたって」
「けどな」
笑っていればそれですむ?冗談じゃない。
歌が下手でも全然OKのアイドル全盛期じゃあるまいし。むしろ、デビューすれば売れる時流など遥か昔のバブル期のこと。
「良くも悪くもJ事務所に在籍してんだよ。そんな俺らが万人に受け入れられるわけないじゃん」
そう、事務所に力があればあるほど、周囲への圧力は自然に増え、それを受け止める人々との間に生まれる軋轢は、自然、力のない者へと向けられるのだ。
「わかっとう、わかっとうけど」
でも と唇を噛み締めるように言い淀むその額に自分のそれを押し付けて。
「それに俺は知ってるもの」
「山口?」
今にも泣きそうに歪んだ眦を親指の腹がするりと撫でて、貴方が頑張ってるの と事もなげに続いた言葉に、城島はきょとんとした表情ですぐ目の前に居る山口を見遣った。
「貴方の表面だけ見て笑ってる奴らに、いくら頑張ってるってポーズを見せても、誰もそんなの受け入れてくれないけどさ」
でも、と山口は、ふわりと微笑を浮かべた。
大丈夫、貴方は頑張ってるよ
とくん とくんと音がする。
ゆっくり流れる命の音。
両手両足を縮こめて、丸まる姿はシ(始)の形。
己を取り巻く全ての物から自分自身を切り離し、作り出すは己の繭。
でも、今、この手は大きく開かれて、この腕が感じているのは人の熱。
抱きしめられていた足は大地を踏んで、頑に瞑っていた眼は、眩い空を映し込む。
だから、自分は、大丈夫。
他の誰が知らなくても、ずっと見ててくれる人がいる。
モニターの中の『城 島 茂』ではなくて、必死で足掻く現実の城 島 茂をちゃんと見てくれる人がいるから。
だから、大丈夫。
自分は、まだ、頑張れる。
ゆっくりと、腹の底からの息を吐き出すように、ほうと大きくため息をつくと、城島は両掌で自分の頬をぽんと叩いた。
「今晩、メシ驕るわ」
そのままくるりと背を向けて立ち上がった城島に、山口は、いいねえ、とからりと笑った。
Category

Story

サークル・書き手