TOKIO

あの日、あの時、あの場所で

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いつも、この日になると思い出すことがあるのだ。
あの日、あの時、あの場所で
とても天気の良い日だったように思う。
四角いガラスに切り取られた深すぎる青空が見下ろしていたように覚えている。もしかしたら、それは後づけの記憶として、何かと混同してしまったのかもしれないけれど、それでも、今さらその日の天気をどうこう言ったとて大したことではないのだ。
ただ、ふと窓を見上げると、脳裏に蘇るそれが、あまりにも奇麗で、ほんの少し心臓の奥を手のひらで押し付けたように痛むだけの事。
あの日も、こうして、他愛もないテレビ番組を見るともなしに見ているような、なんでもない日常の一日だったのだ。
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「こないなとこにおったん?」
膝を大きく伸ばして、両手を広げるようにして寝転がる場所は、小さなマンションの踊り場だ。といっても、この上にあるのは、誰も住うことのない屋上へ続く重たい扉と、埃のかぶった掃除用具。いったい何のためにあるのかと、思わないでもないが、以前は使われてたんちゃうの?えらう年季入ってるし、と以前、小首を傾げた山口に、わざわざ調べに上がったのは我等がバンドTO KI Oギタリストであり、相棒でもある城島茂だ。最もその頃はまだ、メンバーが二人しかいないという状況で、バンドというにはあまりにも烏滸がましい存在ではあったのだけれども。
「ん〜?定位置っつっちゃ、定位置でしょ」
「ベースもっとらんやん」
そう言って笑う城島の手にも、いつもの彼の愛器の姿はなく、変わりにあるのは、
「ほれ、差し入れ」
「まだ、昼間だよ」
「まあ、今日だけな」
特別特別と苦笑まじりに、山口の傍らに座り込むと、さっさと一人でプルトップを開けてにんまりと笑う。そのどこか子供のような邪気のなさに、つられるように口元を緩めると、山口もまた小さな手のひらサイズの缶ビールのプルトップをぷしりと引っ張りあけた。
「かんぱ〜い」
かしりという気の抜けたような音は、薄すぎるアルミのご愛嬌と溢れることもないそれに、とっとっととわざとらしく唇を寄せるその横顔に笑みを見せて、そういえば、なんでグラスを合わせる時、乾杯っていうんだろうな と小首を傾げた。尤も、今日に限っていえば、『乾杯』という言葉には深すぎる意味があるので、その言葉が音になることはなかったけれど。
「むっちゃんに連絡した?」
埃臭い階段に並んで座って、同じようにへこりと情けない音をたてながら、缶ビールを傾ける。その仕草が同時だったのがなんだかおかしくて、くっくと笑いながら問いかければ、何笑てんの?と返ってくるのは訝しげな声と剥れた横顔。別にぃ と軽く伸びた語尾に、なんやねんな とごちる声に、怒りはない。
「今頃、仕事中やからな、留守録に入れといた」
「ひっでぇ〜、あなたさあ、そんな重要なこと、留守録ですまそうっての?」
「ちゃうわ、ちゃうけどな」
はよ、言いたかってん、そうほんのりと薄紅になった頬を隠すこともない照れたような面持ちの城島に、山口は、そうだよね と眦を綻ばす。
「そういう自分はどないなんよ」
家族に連絡したんか? と問うてくる城島に
「まあね、でも弟しかいなかったからさ」
伝言伝言、と、くっと缶を傾ければ、あっという間に半分が喉の奥に消えていく。
「なんかさ、不思議だよね」
「ん〜?」
長かったのにさ と顔を上げれば、目に飛び込んでくるのは遥か高い位置に作られた小さな窓から落ちる青い光。
「決まった って告げるのって、ほんの一瞬で終わっちまうんだもんな」
「せやね」
そう、感慨深げにこくりと頷く男と出会ったのは、もう、5年も前になるのだ。
「貴方とこうしてるってのも不思議なんだけどさ」
「なんでぇな」
だってさ、と山口は、へへんと鼻を鳴らした。
「貴方の第一印象って、あんまり良くないよ、俺」
「えぇ、そうなん」
がばり、そんな擬音語が似合うほどの勢いで振り返った城島に、山口は、ほんま、と少しへんな発音の関西弁で軽く唇をあげる。
「愛想悪い、随分すかしたやつだなって思ったからね」
その言葉に、きゅっと目を見開けば、大きすぎる光彩がくるりと光る。
「そんなん」
しゃあないやん、と消え入りそうな語尾は、山口にとってはもう随分と聞き慣れた柔らかい関西弁だ。だけど、この人がテレビの中で、西の方の言葉をしゃべっている姿はほとんど見たことがない。
標準語、苦手やねん 社長に引き合わされてから、何度目かの再会の時、ぽつりぽつりと交わしはじめた会話の中で、時折、歪に歪むイントネーションに小首を傾げれば、こりこりと鼻の頭を掻きながら、ぽつりと零れた関西弁。東京のジャニーズって格好ええやん。せやからなあ、ちょぉ、コンプレックスなんよ とばつが悪げに視線を反らしたのは、目の前で同じような仕草をしてみせる男よりほんの少し幼い面立ちの彼。
まだ、過去を振り返り、その生を懐かしむような年ではない。
だが、と山口は、傍らで空になった麦酒の缶を灰皿に、のんびりと煙草を燻らしはじめた横顔にちらりと視線を流した。
始めから全てにいて打ち解けたわけではない。生来の潔癖性を持つこの人と、三人兄弟の真ん中で雑に育った自分とでは、ずいぶんと考え方にはずれがあったから。
それでも、時には冗談や嘘に紛れた本音もあったけれど、何度となく訪れた別離の危機を乗り切り、人の生涯にとって瞬きをする間のような時間でも、10代にとっての5年という年月は驚くほどに長い時間を経て、自分達は、今ここにいるのだ。
「ねぇ、今晩あいつら誘って飲みいく?」
前祝い、と両足を踊り場に投げ出すと、背中にいくつもの階段の角を感じながらも大の字に寝っ転がった山口がにまりと口角を緩めた。
「まだ、知らないんでしょ?」
「まあな、事務所的には明日が正式発表らしいからな」
喜ぶだろうなあ と素直に頬を綻ばしたまま山口は両手を天に向かって突き上げたが、先んじて社長から内々に話をされた城島は、でもな、と顔を顰めた。
「何?」
「飲みには行かんよ」
「え〜、なんでよ、俺ら皆で祝わないで、誰が祝うっつうのよ」
思わず、だんと両手を階段について上肢を起こした山口の光彩に映ったのは、苦笑にも似た笑みを浮かべた城島の横顔だった。
「茂君」
「デビューする言うことは、僕らの行動に縛りが出るいうことやねんで」
「縛りって、あなた、今までだってそんなの」
あれはするな、これは問題と自分達の世代が、自然に自由に行動する事を片端から制限されてたじゃん と山口は唇を尖らせるように、頬を窄める。
「あぁ、せや、事務所のお小言は今までと変わらんやろ、せやけどな、テレビで大々的に顔が売れる言うんは、横を通り過ぎる、僕らの見知らぬ相手さえもが、この顔を知っとうかもしれんいうことや」
「テレビって今までだって出てたでしょ」
特に貴方は と不満げな言葉に、せやねぇ と独り言のように呟くとつるりと自分の頬を撫で、
「けど、今までは、ただの『城 島 茂』でしかあらへんかったんよ。でも、今度からはちゃうやろ?」
TO KI Oの『城 島 茂』や と城島は小さく笑った。
「ト キ オの?」
鸚鵡のように繰り返されたその意味の重さに、その時、自分は気が付いていただろうか。
「自分だけの責任やない。バンドでデビュー、バンドに限らんな。グループでデビューする言うことはそう言うことや。自分だけやない重さ、メンバーっちゅう錘りを持って、デビューする言うことやねんで」
「錘りって」
「自分が何か事を起こしたら、メンバー全ての責任やし、メンバーの誰かが問題を起こしたら、当然それは、自分や、僕にも降り掛かってくる」
「でもさ、それと前祝いと関係ないんじゃないの」
あんなあ、と山口の台詞に城島が、軽く小首を傾げてを深く滲ませながら言葉を綴る。
「あの子らは、まだ、未成年やねんで」
「未成年って、太一は」
「確かにデビューの日には二十歳過ぎとうはな、でも、今は、まだ、十九歳や」
仮令デビューの日が決まったとしても、自分達など、何の力も持たぬ、いわば吹けば飛ぶ、木の葉のような存在だ。事務所という大樹の枝先にあるからこそ、芸能人と認識され、なんとか生きてるのだ と。
「いつ、デビューを取り消されてもおかしないやろ?」
それまでは、どんなに小さな事柄も起こしてはならない。力のある事務所であるからこそ、自分達を葬ることはいとも容易く、デビューを夢見る時間が長かったからこそ、自分達はその現実を嫌というほどこの目に、脳裏に刻み付けてきた。その言葉に、そっか、と山口は小さく頷いた。だが、
「あいつら、納得すっかな?」
昨日までの自分達を振り返り、がりがりと髪をかき混ぜた。果たして、自分達が彼等にそんな道理めいた言葉を説くことができる立場なのだろうかと。
「ええよ、合宿所では、たまには自分が飲ましたり」
「茂君?」
「全て急に縛り上げても、自分の言う通り、納得できんもんがあるやろ」
特に自分達は、早くから注目をされていた他のjrと違い、自由気ままにやってきた部分が少なくない。幼いメンバーたちもそれを当然と受け入れ、所属事務所の割には好き放題させてもらっていたから。
「それを一気に全て取り上げてしもうたら、あの子らの理不尽やていう思いの行き場があらへん」
「それを俺がするってことは、あなたどうすんの?」
ん? その言葉に答えようとせず、城島はふふっと小さく笑っただけだった。
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本当に莫迦な人だよな。
ごろんと寝っ転がった背にびたりとくっつくコンクリートの熱に、むぅと唇を歪めて、あじっとごちる。もう9月も半ばが過ぎたというのに、降り注ぐ陽光は、肌を焼くような呆れるような暑さだ。
目を庇うように上げた剥き出しの両腕の悲鳴に、山口はくすくすと笑う。
「なんや、こないなとこにおったん?」
不意に己の腕よりも高い位置から落ちてきた小さな影と聞き慣れた声に、山口は目をぱちくりと二三度またいた。
「シゲ」
ほれ、と声に促されるようにゆっくりと起き上がったところへ、へしょりと頬に押し付けられたのは、露をたっぷりと帯びた小さなコーヒー缶。
「麦酒じゃねぇの?」
「仕事中や」
そのまま踵を返すこともなく、傍らに座り込んだ城島が、物好きやなあ と容赦なく照りつける陽光に眉を潜めた。
「他の奴らは?」
「ん?下で地図片手に逃走経路を模索中や」
なんて言うても、相手は関西人やからなあ、土地勘あるやつも少なないやろ とさっさとプルトップを開けて、一人で缶の紅茶を傾ける。
「10年の時だっけ」
「それ以来やね、全員で京都に来るの」
「だね」
今日、来れるとは思ってなかったけどなあ と懐かしげに細められた眼差しに浮かんでいるのは、過去の自分達。
その瞳の色に山口は自然と口角が綻んでいく。
本当に、相も変わらず、莫迦がつくほどに優しすぎる人だ と。
あいつらの不満を全て自分一人で受け止めることを是としたこの人の思惑は、城島に心酔仕切っている松岡と年が離れて分可愛かった長瀬の存在に、それほどうまくは行かなかったようだったけれど。尤も、この人が一番気に掛けていたのは、まだ、年端もゆかぬメンバーでも、共に歩くことを当然と思っている山口でもなく。
「ありがとう て言われたわ」
「ん?」
喉を滑り落ちる冷たい感触に、は、っと息をつきながら山口は、城島を振り返った。
「誰に?」
「ん?太一?」
何故疑問系と笑う山口に城島が、何となく と小さく笑った。
「ねぇ、茂君」
「なんや?」
「屋上、登ってみようぜ」
空になった麦酒の缶を取り上げて、勢い良く立ち上がった山口を、不思議そうに見上げると
「せやね、行ってみよか」
屋上と階下に続く階段に挟まれた小さな踊り場が、金のない二人の練習場だった。
二人揃って、全身の力を掛けるようにして押し開いた扉の向こう側に広がった空の眩しさは、今でも忘れることなどできやしない。
あれから13年。
今、眼前に広がる世界は、あの時、二人で見下ろした街ではない。
でも、自分達は、今もこうして共に歩き続けている。
そして、1年後、5年後、10年後も、変わることなく共に青い空を見上げるのだ。
あの日、あの時、あの場所で、二人で無限の空を見上げたように。
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