かあ と啼く烏の声。
緩やかに暮れ行く秋の空。
見上げた視線に映り込む青に滲む薄い紅、淡い紫から深い瑠璃へと移ろいゆく様は、瞬きをする間にも刻々と姿を変えていく。だが、そんな情景もほんの束の間の儚い印象画。
秋の日暮れは釣瓶落としとは、よく言ったもので、時と共に降り積もる闇の気配に美しいまでの彩色は、然程の時を待つ事もなく深い瑠璃へと姿を変えるだろう。
もっとも、釣瓶落としなんて言葉はこの村に来るまで実感する事等皆無に等しく、『釣瓶』を実際に見たのもこのロケでの事なのだが。
お疲れさまでしたあ、村のあちこちから聞こえるスタッフのやけに明るい声に、山口はひょいと肩に脱いでいたチェックのシャツを羽織ると膝についた泥を叩いて立ち上がった。
本来ならばお疲れ様で途切れる事のできる農業なんてものはありはしないのだが、彼らにとってこれはあくまでも『仕事の一環』でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなく、村の仕事にだけ従事できる訳ではない。
現に今日とて、山口から遅れて村に入る事4時間、ひょいと顔を覗かせた我らがリーダーこと、城島 茂は、朝一番で別の取材が入っており、それを終えてからの村入りだった。
数少ない村民であるはずのほかのメンバーにいたっては、次に顔を出すのは稲刈りの日だろうか。それも全員揃ってできれば万々歳。予定していた日に雨でも降ろうものなら、メンバー全員が顔を揃える事は不可能に近い。
それでも時間が許されれば、どんなに僅かな時間でも と村に訪れる彼らを見れば、彼らもまたこの村での生活を楽しみにしているには違いないのだろうけれど。
如何せん、ちょっと苗の様子を見に来ました と言うには彼等のフィールドから村への行程はあまり遠すぎた。
「ほい、お疲れさん」
役場の前、山からの湧き水を引いた自然石を利用した水場で、茶色の髪をしっとりと濡らしながら顔を洗っていた城島が振り返るとほとりと綻ぶような笑顔で山口を迎えてくれる。
まあ、これも村に来たくなる理由の一つかもしれないな と少し軽くなった足取りに我ながら現金なものだと小さく笑う。
「貴方さあ、タオルぐらい用意しろよな」
すでにコンタクトは外してしまったのか、黒縁の眼鏡を傍らにおいたまま、濡れた手の行き先が見つからず途方に暮れている男にタオルを渡すと、山口もほとほとと白い飛沫を纏うように流れ続ける細い水源に手を突っ込んだ。
「ひゃ、つめて!!」
思わず、一歩後じさった山口の様に、城島がからからと声をたてて笑う。
「気持ちええやろ」
確かに火照った肌には気持ちが良いが、引き始めた汗に少し冷え始めていた体の芯にぶるりとした震えが走る。
「こんなとこにも季節の移ろい感じるわ」
そんな山口に気づきもせずに、使い終えたタオルをマフラーのように山口の首筋に回すと、すっかりと秋やねえ と目の前で細められる琥珀の瞳。
「な、なんだよ」
至近距離、あんなあ、と真っすぐに覗き込んでくる城島の仕草に、思わず一歩逃れるように仰け反ると山口は微妙に歪んだ口元を隠すようにタオルで覆う。
「そない逃げんでもええやん」
別に取って食うたりせんわ ぷくりと頬を膨らませて、剥れたように唇を尖らせるとふいと踵を返して。
そんな子供じみた仕草に山口は小さく溜め息をついた。
「別に、んなこと言ってないでしょ」
ちょっと焦っただけで とは声にならない山口の偽らざる心情だった。
日が暮れて、村のあちこちに灯された灯りのスイッチがオフになる頃、山羊達もおのおのの小屋に帰り、北登も耳を垂れるように犬小屋の前で四肢を突っ張るように伸びをする。
スタッフたちも村に残るメンバー以外は、早々にカメラをしまいマイクを直し、次々とバンに積み込んで行く。
画面に写る事はないが、実は誰よりも村を訪れているのではないか?そう訪ねたくなるマネージャーも、慣れた手つきで城島と山口の荷を確かめている。
当の山口は村でのユニフォームであるオーバーオールを脱ぎ、早々に私服に着替え終えて、手の中で電波の届かない山間部ではただの箱と化した携帯を暇そうにころりと転がしていた。
だが。
「シゲ、貴方、何してんのさ」
相変わらずオーバーオール姿にタオルの包頭をした城島が、水を汲んできたばかりのバケツを片手に土間に戻ってくる。
「ん?」
撮影中と違うと言えば、どこかのんびりとした表情の鼻の上、ちょこんと掛けられた眼鏡ぐらいだろうか。
「帰んないの?」
訝しげな面持ちの問いに返ってきたのはきょとんとした表情で。
「自分、帰んの?」
「え、だって、終わったし」
その返事にほんの少し不満げに眉を寄せると城島はふいと視線を反らしてしまう。
「自分、明日夕方からやろ、せやから、今日、飲まへんかって僕言わんかった?」
へ? その言葉に、涼し気な瞳を大きく見開いて、どこか寂しげな猫背を思わず見やる。
「ちょっと、待った、貴方いつそんな事言ったよ」
「いつて、先刻、水場で…」
ああ、と振り返った城島がばつ悪げに唇を尖らせた。
「言おう思うとったのに、自分が逃げたから言えんかったんや」
「って、俺が悪いの?」
「別にええやん。そんなこと。自分、帰るんやろ」
どっちでも関係ないやん と一言言いおいて、 とん と土間の壁沿いにバケツを置くとそのまま、三和土に靴を脱ぎ、薄暗い室内一番奥、以前、山口が作った段付箪笥の前に置いてあった紙袋を取り上げる。
「今年は自分、夏前から忙しかったし、やっと海水浴客がおらんようになってサーファー専用の海になったことやしな」
味も素っ気もないクラフトの紙袋の中から現れた奇麗な臙脂色の絹の風呂敷は、見たもの誰もが中身を想像できるような細長い形をしている。
「シゲさん?」
素焼きの小さな猪口を一つ紙袋の底から取り出して、瓶の首に当たるであろう場所を無造作掴んだ城島が、自分を呆然と見つめている山口を訝し気な表情で振返る。
「ほら、早よせんとマネ、外で待っとうんちゃうん?」
「シゲは?」
「僕?」
細められた眦が眉月よりも綺麗な弧を描き、福与かな唇がふうわりと微笑を形作る。
「ここで月見酒やねん」
はらりと落ちた風呂敷を拾う事もせず手の中に現れた浅い茶色の一升瓶に頬を擦り付けて、城島がにっこりと笑った。
りぃりぃと灯り一つない畠の方から聞える声は秋の虫。深い闇に静かに響く水の音。
背後から微かに零れるは障子の向うの薄明かり。
すっかりと秋めいた空気の満ちた縁側で、風呂上がりの心地よさに胡座をかいて伸びをする。
封を切ったばかりのはずがすでに半分は空になっている一升瓶と、その横にあるのは、城島が持って来た小さな猪口でちまちまと飲むのが鬱陶しいとばかりに準備された数倍は入ろうかという里山の竹を切って作った節の杯。
ぽてりとついた掌の横、小さな木の椀に盛り付けられているのは、村でとれた鮮やかな色の枝豆。たっぷりの湯で茹でて塩を振りかけただけのシンプルな一品。
並んでおかれた椀は、ついさっきまでほかほかと湯気のあがっていた真っ白なご飯の上に小さな柴栗が乗った栗ご飯。
「昼間、こそこそ林に入ってくから何してるのかと思ったけど」
午後、陽が沈むほんの少し前、ふらりと姿を消した城島の目的はこれだったのかと苦笑が浮かぶ。
「ねえ」
「ん?」
縁についた腕を支えに空を見上げる山口の傍ら、こちらはすでに腹這いの体勢のまま、片肘をついて小さな猪口を傾ける。
「なんで、枝豆な訳?」
かりりと白い歯が小気味良い音をたてるのは漬け物壷から失敬した大根の糠漬け。
「折角のポン酒じゃん、煮物とかさ」
残るなら風呂を沸かしてこいと追い立てられて、そのまま茹だるように一風呂浴びて戻ってきた山口が見たのは既に縁側に準備されていたささやかな酒宴の席。
視界の端では咲ききらぬ穂の薄が揺れる。
「旧暦の九月十三日やから」
「何それ」
「後の月、言われる名月やねん」
と言われても、と山口がなみなみと注いだ酒を口内でとろりと転がす。
「満月じゃないんだけど」
「十三夜やからな」
空にぽかりと浮かぶは天満月にはまだ遠く、辺りを満たす欠けたる月のまだほの淡い月華の香り。
「豆名月や栗名月言われとる月を愛でる日本独特の風習らしいで」
ああ、それで、と摘んだ豆の塩の味。
「贅沢だね」
「風流やね」
どちらともなく重なった視線に肩を震わせるように声もなく笑う。
「安や明雄さんも居れば良かったのにね」
「なんやようわからんけど、水入らずでどうぞて言われたわ」
静かに更けゆく硝子のような澄んだ空気を壊さぬように、辺りに満ちる笑声さえも顰められ、囁き声に姿を変える。
「けどさあ」
流石に豆と栗ごはんだけでは足りなかったのか、味噌で炒めた茄子と人参の乗った皿を城島の前に置いた山口がぽつりと口を開いた。
「久しぶりだよね」
「何が?」
「ん~、シゲとさ、二人、こうやって飲むの」
「そうやったか?」
「だよ」
忘れたのかよ と赤く染まった頬を膨らせて、い~ち、にぃ と指折り数える子供のような仕草に城島が眼を細めてくすくす笑う。
「ほら、もう一年近くも飲んでねえ」
「嘘や、つい、この間も飲んだやん」
「い~や、飲んでないね」
二人だけで飲んでない とどこか剥れたような表情で、ころりと仰向けに転がった城島を覗き込む。
「それはそうやけど」
自分たちは五人なのだから、一人欠けても二人欠けても、二人きりになる事はありえない。それが寂しい等と口が裂けても言うつもりはないが。
「ちぇ、いいよ、どうせシゲは俺と飲むより松岡と飲む方が楽しいんだろ」
「あほ」
軽く眉を寄せ、覆いかぶさる山口を軽く押しやるとぱたりと両腕を床にぱたりと落とす。空になった猪口が重力に逆らう事なく掌からころりと床を転がって、細く柔らかな髪がふわりと風に舞う。
「なあ」
まるで外界から逃れるように顔を覆った手の甲で城島の表情を見る事は出来ない。
「ん?」
それを気にする風もなく、山口は随分と軽くなった瓶を片手で傾ぐ。
「そんなに飲んでないか?」
「あ?」
それが先刻の自分の台詞に繋がっている等と想いもよらず、訝しげに上げた視線の先の男の横顔は隠されたままで。
「シゲ?」
どうしたんだよ とずりずりと近付くが、顔を見せないままいやいやと幼子のように頭を振る。
「茂君」
再度、掛けられた言葉は伺うような、心配げな色を持っていて、ほんの少しの懐かしさと切なさを城島に齎せる。
繰り返される微かな深呼吸を何度繰り返したか。
あんな、と小さい呟きを一つ落として、城島は山口の視線から逃れるように、くるりと背を向けた。
「ラジオ始まったんや」
「うん」
名前も曜日も変わってメンバーも一新、新たな番組として とくぐもった声が言葉を綴る。
「tetsuさんとのやつだろ」
貴方、喜んでたじゃない 8年ぶりだって と向けられた背に軽く体を預けて、注いだばかりの杯をゆったりとした仕草で一口啜る。
「滅茶、嬉しかったで」
名コンビの復活やねん とどこか興奮気味に伝えて来た貴方の嬉しそうな声。ほんの少しむっとした事は、背に触れる温もりは知る由もない。
「久しぶりやね って話して」
うん 声にならない振動だけの返事に、城島は小さな声でそれでも途切れる事なく言葉を紡ぐ。
ラジオ独特のガラス張りの中の小さなブース。
すぐ目の前で軽く机に肘をついた久しぶりに見る男は、記憶の中のままのようでもあり、見知らぬ、初めて会ったような不思議な錯覚に陥った。
目指す音楽は違ってはいたが、どこか気が合い、プライベートでも何度か飲みに行った、仲の良い、否、良かったはずの友人。
互いの仕事の忙しさにかまけて、だんだんと間遠になった電話の音。
気が付けば、会わなくなって数年の月日が流れていた。
「中目で会うたのが最後やったって言われて、それも偶然な」
電話番号も変わってるかもしれないと告げたら、ひどいなって苦笑まじりで笑われて。
それでも、以前となんら変わる事なく言葉を交わし、別れ際には新しい携帯番号を書いたメモを交換した。
「不思議やなって思うた」
「でも、それが普通じゃねえの?」
高校の頃、仲良かった友人は、気が付けば大学、就職と道を違えて、結婚して家族を持って、電話で話すなんて指を折る事が出来れば良いぐらいに遠い昔の話になって。
それでも、顔を見れば会わなかったそれまでの時間等意識の遥か彼方に飛び去ったかのように、言葉を交わし肩を叩き、思い出話に花が咲く。
そんなもんじゃねえの?
当たり前のような言葉に、城島の鼓動がことりと悲鳴を上げる。
少し前、番組の内容の反省も兼ねてみていた自分たちの後にやっている番組で、山崎 まさよしが出ていた。ゲストはユ ー ス ケ サ ン タ マ リ ア。10年来の親友の そんな肩書きがついていたか。
そのまま、飲みかけのバーボン片手にソファに体を沈めてテレビを見上げる。
もう、6年ぶりですか そう事も無げに久しぶりだと言葉を交わす二人。一緒にやっていた番組が終わって以来だと。
何故?
知り合って10年。でも、半分以上もの長い年月会うこともなく、貴方はそれでも親友と呼ぶの?
日々の生活に忙殺されて、自分の時間等掌に乗る程しか自分たちにはない。ましてや、自由になる時間なんてほんとうに不規則で、会いたいときに連絡をする事さえも相手に取って、迷惑でしかない。
それはわかっている。
逆に一人の時間を好む自分にとっては、ありがたくさえ思えるときがあるのだ。
だが。
『仕事』という柵がなければ言葉さえも交わす事がなく、いつしか共に時を刻む事を辞めてしまっても、自分たちはその人を友と呼ぶ。それは確かにかつては僅かであっても同じ時を重ねた相手だ。友と呼んで何を憚ろう。でも。
「僕らもそうなん?」
「シゲ?」
城島を挟むようについた右腕に体重を預けるという器用な体勢となった山口が覗き込むが、影を帯び、頑に背けられた表情を伺う事は許されず。
「何が言いたい?」
「デビューする前からずっと一緒におった」
同じ夢を見て、ただ、それだけに向かって只管頑張ってきた。
暇さえあれば、顔を合わせ、思いを語り、弦を震わせて。
ああ、確かに時には、一週間も口を聞かぬバカらしくも愛らしい喧嘩をしたこともあったろう。
それでも、ずっと、同じ時を過ごす事を当然として、何の違和感もなく受け入れた。
だが、いつからだ?
デビューという名の下に、仕事と言う大きな名目を掲げ、一人ひとりが自分の道を歩き始めたのは。
それが普通なのだ。
今も芸能界に身を置きながら、かつてのメンバーたちと顔を会わす事もほとんどなく仕事をする先輩たちは多く居る。否、むしろ、10年以上を経て、変わらずに仕事をしている者の方が未だ少ない。
「ほんまにピンの仕事が多なった」
長瀬はドラマや映画、松岡もしかり、国分に至ってはバラエティや司会、果てはドラマや映画までその仕事の幅を大きく伸ばし、飛躍をし続けているではないか。
「シゲも同じだろ?」
深夜枠からゴールデンへ、そしてスペシャルの司会等、城島個人の仕事もどれほど多い事かと山口が顔を顰める。
「同じ番組でメンバーで仕事しとう言うても、ほとんどの企画はピンか多て三人ぐらいや」
全員が顔を会わせての仕事等、週に一度ありはしない。
「バンドや言うても、ほんまの意味で全力入れてできるんはツアーの間だけ」
なあ、と置いてきぼりを食らった子供のように弱く震える小さな声。
僕らも、仕事で会わんようになったらそれまでなんやろうか。
「シゲさん、貴方、酔ってる?」
「これぐらいで酔わんわ」
飲んだんほとんど自分ちゃうんかい
「じゃあ、素面で言ってるわけだ」
ふ~ん と1トーン低くなった声に気付かず、微かに抗った城島の口調に、すっと二人の間に冷たい空気が流れ込んでくる。
「山口?」
その声に驚いて振返った城島の視界、二人の間にあるのは、距離にしたら腕一本分ぐらいの僅かな距離。
だが、
「怒ったん?」
やけに冷たい空気に、城島は困惑したように顔を上げる。
「しらね」
ついさっきまで、やんわりとした眼差しで自分を見ていたはずの視線はなく、そこにあるのは壁のような大きな背中。
「しらねって」
「怒ったっていうよりは、呆れてる」
なんで、と続く言葉は、向けられたままの背に行き場を失い、城島は戸惑いを隠せぬように視線を彷徨わす。
いつのまにか、宵を彩る虫の声は一段と深くなった闇に溶け、じじじと燃える蝋燭も哀れな程に短くて。
手許を照らす灯りさえもどこかもどかしいまでの薄闇を帯びていた。
ふう 呼吸さえも奪われたような城島の耳に、漸く届いた深い溜め息に、薄い肩がびくりと揺れる。
「一緒にする仕事がなくなったら終るような関係だと思ってるんだ?」
貴方は と。
「ちゃうよ けど」
実際に とらしくないほど気弱な声が口籠る。
「大体さ、貴方が言ったんでしょ」
「僕?」
そ、と振り向きもせず一升瓶に伸びた手が鶴のような首を握り締めた。
「10年後も、20年後も俺たちはT O K I Oだって」
あ と響きさえも淡い声に、山口は声に出さずに小さく笑いながら、すっかりと空になった杯に、ととっと無色透明な酒を注ぐ。
「貴方が車椅子に乗るような年になっても5人でバンドをやって、今のファンの子達が孫子連れた3代で来てくれるまで俺たちはツアーをやり続けるんだろ?」
「やま…」
「死ぬまでT O K I Oで、貴方、死んでも俺たちと同じ墓に入るんでしょ」
俺たちに邪魔って言われてもさ と、くっくっと笑声が滲む声。
子供のように俯いてきゅうと握り締めた、アイドルにしてはやけに綺麗に灼けた拳をぽんと包み込む、一回り大きな骨ばった掌。
「心配しなくてもさ、貴方がいらないって言っても俺たちはここにいるよ」
「おん」
大体さ と軽く背を丸めて覗き込んで来た弦月のような綺麗な双眸。
「あの松岡が、貴方の事放っておけると思う?シゲの老後は松岡が看るんだろ?」
「やって」
「長瀬は、未だに全然親離れできてない甘ったれだし」
「親ばなれって、自分、あの子幾つや思うてるねん」
メンバー一の男前やないか と軽い口答えに城島の浮上を感じ取り、山口は額をこつりと触れ合わせた。
「太一だって、本当にT O K I Oを大事にしてる」
「わかっとう」
「でしょ?だから、俺たちが貴方から離れてしまう心配なんてこれっぽっちもないんじゃねえの?」
うちの子供達はさ、人一倍親想いで優しいから、年老いた親を見放すなんて事、しないと思うぜ
「ね、おかあさん」
「誰がおかんやねん」
ゆうるりと細められた眼にぽつりと浮かんだ不安の色が、淡い笑みにほろりと滲んだ。
「でもさ」
空き瓶と化した一升瓶をくすんだ床の上に転がして、山口がぱたりと縁側に仰臥する。
「何?」
「結構貴方可愛いとこあるよね」
「な、何がやねん」
え~、と嬉し気な声にがばりと城島が身を起こした。
「だってさ、一人が寂しいって子供みてえ」
「ちゃうわ、そんなん僕言うてへん」
そ? 片目を綺麗に瞑ってみせる山口に、ふいと横を向くが、赤く染まった耳朶までは隠せずに。
「酔っ払いの戯言や」
もう寝るわ、と言いおいて、そのまま城島は冷たい床に熱い頬を押し付けるようにぱたりと突っ伏した。
何れ程時間が過ぎただろうか、夜露を帯びはじめた気配に、一気に気温が下がり始める。
「シゲ?シ~ゲさん?」
だが、何度呼びかけても一向に返らぬ返事。
「そんなとこで寝てたら風邪引くよ」
それでもぴくりともしない頬が潰れたような態勢の健やかな寝顔に溜め息をつく。
正鵠なまでに繰り返される呼吸に上下する柔らかい髪。
纏い上げる指先に、触れる息。
いつだって、一人の時を好む彼。
誰よりも年上の顔をして、何一つ求めぬふりをして、ただ己の道だけを見据えるような横顔が寂しかったのは自分の方。
だから、
「ほんとはさ、嬉しかった」
他でもない自分達が離れて行く事に怯える貴方が と微笑を零す。
それに と続く声は微かな期待と不安を孕み、それでも聞かずにおれぬかのように言葉を綴る。
「俺だからでしょ?」
飄々とした笑顔の下に揺れる子供のような素顔。
それを垣間見せてくれたのは、他の誰でもない、自分だからだと自惚れていい?と、深い眠りに落ちた城島の意識に問いかける。
応えが返される事等ない事は分かっていたが。
口角に浮かんだ笑みを深くして穏やかに眠る城島をそっと抱き上げると、山口は散らかった縁側をそのままに、立ち上がった。
ひたりと閉じた障子に残るは、月の雫が滲む秋の宵の甘い夢。