Jyoshima & Taichi

undid

「お願いがあるんだけどさ」
それはそんな言葉から始まった。
まだ、辺りが夜の帳に包まれているかのような蒼い光の中、高速道路を照らす白い光が思い出したように行き交う曖昧な時刻。
黒縁の分厚い眼鏡の奥で、まだ、開けきらぬ光彩が、薄暗い車内の中、抑えられた音源を求めるように辺りを揺らりと彷徨う。
「これ」
「あ?」
眠気を隠そうともしない掠れた声にも躊躇することなくぐいと押し込んだ固まりを、緩慢な指先がやっと といった風情で握りしめた。
「なん?」
これ、と続くはずの声は途切れ、黒い薄っぺらなそれを細められた眼がしげしげと見つめるが。
「それ、今度のやつ」
しょぼしょぼとしたまま定まらぬ焦点に、すりと、空いている左手で片目を擦る仕草は、彼の専売特許である親爺イメージとは真逆で、どこか稚さを醸し出し、国分はほんの僅か口元を緩める。
「あるばむ?」
「そ、本番一つ手前ぐらいのだからさ」
「ん〜」
あふりと大きな欠伸を一つすると、城島は、こっくりと頷くことで返事を返し、ちょっと、と焦りと呆れの混じったような声にへろりと手を振ると、再び微睡みの中へと意識を手放した。
忙しすぎる夏と充実した一瞬。
目紛しく変わる世界を行き来する意識の欠片は、いつだって自分の手の届かぬところで浮遊を繰り返し、着地する場所を求めている。それは、デビューが決まるずっと以前から変わることのない現実で、自分達はただ目の前に積みあがるものをひたすらよじ登る事で精いっぱいだった。
だが、その最たるものが今夏かもしれない とメンバーの誰もが思っている熱すぎる夏。
春先のライブに、山口がこつりと放り投げた小石が生み出した一つの波紋が幾重にも円を生み出して、初夏から夏と呼ばれる頃には、ライブハウスでのツアーが急遽決定、その合間を縫うように、メンバー全員がドラマ出演という状況に陥り、そして。
アルバムを作るという話は、ツアーが始まる少し前に告げられた。ジャケット撮りも、スタッフが大移動して、ツアーの合間に地方撮り。その間に東京とロケとツアーと行ったりきたりの日々を繰り返す、はっきりいって、笑えるぐらいに時間がない。
でも、自分達の根幹である『音』に妥協なんてしたくなくなくて。
がさりと鍬を振り上げながら、国分はヤギ小屋で、ひょこひょこ動く白い手ぬぐいをじろりと睨み付けた。
「大丈夫かよ、あの親爺」
トレードマークのオーバーオールのポケットに小さな機械を押し込んで、口ずさむのは軽快なくせに、どこか静けさをたたえた不思議な旋律。
自然にとんとんと上下する足先が刻むリズムに、口をついて出るのは意味のない単語の羅列。
午後の撮影、はじめます の声に、あっけなく霧散していく言の葉の欠片に、城島は苦笑を浮かべた。
「あんたさ、今日も飲み行くの?」
小さなバンの前の席の背もたれに手をかけると覗き込んできた国分に、あ?と振り返り、せやねえと小さく笑う。
「村はやっぱ、疲れるわ」
今日は、あきらめて宅飲みかなあ、ぱんぱんやねん。足 と太ももをへとへとと叩くと、そのまま大きく伸びを一つして。
「ついたら起こしてくれる?」
酔う前に寝るわ、とシートベルトの中、ふいと国分に背を向けるようにして窮屈そうに体を攀じると瞬く間に寝息を立てはじめた城島に、
「こんのクソ親爺が」
と嘯くと、国分もまた傍らのケットを頭から冠ると、ほんの少しの移動時間も、自分達には大切な休息の時間だときゅっと目を閉じた。
ゆらりと揺れる琥珀の液体。グラスの中で響くからりと心地よい音は1/fの揺らぎ。
電話の線も抜き、携帯の電源も切った。
目の前にあるのは、どこか黄ばんだような色の紙の裏と小さくなったBの鉛筆。
途切れることなく繰り返し流れる曲に、己の中に浮かんでは消える泡沫の弾ける音を逃さぬように、書きなぐるのは心の言葉。
幾重もの層になった音の挟間から聞こえる声をひとつひとつ読み取って、音に寄り添うように生まれてくるのは言葉の息吹。
軽く閉じられた瞼が、わずかに震え、自然にほころぶ口元が、生まれたばかりの歌を紡ぎ出す。
朝の一時は、普段の生活にもまして、忙しいものだ。
どっかの誰かさんみたいに、朝からゆっくりと玄米ご飯なんて食ってられっかよ と国分は食パンを2枚、温度の上がったトースターに放り込む。
こぽりと湧いた湯にマグカップの中から立ち昇るのは、どこか香ばしい珈琲色の湯気。
「っと、え?リーダー?」
携帯電話の軽やかな着信音に、開いたメールの文章に目を走らせた。
「ちょっと、マジかよ」
半分焦げたパンをかしりと噛みちぎりながらも、立ち上げたパソコンに届いたのは、添付付きのメールが一つ。
もどかし気に開いたテキストファイルの中にあったのは。
「全くやってくれるよね。アンタって人は… 」
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