この世はとても平和だ。
確かに今の内閣支持率は最低ラインだし、普段食べているものも何が混じっているか分かりはしないご時世だ。自分達が所属している事務所にしても、結婚間近と言われながらも、相手の女優が連続ドラマに出演していて先の見えないトップアイドルグループのメンバーがいるし、もう時期立ち上げられるだろうという芸能事務所所属芸能人にそのトップグループの最たるメンバーの一人の名前があげられてはいるし、勝手に半年留学したメンバーとの不仲説が囁かれる人気最高潮な後輩グループはいる。しかしまあ、連ドラが始まる前から映画化が決まっているらしい王子の笑顔はいつにもまして眩しいし、背の高く少しへたれな某グループのリーダーのミュージカルは評判は良いし、平成生まればかりのグループも誕生したそうで、ワイドショーを賑わすことが得意な事務所も、ありがたいことにそこそこ平和である。
「だから、あんた、わかってるの!!」
そう、平和なはずなのだが。
「やけどなあ」
と、聞こえた情けない声に、ここだけは別世界だな、と山口は、ちらりと傍らで唇を尖らせながら、怒っているメンバーの顔をやれやれと少々苦笑の入り交じった表情で見上げると、再び携帯の画面へと視線を戻した。
「やけどなあ、じゃないでしょ、あんた一体何度目よ」
これ、とへしょりと項垂れた城島の目の前で松岡の手のひらがぱんぱんと叩くのは、芸能人が通りすがりの人と楽しげに話しているだけで、結婚間近の恋人になってしまうというなかなか奇特な本の少し前の三流ゴシップ雑誌だ。
「何度目って、そないに頻繁に載ってへんと思うけど」
とTOKIOの四男坊のお鉢を奪うかのように軽く尖らせる。
「それに、僕だけやないし」
太一やぐっさんかて、結構載ってるやんか とちらりと我感ぜずとばかりに携帯をいじくりまわしている相棒の涼しげな横顔を振り返る。
「あのねぇ、記事の内容が違うでしょ」
太一君のは別れ話だし、この人のは写真だって掲載されてない如何にもガセって感じだし、と傍らのペットボトルの口をぶしりとねじ切るとそのままの勢いで、ごくごくと半分ほど冷えきった茶を飲み干していく。
そないに喉が枯れるまで、怒らんだかてええやん、と口の中でごちる城島を、松岡は頭一つ分高い位置からじろりと見下ろした。
「なのに、わかってんの?これ、このアンタの記事」
相手はいっつもパンピーで、しかも、何?モデル風の美人 と態々記事の本文を確かめるように読み上げると、もう一度ぱんと雑誌を机の上に叩き付けた。
「ディズニーランドの時も、今回も、いっつも違う相手っつうのもどういうことよ」
「いや、同じ相手やったらそれこそ大変なんちゃう?」
今頃は『城島、ついにモデル風美人と結婚か!?』と斜めにスポーツ新聞の一面に踊る文字を想像し、それもええかなあ、と密かに眦を綻ばす。
「リーダー。あんたさあ、にやにやしてっけど、事の重大さがわかってんの?」
「重大て、そんなんこの世界では日常茶飯事やんか」
知り合いに誘われて飯食いに行っただけやのに、と尻の座り悪げに、腰をもじりと後ろに動かすが
「飯、食いに行く相手も選べっての」
にじりよるように離れた距離分近付いた松岡が、大体、なんでラーメン屋なんだよ と記事に一文に目を走らせる。
「ああ、それなあ、丁度、ほら、ラーメンキングの撮りの後やったんよ」
その言葉にぎろりと上がった眦に気付いたのか気付かなかったのか、城島はどこかのほほんとした口調で言葉を続ける。
「すっごい旨いラーメン食ったんよ〜、って、飲みながら話しとったらな、一緒におった奴らの中の子が」
『私、すっごいおいしいラーメン屋さん知ってますよ』
ぱっと片手を挙げたのが、件のモデル風美人の彼女だったのだ。
『ほんま、したら今度教えてくれへん?』
『わかりました、そのかわり、その店のラーメンと夜、カクテル驕ってくださいね』
「って、言われてん」
「だからさあ」
アンタが誘ったわけじゃないのはいいよ と松岡は、がくりと肩を落とした。
「けど、なんでそこで断んないのよ。あんたって人は」
「やって、女の子にそないな事言われて断るやて、相手の子にそんな恥掻かすわけにいかんやろ?」
大体、その夜に言った店かて、彼女の彼氏の店やねんで と城島は、ぽりぽりとまだ何の準備もしていない髪を掻く。
「それやのに、なんで僕こないに叱られなあかんねんな」
「だから、あんたは自分が誰かわかってんの?って先刻から、何度言わせんの」
芸能人よ、芸能人、しかも、今をトキメクTOKIOのギタリストでしょうが!!
「やけど」
「やけどじゃねえ、一体あんた何年この世界で生きてきたんだっつぅの」
「ぐっさあん」
だいたいねえ、とエンドレスになりそうなお小言に、城島はいつもの彼からは想像できない素早さで、ととっと椅子から立ち上がると、背後のソファに胡座をかいていた山口の背にするりと滑り込んだ。
「あのさあ、シゲ、俺、巻き込まないで欲しいんだけど」
「そんな冷たいこと言わんと頼むから助けてぇな」
と肩にぐりぐりと額を押し付けてくる城島に、軽く肩を竦めると山口は机の向こう側で、あっと言う形に唇を開いたまま、立ち尽くすようにこちらを見ている弟分の呆然としたような表情にくすりと笑う。
「諦めなって、あんなに真剣に怒ってくれるのって、あいつぐらいでしょ」
あれも愛情の現れだと思ってさ とぽんと右手で肩を抱くように背を叩く。
「ちょっと、愛情って、何言ってんの。兄ぃ」
俺は別に、と続いた言葉を意外な言葉で遮ったのは、いとも情けなさそうな面持ちの城島だった。
「やって、一昨日のロケでも、太一に延々と説教されてんで」
酒飲みに行ったとこでも続いとって、いい加減耳タコやのに、今日は今日で松岡が 続いた愚痴に
「へぇ、あの太一がねえ」
返ってきた、どこか楽しむようなその声音に、滑り込んだソファの隙間で力を抜いたように座り込みながら、ぎろりと山口をにらみ付ける。
「あんたら、ちょっと人の話聞いてるの!!」
俺の話のどこか愛情表現なわけ、俺はね、怒ってるわけ。それより太一君と飲みに行ったってどういうことよ、アンタと太一君いつからそんなに仲良くなったわけ?だいたい、俺と飲みに行ったのなんていつの話だっての!!
「山口ぃ」
「あなたさあ、薮突いて蛇出しちゃったんじゃないの?」
怒濤のように流れ落ちてくる松岡の流暢な怒気の孕んだ言葉の渦の中央で、どないしよう、あれ と、二人が顔を見合わせた時だった。
「おはようっす」
ばたんと勢い良く開かれた扉とともに、楽屋に現れたのは、我等がフロントマンにして末っ子の長瀬智也だ。
「おはよ」
「おはようさん」
思いもかけなかった救いの手に、そうユニゾンのように答える上二人に、長瀬がにこりと笑った。
「リーダー、今度太一君と巧いラーメン屋さん行くんでしょ」
「へ?」
思わず、気の抜けるような音を出したのは、松岡だ。
「どういうことよそれ」
「ああ、おとといのロケの後、えんえん説教されとううちになあ、そんなうまいラーメン屋ならつれてけって、そしたら説教は止めたるって言うもんやから」
「ちょっと、待ってよ、何それ」
「俺も連れってってくださいね」
「なんや、自分も行きたいんか?」
「驕りでしょ」
ごちそうさまです〜 とパンと両手をあわす長瀬に、苦笑を浮かべながらも、しゃあないなあ と城島が笑みを浮かべる。
「ちょっと、待った、俺、俺も行くからね」
「自分もかいな」
偉い、仰山やなあ、と城島は、手の甲をつんつんとつついてくる、今現在体重を預けるようにして両手を掛けている肩の主を見下ろした。
「まさか」
お前までちゃうやろな と続きかけた言葉をかき消すようにぱんと楽屋の扉が押し開かれた。
「冗談だろ、お前ら連れてったら目立つことこの上ねぇだろうが」
しかも、二人揃ってだと と開いたドアの向こう側から飛び込んできたのは、いつもは可愛らしいと称される大きな眼をぎろりと三白に見開いた国分の姿だった。
「え〜、ずるいっすよ、太一君ばっかりぃ」
「俺は、正当な理由があるだろうが、この人が説教止めろっていうからその代わりに」
「それだったら、俺だって同じでしょうが」
「大体なあ、そんなにラーメンが食いたいなら、リーダー」
突然始まった三人の言い合いをただただ傍観者となっていた城島がびくりと背筋を伸ばした。
「こいつらに金と場所の書いた地図渡してやって」
「はい?」
「それって、何、自分だけリーダーと食いにいって、俺らは勝手に行けってこと?」
「だったら太一君がマボと行けば良いじゃないすか」
「俺が先なんだよ」
「いやいや、ほんっと、愛されてるなぁ… 」
延々と続く目の前の攻防に、山口が、はあとため息をつきながら、ね、と城島の肩をぽんと叩いた。
「そんなとこで、外野の顔しとらんと助けんかい」
たとえTOKIO様と銘打った部屋であったとしても、いかんせん、ここはテレビ局の楽屋なのだ。
壁一枚向こう側には人の行き交う廊下があり、当然の如く、隣の部屋には、他の番組の入りを待つ人々がくつろいでいる場所だというのに。
「いやいや、子供たちの心からの愛情じゃん、素直に受け取りなって」
「アホか〜、こんな愛情いらんわあ」
終わりの見えぬ子供三人の大人げない口げんかに、なす術もない無力な母の背に、山口は、何はともあれ、TOKIOの楽屋もまた、結局のところ平和だよな と小さく呟いた。